卦名 名
師(し)には二つの意味がある。一つは衆人、もう一つは軍隊である。古制では五人を伍とし、それを積み上げて二千五百人を一師とした。人が集まって規模を持てば、編成と統率が要る。この卦はまさに、衆が軍となり、戦いも辞さぬ局面を描く。
卦象 象


上卦は坤(地・順)、下卦は坎(水・険)で、地中に水がひそかに集まる象である。表は従順だが、底に危うさを抱えている。こうした時には一人の強者が統率しなければ、衆はたやすく乱れる。五陰一陽の卦で、ただ一つの陽爻である九二こそが、局面を支える人物だ。
取象の重なり 層
一つの卦はいくつもの層で読める。八卦は一家の人々(父母・長中少の男女)、六爻は組織の位(新人から君主まで)、さらに自然現象や動物にもなる。層を一つ重ねるごとに、爻辞の意味が深まる。
一家として見る
下卦の坎は中男、上卦の坤は母である。陽爻は九二ひとつだけで、坎のなかの男が五つの陰爻、すなわち衆に囲まれる。母は民と土地を表し、中男は険を冒して出征する者を表す。苦労に耐える息子が、一家と国のために戦を引き受ける姿である。
六五「長子、師を帥い、弟子、尸を輿す」。九二・六三・六四は互震で、震は長男なので、兵を率いる長子は九二である。六三は下卦坎を完成させる位置にあり、坎は中男で長子ではない。これが「弟子」で、任せれば屍を車に載せて帰る。家でも、大任を誰が担うかを取り違えてはならない。
九二「師に在りて中す、吉、王三たび命を錫う」。二は外で兵を率いる将、五は君王で、陽が下、陰が上にあって正応する。君主は遠く朝廷にいながら、前線の将を全面的に信じ、重ねて命を与える。君臣相得の典型である。
六五「田に禽有り、言を執るに利し」。六三・六四・六五は互坤で、坤は田である。田を荒らす獣がいる。兵を出すにはまず理由をはっきり述べ、名分を正す。狩りと戦を、古人はしばしば同じ象で語った。
上六「大君、命有り、国を開き家を承く、小人は用うるなかれ」。戦が終わり功を論じて賞する。功の大きい者は諸侯(国)に、次は大夫(家)に封ずる。上爻は事の外にあり、まさに戦後の分配の時である。戦に強い小人には賞を与えてよいが、治める位置を与えてはならない。
師を逆さにすると比になる。地中の水が地上の水に変わる。師は地下水がひそかに集まり、どこへ流れるか分からない姿。比は水が地上で堤に集められ、誰にも見える姿である。兵を用いたあとは、その力を人が親しみ寄り添える秩序へと転じなければならない。
師の錯卦は天火同人である。兵を率いて戦うことの裏面は、人と心を同じくすることだ。衆を率いて軍を成すのは、戦うためだけでなく人々を結束させるためである。同人の爻辞もたびたび兵を語り、二つの卦は互いを映し合う。
序卦 序
訟必有眾起,故受之以師;師者眾也。
〈序卦伝〉に「訟には必ず衆の起こる有り、故に之を受くるに師を以てす。師とは衆なり」とある。争いが起これば双方に支持者がつき、同じ立場の者が寄り集まって陣営となり、やがて軍となる。需(飲食)から訟(争い)、そして師(衆の結集)へ。人の社会のごく自然な成り行きである。
卦辞 辭
師:貞丈人吉,无咎。
師は、貞なり。丈人なれば吉にして咎无し。
卦辞は「師は貞なり、丈人なれば吉にして咎无し」。衆を率いて兵を用いるには正しさを守らねばならず、威望ある長者が統べてこそ吉である。「丈人」の語は経中ここにしか見えず、「大人」の誤りとする説もあるが、いずれにせよ指すのは唯一の陽爻・九二だ。「貞」は頑なさではなく正道を貫くこと。吉にして咎なしとは、今うまくいき後にも禍根を残さぬ意だが、道中の重圧は軽くない。
彖伝 彖
彖曰:師,眾也。貞,正也。能以眾正,可以王矣。剛中而應,行險而順,以此毒天下,而民從之,吉又何咎矣。
〈彖伝〉は、衆を率いて正道に就かせることができれば王たり得ると説く。「剛中にして応ず」は九二が中にあって六五と応じること、「険を行きて順なり」は下の坎の険と上の坤の順である。「此れを以て天下を毒す」の「毒」は役使・統治の意で、用兵は投薬に似るとの含みがある。薬はみな毒であり、小毒をもって大毒を治す、やむを得ぬ手段なのだ。
大象 象
象曰:地中有水,師;君子以容民畜衆。
〈大象〉に「地中に水有るは師なり。君子以て民を容れ衆を畜う」。大地が地下の水を抱えるように、君子は民を受け容れ衆を養う。兵は平時に振るうものではない。本当の力は、日頃の寛容と養いの中に蓄えられている。
六爻 爻
主爻 九二は卦中唯一の陽爻で、剛にして中を得、六五の天子に信任されて応じる。卦辞にいう「丈人」であり、成卦の主である。
六爻の道筋:下から上へ
師の六爻は出兵から戦後までを描く。初六は軍の出発で、規律が要る。規律が乱れれば必ず凶。九二は前線で兵を率いる将で、王の信頼を得て重ねて命を受ける。六三は下卦の頂で、率いるべきでない者が兵を率い、屍を車に載せて帰る。六四は上卦に入り、一時退いて陣を張ることを知り、咎はない。六五は君主で、出兵には大義名分が要り、長子を用いて弟子を用いてはならない。上六は戦が終わり、功に応じて国や家を与えるが、小人には賞を与えるだけで、用いてはならない。
初六師出以律,否臧,凶。師出づるに律を以てす。否らざれば臧くとも凶。
現代語で
軍が出陣するには軍律に従わねばならない。律を守らなければ凶である。
精読
初六は陰が陽位にあって不当位、六四とは陰同士で応じないが、九二を承けている点が救いである。坎の中にあり、水はどの器に注いでも最後は平らになる。その平らさが公平と規律の象だ。「否臧」とは善ならざること、軍律に従わぬこと。小象は「律を失えば凶なり」と言い切る。最初に規律を定めることが、あらゆる行動の前提なのである。
この爻を得たら
万事規則どおりに進め、最初の一歩から原則と手順を明確にせよ。近道や抜け道を探る考えは、いまは捨てるべきだ。
孫武、寵姫を斬る
呉王闔廬は孫武の兵法を試そうと、宮中の美女百八十人を調練させ、自らの寵姫二人を隊長とした。孫武は号令を繰り返し説いて太鼓を打ったが、女たちは笑うばかりだった。号令が明らかでないのは将の罪、明らかにしてなお従わぬのは隊長の罪だとして、孫武は二人を斬るよう命じた。王があわてて助命を求めても、将が軍中にあれば君命も受けぬことがあると答え、刑を行った。再び太鼓が鳴ると、進退も跪起も一糸乱れなかった。
九二在師中吉,无咎;王三錫命。師に在りて中す。吉にして咎无し。王三たび命を錫ふ。
現代語で
軍の中にあって中道を守る。吉にして咎なく、王が三たび命を賜う。
精読
九二は陽が陰位にあって不当位だが、下卦の中を得、六五と正応する全軍の主帥である。二から五までの間はすべて陰爻で遮るものがなく、王命はまっすぐ届く。「三たび命を錫う」は《周礼》の一命は職、再命は服、三命は位という段階的な昇進を思わせる。小象の「天寵を承く」「万邦を懐く」は、柔弱な六五の天子でも、一人の能将を信じ切れば天下が安定することを示す。
もう一層深く
九二「師に在りて中す、吉、王三たび命を錫う」。二は外で兵を率いる将、五は君王で、陽が下、陰が上にあって正応する。君主は遠く朝廷にいながら、前線の将を全面的に信じ、重ねて命を与える。君臣相得の典型である。
この爻を得たら
いまは重責を担える位置にあり、信任され頼られている。偏らず中を守ってチームを率いれば、功は自然と認められる。誇示を急ぐ必要はない。
六三師或輿尸,凶。師或いは尸を輿ふ。凶。
現代語で
軍は屍を車に載せて帰ることがある。凶。
精読
六三は三点すべてで不利である。陰が陽位にあって不当位、上六とは応じず助けがない。しかも主帥の九二の上に乗る「乗剛」だ。下卦の坎は車にあっては災い多き象で、ゆえに「輿尸」という。位にふさわしくないのに戦いを望むから、小象は「大いに功无し」と断じる。当位・応・承乗の三つがすべて外れる時、僥倖を期待してはならない。
この爻を得たら
位置が合わず、支えもなく、本来の責任者を越えて独断している。いまは手を出す時ではない。まず自分の本分に戻り、主たる者の采配に従え。
六四師左次,无咎。師左き次る。咎无し。
現代語で
軍が退いて駐屯する。咎なし。
精読
六四は陰が陰位にあって当位だが、初六とは応じず、戦う力もない。九二の指示に従うほかない。古代の軍は右を尊んだから「左」は退くことを意味し、「次」は二泊以上の駐屯をいう。六三のように無理に戦わず、難を知って退く。小象の「未だ常を失わず」とは、退却そのものが兵法の常道に背かないということだ。
この爻を得たら
力が及ばない時は、一歩退いて陣地を守るのが正しい。退くことは敗北ではない。力を温存し、指示を待てばよい。
六五田有禽,利執言,无咎。長子帥師,弟子輿尸,貞凶。田に禽有り。言を執るに利し。咎无し。長子師を帥ゐ、弟子尸を輿ふ。貞なれども凶。
現代語で
田に禽がいる。理由を明らかにして捕らえるのがよく、咎はない。長子が軍を率いるべきで、弟子に兵を分ければ屍を載せて帰る。そのまま固執すれば凶。
精読
六五は陰が陽位にあって柔だが中を得、九二と正応する、主帥を任命する君主である。三四五の互卦は坤で田、田の禽は民を害する者の喩えだ。「言を執るに利し」とは師を出すに名あること、何のために戦うかをまず宣することである。二三四の互卦は震で長子、すなわち九二。六三が「弟子」にあたる。小象は「長子師を帥いるは中行を以てなり、弟子屍を輿すは使うこと当らざるなり」という。君主は自ら戦わずともよい。責任は人選の当否と指揮の一元化にある。
もう一層深く
六五「長子、師を帥い、弟子、尸を輿す」。九二・六三・六四は互震で、震は長男なので、兵を率いる長子は九二である。六三は下卦坎を完成させる位置にあり、坎は中男で長子ではない。これが「弟子」で、任せれば屍を車に載せて帰る。家でも、大任を誰が担うかを取り違えてはならない。
六五「田に禽有り、言を執るに利し」。六三・六四・六五は互坤で、坤は田である。田を荒らす獣がいる。兵を出すにはまず理由をはっきり述べ、名分を正す。狩りと戦を、古人はしばしば同じ象で語った。
この爻を得たら
まず理由をはっきり示し、権限を最も適任の一人に委ねよ。情や遠慮から指揮を分散させてはならない。人選を誤れば、その責は任じた側にある。
長平の戦い——趙括、廉頗に代わる
戦国時代、秦と趙は長平で対峙した。老将廉頗は堅く守って出ず、秦は手を焼いた。秦は「秦が恐れるのは趙括が将となることだけだ」と流言を広め、趙王はそれを信じて、兵書には通じるが実戦経験のない趙括を廉頗に代えた。藺相如は、趙括は父の書を読むだけで臨機応変を知らぬと諫め、趙括の母までが後日の連座を免じてほしいと上書した。趙括は着任するや旧来の布陣をすべて改め、白起に包囲されて戦死し、降った四十余万の兵は坑殺された。「弟子屍を輿す」の最も痛ましい実例である。
上六大君有命,開國承家,小人勿用。大君命有り。国を開き家を承く。小人は用ふる勿れ。
現代語で
大君が命を下し、諸侯には国を開かせ、大夫には家を承けさせる。小人は用いてはならない。
精読
上六は陰が陰位にあって当位、六三とは応じず、戦いの終わりにあたる。上位はしばしば宗廟を象り、論功行賞の儀は宗廟で行われた。小象の「以て功を正すなり」は、賞罰を実際の功績に従わせよということ、「小人用うる勿かれ、必ず邦を乱すなり」と続く。程頤は、小人も戦功を立てることはあるが、金帛や禄位で賞するのはよくとも、国を持たせて政を執らせてはならないと説いた。
もう一層深く
上六「大君、命有り、国を開き家を承く、小人は用うるなかれ」。戦が終わり功を論じて賞する。功の大きい者は諸侯(国)に、次は大夫(家)に封ずる。上爻は事の外にあり、まさに戦後の分配の時である。戦に強い小人には賞を与えてよいが、治める位置を与えてはならない。
この爻を得たら
一段落ついた今は、功を論じて役割を組み直す時だ。報いは惜しまずともよいが、権限は徳と才の釣り合う者に委ね、身近な便乗者に注意せよ。
書き下し文は本サイトによる。明治・大正期の公有訓読(漢文叢書『詩経書経易経』1922年、国立国会図書館デジタルコレクション)と照合した。
故事 典
壇を築いて韓信を大将に拝す
韓信は劉邦のもとに身を寄せた当初、重く用いられず一度は出奔した。蕭何は夜を徹して追いかけ連れ戻し、大将に推した。劉邦が気軽に任じようとすると、蕭何は、王は日頃から礼を欠き、大将を拝するのも子供を呼ぶようだ、それこそ韓信が去る理由だと諫め、吉日を選び、斎戒し、壇場を設けて礼を尽くすよう求めた。劉邦はこれに従い、全軍は驚いた。韓信はただちに天下の情勢を説き、やがて兵を率いて諸国を平定する。君主がすべてにおいて臣に勝る必要はない。一人の能将に礼を尽くして託し、指揮を専一にさせること、それが九二「王三たび命を錫う」と六五「長子師を帥いる」の道理である。
ある若い営業マンの占い
直販の仕事をしているある若者が、師卦を得て意味がわからずにいた。卦義に照らせば、「師」の二つの意味がどちらも当てはまる。一つは衆、直販には多くの下位会員と支持者が要る。もう一つは軍、競争相手と渡り合っていて重圧が大きい。彼は顔色を変え、まさにその通りだと言った。占いが問うのは一時の状況であって一生の運命ではない。時を変えて問えば情勢も変わり得る。目の前の局面を見極めてこそ、人の率い方と規律の守り方がわかるのである。
人生への示唆 悟
師卦が語るのは、重圧の中で集団がいかに秩序を保つかである。始めに規律を立て、動く前に大義を明らかにし、指揮を一本化し、終わりには賞罰を正す。指導者がすべてにおいて最も有能である必要はないが、人を見抜き、信じ切ることはできなければならず、人選の誤りは自らの責任である。六四は、難を知って退くのは敗北ではないと教え、六三は、位置にそぐわぬまま力を誇示することこそ最も危ういと教える。〈雑卦伝〉は「比は楽しみ、師は憂う」という。その憂いは一種の覚醒だ。兵は凶事であり、平時に民を容れ衆を養う修養こそが真の力なのである。