卦名 名
家人(かじん)とは一家の人々であり、主題は家の道である。家族の一人ひとりがどう自分の位に安んじ、その名分を尽くすか。情愛だけでなく、規律・誠信・率先垂範を説く。
卦象 象


上卦は巽(風)、下卦は離(火)。火は内で光と熱を放ち、風がそれを外へ運ぶ。家の温もりが内から外へ広がる姿であり、修身・斉家を経て治国・平天下に至る順序でもある。巽は長女、離は中女、家の中の成熟した女性たち。内の六二と外の九五が二つの中位で正応し、きわめて安定した卦である。
取象の重なり 層
一つの卦はいくつもの層で読める。八卦は一家の人々(父母・長中少の男女)、六爻は組織の位(新人から君主まで)、さらに自然現象や動物にもなる。層を一つ重ねるごとに、爻辞の意味が深まる。
一家として見る
長女と中女のことは卦象ですでに述べた。六爻を見れば、家全体がそこにある。「彖伝」は「女は位を内に正し、男は位を外に正す」という。六二は内卦の中にいて家事を司る妻・母、九五は外卦の中にいて一家の主である。両者は正応し、ともに位が正しい。だから「彖伝」は続けて家人に「厳君」ありといい、それは父だけでなく父母二人を指す。父は父、子は子、兄は兄、弟は弟、夫は夫、婦は婦と、それぞれがその位を守ってこそ家の道は正しい。
六二「遂ぐる攸なし、中饋に在り、貞にして吉」。六二は下卦の離、すなわち火にあり、六二・九三・六四の互坎、すなわち水のなかにもいる。水と火がそろえば、台所で三度の食事を作る姿である。自分の成果を誇らず、家族の食事と日々の暮らしを整える。それが家の中心である。
九三「家人嗃嗃たり、厲しきを悔ゆれども吉。婦子嘻嘻たれば終に吝」。九三は離、すなわち目にあり、互坎、すなわち水のなかにもいる。目に水があれば涙である。厳しく叱られた家族が泣くのかもしれず、叱ったあと自分が涙するのかもしれない。甘やかすより厳しいほうがよい。厳しさには悔いもあるが、なれ合いの笑いよりは結果がよい。
九五「王、有家に仮る、恤うるなかれ、吉」。五は一家の主、一国の君である。九五はすでに互坎(憂いを加える)を離れているので「恤うるなかれ」、それまでの心配をここで下ろせる。家長は情によって家族を動かし、もう厳しさに頼らない。「小象」は「交ごも相愛す」という。
上九「孚有りて威如たり、終に吉」。上爻は家の長老で、もう日々の細かなことには関わらない。最後に家族全員を心服させるのは、誠実さと、自らを重んずる威儀である。言ったことを守り、自分がまず実行すること。
家人を逆さにすると火沢睽になる。巽が兌に替わり、長女が消えて中女と少女だけが残る。「序卦伝」は「家道窮まれば必ず乖く」といい、家人の次は乖離である。最も親密な時にも、家は離れうることを思うべきだ。離れてから戻ろうとするなら、頼りになるのはやはり家人の卦にある誠実さと節度である。
家人の二~四爻は坎、三~五爻は離で、合わせて火水未済となる。家の内なる務めは終わる日がない。子は育ち、親は老い、役割は変わり続ける。だから何度でも調え直さねばならず、一度落ち着けばそれで済むと思ってはならない。
序卦 序
傷於外者,必反其家,故受之以家人。
「序卦伝」に「外に傷るる者は必ず其の家に反る。故に之を受くるに家人を以てす」とある。明夷は外の世界、仕官の場で受ける傷であった。傷を負えば家に帰り、癒やして立て直す。
卦辞 辭
家人:利女貞。
家人は、女の貞しきに利し。
卦辞は「女の貞に利ろし」。古くは男は外、女は内を主とし、女性が家の軸であったから、女性が正しければ一家の気風も正しくなる。男性がこの卦を得ても戸惑うことはない。人は時に内の位に立つことがあり、そのときはまず控えて家を整えればよい。家庭の分担は今では変わったが、「内を守る者が正しければ家全体が益を受ける」という理は変わらない。
彖伝 彖
彖曰:家人,女正位乎內,男正位乎外,男女正,天地之大義也。家人有嚴君焉,父母之謂也。父父,子子,兄兄,弟弟,夫夫,婦婦,而家道正;正家而天下定矣。
「彖伝」は言う。女は位を内に正し、男は位を外に正す。これは天地陰陽の大義にかなう。「家人に厳君有り、父母の謂なり」。厳君とは父母二人であって父だけではなく、双方が原則を持って協力せねばならない。「父は父たり、子は子たり、兄は兄たり、弟は弟たり、夫は夫たり、婦は婦たり」。前の字は身分、後の字はその基準である。家道正しければ天下は定まる。
大象 象
象曰:風自火出,家人;君子以言有物,而行有恆。
「風、火より出づるは家人なり。君子以て言に物有りて、行いに恒有り」。言葉には実質があり空言を吐かず、行いには常があり朝令暮改しない。言と行は人の最も基本的な現れであり、家で通用するものは世間でも通用する。
六爻 爻
主爻 六二と九五が主爻である。「女は位を内に正す」は六二、「男は位を外に正す」は九五を指し、ともに中正で相応じ、家全体を支える。
六爻の道筋:下から上へ
初九「閑ぎて家を有つ」、家ができたばかりの時にまず決まりを立てれば、悔いはおのずと消える。六二は家にあって食事と暮らしを整え、正しくて吉。九三は内卦の頂で躾が厳しく、悔いや危うさはあっても、なれ合いの笑いよりはよい。六四は外卦に入り、柔順によって家を豊かにし、大吉。九五は一家の主として情で家族を動かし、もう心配はいらない。上九は家の長老で、誠実と威儀で全体を締めくくり、終に吉。
初九閑有家,悔亡。有家を閑ぐ。悔亡ぶ。
現代語で
初めから家に閑いを設ければ、悔いは消える。
精読
初九は陽が陽位にあって当位、事に当たる力があり、六四と正応する。家を治める始まりである。「閑」は防ぐことで、「邪を閑ぎて其の誠を存す」の閑である。情で結ばれた家族の間ほど悔いは生じやすいから、習慣が固まる前の最初に規律を立てる。小象「志未だ変ぜざるなり」。心が変わらぬうちに定めるのが最も楽である。
この爻を得たら
家庭でも組織でも、規律は早く明確に立てること。事前の備えは事後の手当てにまさる。
六二无攸遂,在中饋,貞吉。遂ぐる攸无し。中饋に在り。貞にして吉。
現代語で
遂ぐる攸无く、中饋に在り。貞にして吉。
精読
六二は陰が陰位にあり中正、九五と応じ、家人卦の重心である。下の離(火)の中にあり、互坎(六二・九三・六四、水)の中にもある。水火相済うのは煮炊きの象で、転じて家計を預かることになる。「遂ぐる攸无し」とは勝手をしないこと。家計を思うままに費やせば家は続かない。小象「順にして以て巽なればなり」。柔順でよく従うから吉である。
もう一層深く
六二「遂ぐる攸なし、中饋に在り、貞にして吉」。六二は下卦の離、すなわち火にあり、六二・九三・六四の互坎、すなわち水のなかにもいる。水と火がそろえば、台所で三度の食事を作る姿である。自分の成果を誇らず、家族の食事と日々の暮らしを整える。それが家の中心である。
この爻を得たら
本分を守り、日々の基本の世話を着実に行う。今は気ままや見栄を張る時ではない。
九三家人嗃嗃,悔厲吉;婦子嘻嘻,終吝。家人嗃嗃たり。厲ふきを悔ゆれども吉。婦子嘻嘻たれば、終に吝。
現代語で
家人嗃嗃たり、悔ゆるも厲うくして吉。婦子嘻嘻たれば、終に吝。
精読
九三は陽が陽位にあり下卦の極、家を治めるには寛より厳がよい。離(目)の中、互坎(水)の中にあり、目の中の水は涙である。叱られた者の涙とも、叱った者自身の涙とも取れる。小象は、厳しい声は「未だ失わざるなり」、家の規律はまだ失われていない、嬉々たる放任は「家の節を失うなり」と言う。今日では打つべきではないが、誤りはすぐ正すという厳しさは欠かせない。要はそれが思いやりから出ることである。
もう一層深く
九三「家人嗃嗃たり、厲しきを悔ゆれども吉。婦子嘻嘻たれば終に吝」。九三は離、すなわち目にあり、互坎、すなわち水のなかにもいる。目に水があれば涙である。厳しく叱られた家族が泣くのかもしれず、叱ったあと自分が涙するのかもしれない。甘やかすより厳しいほうがよい。厳しさには悔いもあるが、なれ合いの笑いよりは結果がよい。
この爻を得たら
寛より厳。原則を貫けば一時の緊張は避けられないが、思いやりから出ていれば相手はやがて理解する。甘やかし続けることこそ禍根である。
顔之推の治家論
北斉の顔之推は『顔氏家訓』で子の教えと家の治め方を論じた。「父母威厳にして慈有れば、則ち子女畏慎して孝を生ず」。威厳と慈愛は相反するものではなく、ともに必要である。治家篇ではさらに家を国にたとえ、家で叱責を廃すれば子の過ちはたちまち現れ、国で刑罰が当を得なければ民は手足の置き所もない、と言う。九三の「嗃嗃」と「嘻嘻」の分かれ目がここにある。
六四富家,大吉。家を富ます。大吉。
現代語で
家を富ます。大吉。
精読
六四は陰が陰位にあって当位、下は初九と応じ、上は九五を承け、上下に支えがある。上卦の巽に入り、巽は「利に近きこと市三倍」の象であるから家業が栄える。巽はまた順で、小象の「順にして位に在ればなり」に合う。「大吉」は「元吉」に次ぐ吉で、経文中にそう多くない。下卦三爻で家内の事を整えた結果が、六四で「家和して万事興る」となって現れる。
この爻を得たら
家業や家計は好転の兆しにある。要は自分の位に安んじ、上下と和して協力することで、無理に攻めることではない。
九五王假有家,勿恤。吉。王有家に仮る。恤ふる勿れ。吉。
現代語で
王、有家に假る。恤うる勿れ。吉。
精読
「假」は「格」と読み、至る・来るの意。九五は陽が陽位にあり中正で君位にあり、六二と応じ、修身と斉家を兼ね、家を国の次元にまで高める。すでに互坎(憂いを加える)を出ているので「恤うる勿れ」。小象「交ごも相愛するなり」。上下が互いに親しむ。一家がそうであれば天下もそうなりうる。
もう一層深く
九五「王、有家に仮る、恤うるなかれ、吉」。五は一家の主、一国の君である。九五はすでに互坎(憂いを加える)を離れているので「恤うるなかれ」、それまでの心配をここで下ろせる。家長は情によって家族を動かし、もう厳しさに頼らない。「小象」は「交ごも相愛す」という。
この爻を得たら
憂いは下ろしてよい。身近な人に真心からの思いやりで接すれば、上下は自然に親しむ。
交相愛と兼相愛
小象の「交ごも相愛す」は、墨子の「兼ねて相愛し、交ごも相利す」と一字違いである。墨家は愛に差別を設けず万人を等しく扱うことを説き、儒家は愛に等差があり、親しい者から始めて外へ推し及ぼすと考えた。孟子は「墨氏の兼愛は、是れ父を無みするなり」と批判した。一碗の飯しかなく、自分の母と隣家の老婆がともに飢えているとき、まったく区別するなと言われては、人情の置き所がない。家人卦の相愛は最も近い家族から始めて外へ広げるもので、斉家から治国へという儒家の道筋である。
上九有孚威如,終吉。孚有りて威如たり。終に吉。
現代語で
孚有りて威如たり。終に吉。
精読
上九は卦の終わりにあり、陽が陰位にあって不当位、九三とは陽同士で応じない。だが卦全体を締めくくる爻で、陽爻は実なので「孚有り」、天位にあるので「威如」。家族の間柄は恩情だけでは足りず、信義が要る。年長者の威厳も名分だけでは成り立たず、まず自らを律さねばならない。小象「身に反るの謂なり」。すべては己の修養に帰る。
もう一層深く
上九「孚有りて威如たり、終に吉」。上爻は家の長老で、もう日々の細かなことには関わらない。最後に家族全員を心服させるのは、誠実さと、自らを重んずる威儀である。言ったことを守り、自分がまず実行すること。
この爻を得たら
人に求める前に自分に求めること。約束を守り身をもって示すことで築いた威信こそ長続きする。
書き下し文は本サイトによる。明治・大正期の公有訓読(漢文叢書『詩経書経易経』1922年、国立国会図書館デジタルコレクション)と照合した。
故事 典
君は君たり、父は父たり
『論語』顔淵篇に、斉の景公が孔子に政を問うた話がある。孔子は「君は君たり、臣は臣たり、父は父たり、子は子たり」と答えた。景公は「善いかな。信に如し君、君たらず、臣、臣たらず、父、父たらず、子、子たらずんば、粟有りと雖も、吾得て諸を食らわんや」と言った。簡潔な答えだが、秩序の根本を突いている。名分にはそれぞれ基準が伴い、名実が一致してはじめて国は治まる。「彖伝」の「父は父たり、子は子たり、兄は兄たり……」は、この理を家に引き戻し、家の正しさから天下の安定へと推し及ぼすものである。
是れも亦た政を為すなり
『論語』為政篇に、ある人が孔子に「子奚ぞ政を為さざる」と問うた。孔子は『書』を引いて「孝なるかな惟れ孝、兄弟に友に、有政に施す」と言い、「是れも亦た政を為すなり。奚ぞ其れ政を為すことを為さん」と答えた。官に就かなくとも、家での孝と友愛が広がれば、それ自体が政治である。家人の大象「風、火より出づ」に重なる。家の中の温もりが火のように灯り、風に乗って外へ伝わる。その感化こそが一つの治めなのである。
人生への示唆 悟
家人卦の六爻は多くが吉で凶の字はないが、どこにも条件がある。規律は早く立て、家計を気ままに使わず、躾は寛より厳、威信は身に反ることから生まれる。家族の間では情が原則に取って代わりやすく、情ゆえに悔いも生じやすい。家道の要は名分の高下ではなく、一人ひとりが本分を尽くし、言に物あり行いに恒あることにある。社会の安定は、結局一つひとつの家と、一人ひとりの修養から始まる。