卦名 名
「訟」は言偏に従い、言葉で是非を争い、公の裁きに訴えること、転じて訴訟をいう。人は考えるから見解が分かれ、選ぶから利害がぶつかる。だから人の世に争いがないことはありえない。問題は争うか否かではなく、どう争い、どこで止めるかである。
卦象 象


上卦は乾で天、下卦は坎で水である。天は上へ昇り、水は下へ流れ、互いに背を向けて交わらない。ここから争いが生まれる。〈彖伝〉は「上は剛、下は険」という。外は強硬で内に険を抱き、険に遇ってもなお押し通そうとすれば、争訟は避けられない。
取象の重なり 層
一つの卦はいくつもの層で読める。八卦は一家の人々(父母・長中少の男女)、六爻は組織の位(新人から君主まで)、さらに自然現象や動物にもなる。層を一つ重ねるごとに、爻辞の意味が深まる。
一家として見る
下卦の坎は中男、上卦の乾は父である。息子は心に険を抱き、父は上で剛く譲らない。一方は下へ流れ、一方は上へ昇り、おのずと争いになる。家庭でいちばんよくある訟だ。若い者は納得せず、年長者は退かない。卦辞「中は吉、終われば凶」のとおり、途中でやめればよいが、とことん争えば誰も勝たない。
九二「訟に克たず、帰りて逋る、その邑人三百戸」。二は地方の大夫、五は君王で、ともに陽で応じない。下から上を訴えても勝てない。自分の小さな邑に退いてこそ、三百戸の小村を守れる。
九四「訟に克たず、復りて命に即く」。六三・九四・九五は互巽で、巽は風、風は命令を表す。九四は君の近臣で、同じ乾のなかにいる。勝てないと知れば引き返して上の命を受け、態度を改めて正道に安んじる。
上九「或いはこれに鞶帯を錫う、終朝に三たびこれを褫わる」。乾は衣であり、また白昼である。訴えで勝ち取った官服の帯は、ひと朝のうちに三度も奪われる。上爻は行き詰まりの位置で、争って得た栄誉はとどまらない。
訟を逆さにすると需になる。争いのもう一つの道は待つことである。同じ剛健が同じ険に出会い、一方は対抗を選び、一方は時を待つ。訟の九二と九四がともに「訟に克たず」と退くのは、需の方向へ引き返しているのだ。
訟の六爻がすべて変われば地火明夷になる。光が傷つき地中に隠れる姿だ。訴訟は表向き公正を争うが、その裏の代価はしばしば自分の輝きが損なわれることである。勝訴しても、もとの明るさを保てるとは限らない。
序卦 序
飲食必有訟,故受之以訟。
〈序卦伝〉に「飲食には必ず訟あり、故に之を受くるに訟を以てす」とある。需は飲食の道を説く。食べ物や分け合うものがあれば、争うべき利害が生じ、訟がそれに続く。需と訟は上下を逆にした覆卦の関係にあり、水天需をひっくり返せば天水訟となる。
卦辞 辭
訟:有孚,窒,惕,中吉,終凶。利見大人,不利涉大川。
訟は、孚有りて窒がる。惕るれば中は吉、終ふれば凶。大人を見るに利し。大川を渉るに利しからず。
卦辞は、孚あれども窒がる、惕れよ。中ほどにして吉、終われば凶。大人を見るに利し、大川を渉るに利しからず、という。双方とも根拠ありと信じながら互いを信じないから争う。途中で和解できれば吉、最後まで争い抜けば、勝っても心力を使い果たし情も損なう。今必要なのは公正な大人による裁きであり、危険を冒して大事を企てることではない。
彖伝 彖
彖曰:訟,上剛下險,險而健,訟。訟,有孚,窒,惕,中吉,剛來而得中也。終凶,訟不可成也。利見大人,尚中正也。不利涉大川,入于淵也。
〈彖伝〉は「剛来たりて中を得」という。九二が上から下りて下卦の中に位置したことを指し、ゆえに「中ほどにして吉」。「終われば凶、訟は成すべからざるなり」、争いを成し遂げようとしてはならない。「大人を見るに利し、中正を尚ぶなり」、尊ぶのは九五の中正である。「大川を渉るに利しからず、淵に入るなり」、自らすでに坎の深淵に陥っており、川を渡る余力はない。
大象 象
象曰:天與水違行,訟;君子以作事謀始。
「天と水と違い行くは訟なり、君子以て事を作すに始めを謀る」。天と水は始めから背を向けて行き、争いの種もまた最初に蒔かれる。君子は何事も初めに慎重に計り、最悪の事態を想定し、責任と権利を明らかにしておく。始めを慎んでこそ終わりを全うできる。孔子の「人遠き慮り無ければ、必ず近き憂い有り」もこの意である。
六爻 爻
主爻 〈彖伝〉の「剛来たりて中を得」により、九二が成卦の主である。訟はここから起こるが、「訟に克たず」。九五の「訟、元吉」は〈彖伝〉の尊ぶ中正の大人であり、主卦の主である。
六爻の道筋:下から上へ
訟の六爻は、どれも争いをとことんまで押し通さないことを学ぶ。初六は争いの始まりで、長く関わらなければ、少々の言い合いののち終には吉。九二は下から上を訴えて勝てず、小さな邑に退いて人々を守る。六三は下卦の頂にあって旧来の禄に安んじ、上に従って働き功を誇らない。九四は上卦に入るがやはり勝てず、引き返して命を受け、心を改める。九五は中正の位で、公正な裁き手として大吉。上九は訴えで勝ち得た栄誉を、ひと朝に三度奪われる。最後まで争う者は何も残せない。
初六不永所事,小有言,終吉。事とする所を永くせず。小しく言有れども、終には吉。
現代語で
事とする所を永くせず。少しく言あり、終に吉。
精読
初六は陰が剛位にあって位を得ず、最下位で力は弱い。九四と正応し、剛柔が調和して強硬に過ぎない。争いはみな小さな「事」から始まる。小さいうちに手を引けば大事に至らない。小象は「訟は長くすべからざるなり」「其の弁明らかなり」という。多少の言い合いはあっても道理は明らかになった。一歩退けば海は広い。
この爻を得たら
争いは始まったばかりだ。言うべきことをはっきり言えば十分で、こじらせないこと。多少の小言は受け流し、早めに一歩退いて収めよ。
九二不克訟,歸而逋,其邑人三百戶无眚。訟を克くせず。帰りて逋る。其の邑人三百戸、眚无し。
現代語で
訟に克たず、帰りて逋る。其の邑人三百戸、眚なし。
精読
九二は陽が柔位にあって位を得ず、下卦の中にいて、訟を起こす側である。同じ陽の九五とは敵応で、大夫の身で天子を訴えるのだから勝てるはずがない。三百戸は下大夫の采邑の規模である。幸い中を得ているので、時を見て退き、配下は巻き込まれない。小象は「下より上を訟う、患いの至るは掇うなり」という。下から上を訴えるのは、災いを自ら拾うようなものだ。
もう一層深く
九二「訟に克たず、帰りて逋る、その邑人三百戸」。二は地方の大夫、五は君王で、ともに陽で応じない。下から上を訴えても勝てない。自分の小さな邑に退いてこそ、三百戸の小村を守れる。
この爻を得たら
この争いで優位にはない。早めに手を引いて自分の領分へ戻り、周りの人を守ることが、争い抜くより大切だ。
「もう一度占えますか」
ある人が一審で敗れ、二審判決を前に結果を知りたいと、自ら蓍で卦を立てると、まさに訟の九二、冒頭の三字は「訟に克たず」であった。問いと答えのあまりの符合に、背筋が寒くなる。彼の最初の反応は「もう一度占えますか」だった。答えは否である。気に入らない結果が出るたびにやり直し、満足するまで続けるのは、自分に迎合しているだけで、教えを請うことではない。二審は果たして原判決を維持したが、彼にはなお法に則った道が残り、周りの人も巻き込まれなかった。
六三食舊德,貞厲,終吉。或從王事,无成。旧徳に食む。貞なれども厲ふし。終には吉。或いは王事に従ふも、成すこと无し。
現代語で
旧徳に食む。貞しけれども厲うし、終に吉。或いは王事に従うも、成すなし。
精読
六三は陰が剛位にあって位を得ず、上下を陽に挟まれているので「貞しけれども厲うし」。上九と正応し、上九は君を表す乾の中にあるので、小象は「上に従えば吉なり」という。卦変で見れば、訟は遯の二爻と三爻を入れ替えたもので、この六三はもと遯の六二として九五と正応していた。その昔なじみの縁が「旧徳」である。争いの中では、柔順で控えめに、功を争わないほうが身を全うできる。
この爻を得たら
本分を守り、すでに得ている信頼や縁に頼ればよい。出しゃばったり新たな功を求めたりしないこと。ただし旧縁にいつまでも頼れるわけではなく、確かな根拠も備えておくべきだ。
九四不克訟,復即命渝,安貞吉。訟を克くせず。復りて命に即き、渝へて貞に安んずれば吉。
現代語で
訟に克たず。復りて命に即き、渝わりて貞に安んず。吉。
精読
九四も九二と同じく「訟に克たず」、諸侯は天子に勝てない。だが九四は陽が柔位にあり、剛の中に柔を含み、初六と正応するので、自ら争う必要がない。六三・九四・九五は互巽で、巽は風であり命令でもあるので「復りて命に即く」。本来の役割に戻り、九五の裁きを受け入れる。「渝」は変わること。小象は「失わざるなり」という。考えを改めて正道に安んじれば、本分を失わない。
もう一層深く
九四「訟に克たず、復りて命に即く」。六三・九四・九五は互巽で、巽は風、風は命令を表す。九四は君の近臣で、同じ乾のなかにいる。勝てないと知れば引き返して上の命を受け、態度を改めて正道に安んじる。
この爻を得たら
争い続けても実りはない。考えを改めて妥当な裁定を受け入れ、自分の持ち場に戻って務めれば、かえって危うさが安らぎに転じる。
九五訟,元吉。訟へて元いに吉。
現代語で
訟、元吉。
精読
九五は陽が剛位にあって上卦の中を得、中正を兼ねる。卦辞にいう「大人」である。小象は「中正を以てなり」という。争いがなぜ「元吉」なのか。人の世から争いはなくならないが、公正で明察な裁き手がいれば、善悪は報われ是非は明らかとなり、社会は安定する。これに勝る吉はない。「元吉」は易全体でも多くなく、ここでは特に味わい深い。
この爻を得たら
争いの中にいるなら、まず公正な裁き手がいるかを見よ。自分がその裁き手なら、中正無私を守ること。
閻羅包老
北宋の包拯は開封府の政務を預かり、権貴をはばからず法を執った。《宋史・包拯伝》によれば、彼は剛直で笑うことが少なく、人々はその笑顔を黄河が澄むことにたとえた。都では「関節到らず、閻羅包老有り」、つまり裏口や口利きは包公には通じない、と言われた。また役所の正門を開き、訴える者が胥吏を介さず直接堂前で申し立てられるようにした。後世「包青天」と敬われたのは、まさに九五の中正なる大人の姿である。
上九或錫之鞶帶,終朝三褫之。或いは之に鞶帯を錫ふも、終朝に三たび之を褫はる。
現代語で
或いは之に鞶帯を錫うも、終朝に三たび之を褫わる。
精読
上九は陽が柔位にあって位を得ず、訟の頂点にいる。争い抜いて勝ち、褒賞を得た姿だ。だが乾の最上にあり、亢ぶれば必ず悔いがあり、勝っても怨みを残す。鞶帯は朝服の大帯、「終朝」は一日のうちのこと。乾は昼であり、三陽は「三たび褫わる」の数に応じる。小象は「訟を以て服を受く、亦た敬するに足らざるなり」という。争って得た地位は栄誉とならず、保つこともできない。
もう一層深く
上九「或いはこれに鞶帯を錫う、終朝に三たびこれを褫わる」。乾は衣であり、また白昼である。訴えで勝ち取った官服の帯は、ひと朝のうちに三度も奪われる。上爻は行き詰まりの位置で、争って得た栄誉はとどまらない。
この爻を得たら
たとえ勝っても、得たものは長続きせず、わだかまりが残る。勝ち負けにこだわりすぎず、よいところで引くことだ。
書き下し文は本サイトによる。明治・大正期の公有訓読(漢文叢書『詩経書経易経』1922年、国立国会図書館デジタルコレクション)と照合した。
故事 典
虞芮の訟
《史記・周本紀》によれば、西伯(のちの周の文王)の時代、虞と芮の人々が争いを決しかね、そろって周へ赴き西伯に裁きを求めた。周の国境に入ると、耕す者は互いに畔を譲り合い、民はみな年長者に譲っていた。二国の人は西伯に会う前から恥じ入り、「我らが争うことは、周の人が恥とすることだ。行ってどうする、恥をかくだけだ」と言い合った。そして引き返し、互いに譲って争いをやめた。諸侯はこれを聞き、西伯こそ天命を受ける君であろうと言った。孔子の「必ずや訟無からしめんか」という理想が、ここに具体的な姿を見せている。
一枚の契約書
ある人が研修会社から長期講座を依頼され、契約前に占うと訟が出た。卦辞の「中ほどにして吉、終われば凶」は波乱を示す。大象の「事を作すに始めを謀る」に従い、講座が開けなかった場合は責任ある側が相手に報酬の一割を支払う、と詳しい契約を結んだ。のちに会社は楽観が過ぎて受講料を高く設定し、受講者が集まらず中止となって、契約どおり賠償することになった。先方が詫びて減額を願うと、彼は追い詰めず半額で済ませた。初めに決まりを明らかにしておけば、後の争いは少ない。取引は成らずとも、情は残った。
人生への示唆 悟
訟は争いが人の世の常であることを認めつつ、争いは長引かせてはならず、成し遂げようとしてもならないと戒める。剛柔を兼ね控えめな者は身を全うし、強硬に押し通し下から上に挑む者は多く自ら災いを招く。最善は「事を作すに始めを謀る」こと、起こりうる衝突を初めに考え抜いておくことだ。それでも争いが起これば、よいところで収め、公正な裁きを求めて尊重する。争って得たものは、所詮貴ぶに足りない。