明夷
36 / 64 · 下経
明夷地火明夷(ちかめいい)
光は地に没す、晦まして正を守る
傷つく光韜晦艱貞

卦名 名

明は光、夷は傷つくこと。明夷(めいい)とは光が傷つけられ、覆い隠されることである。「雑卦伝」は「明夷は誅なり」と言う。光が滅ぼされ、天下は夜となる。

卦象 象

坤上卦 · 地 · 順
離下卦 · 火 · 麗

上卦は坤(地)、下卦は離(火・日)。太陽が地の底に沈み、地上は真っ暗である。晋の裏返しで、晋が明君の下に賢者の並び進む時なら、明夷は暗君の下で明ある者が傷つく時である。下の三爻は外の諸侯・臣下、上の三爻は暗い宮廷そのものに巻き込まれた人々を表す。

取象の重なり 層

一つの卦はいくつもの層で読める。八卦は一家の人々(父母・長中少の男女)、六爻は組織の位(新人から君主まで)、さらに自然現象や動物にもなる。層を一つ重ねるごとに、爻辞の意味が深まる。

一家として見る

下卦の離は中女、上卦の坤は母である。光を持つ娘が、重い大地にすっぽり覆われている。ここでの坤は、やさしく包む母ではなく、すべてを覆い隠す闇、群衆の沈黙である。光ある人が光の届かぬ所にいるとき、何より大切なのは光をしまって守ることだ。「大象」はこれを「晦を用いて明らかなり」という。

動物・取象 初爻

初九「明夷りて于に飛ぶ、その翼を垂る」。離は雉、鳥である。初九は闇から最も遠く、最も早く異変に気づき、傷ついた鳥が翼を垂れて急ぎ飛び去るようだ。道中ひもじく、人にとやかく言われても、とどまりはしない。

互卦 二爻

六二「明夷る、左の股を夷る。用て拯うに馬壮んなれば吉」。明夷は小過から変じたもので、小過の互巽は股であり、九四が下りると互巽が消えるので股が傷つく。明夷になると、六二は六二・九三・六四の互坎のなかにいる。坎は背の美しい馬で、力強く、傷ついた者を闇から救い出せる。

君臣・爻位 三爻

九三「明夷りて南に狩し、その大首を得たり。疾く貞すべからず」。この卦で闇をつくるのは五ではなく上六、坤の最後の爻である。九三は離にあり、離は南。上六と正応し、間に陽爻の隔てがないので、元凶を直接討てる。だが上卦の坤は衆で、人心はすぐには変わらないから、急いではならない。

君臣・爻位 五爻

六五「箕子の明夷る、貞に利し」。五はふつう君位だが、明夷ではそうでない。本当の暗君は上六である。六五は暗君のすぐそばにいるその一族の箕子で、去ることも直言することもできず、狂を装って光を隠し、内には正道を守った。闇の中心のそばにいる者は、遠くにいる者よりも知恵が要る。

綜卦

明夷を逆さにしても、上下の卦を入れ替えても、火地晋になる。晋は日の出、君明らかに臣従う。明夷は日没、君暗く臣傷つく。同じ光と地で、どちらが上か下かの違いにすぎない。明夷にあって晋を思うこと。今の夜は次の朝の前提であり、守るべきはその光である。再び昇るまで。

互卦(卦)

明夷の二~四爻は坎、三~五爻は震で、合わせて雷水解となる。闇の内側にすでに「解」がひそむ。初九の出奔、六二の救出、九三の南狩、六四の出門は、どれも闇から一歩ずつ抜け出していく過程である。

序卦 序

進必有所傷,故受之以明夷;夷者傷也。

「序卦伝」に「進めば必ず傷る所有り、故に之を受くるに明夷を以てす。夷とは傷なり」とある。進み続ければいつか傷を負う。昇りきった光は、次に沈むのである。

卦辞 辭

明夷:利艱貞。

明夷は、艱しみて貞なるに利し。

卦辞はわずか三字、「艱貞に利ろし」。艱難の中で正を守るのがよい。多くの卦は「貞に利ろし」とだけ言うが、ここではわざわざ「艱」を加え、状況の険しさを示す。それでも『易経』は最も暗い時に気を落とさない。時勢は選べないが、構えは選べるのである。

彖伝 彖

彖曰:明入地中,明夷。內文明而外柔順,以蒙大難,文王以之。利艱貞,晦其明也,內難而能正其志,箕子以之。

「彖伝」は珍しく二人の歴史上の人物を名指す。「内は文明にして外は柔順、以て大難を蒙る。文王之を以てす」。文王は内に光を抱き、外は従順にして羑里の幽囚に耐えた。「内難にして能く其の志を正しくす。箕子之を以てす」。箕子は紂の叔父で、災いは身内から来た。それでも志を守ったのであり、こちらのほうがいっそう苦しい。

大象 象

象曰:明入地中,明夷;君子以蒞眾,用晦而明。

「明、地中に入るは明夷なり。君子以て衆に莅むに、晦を用いて明らかなり」。人を治めるとき、鋭さをしまっておけば、かえって実情が自ずと現れる。上が細かく詮索すれば下はことごとく身構え、寛く構えて咎め立てしなければ、人は安心して本音を見せる。『老子』に「其の政悶悶たれば其の民淳淳たり、其の政察察たれば其の民缺缺たり」とある。

六爻 爻

主爻 箕子の名を掲げる六五が、明夷の時の身の処し方を示す主爻である。一方、闇を生み卦全体の責を負うのは、上六に当たる殷の紂王である。

六爻の道筋:下から上へ

初九は最も早く闇の到来を察し、翼を垂れて飛び去り、道中ひもじくともとどまらない。六二はすでに傷ついたが、強い馬で逃れ、なお吉。九三は下卦の頂で南へ征し、闇の首魁を直接討つが、人心がすぐ変わることを求めてはならない。六四は上卦に入り、左の腹に深く入って闇の心を見抜き、門を出ていく。六五は暗君のそばで箕子のように光を隠し、正道を守る。上六は「明らかならずして晦し」、闇そのものが初めは天に登り、のちに地に入って、自ら崩れていく。

初九明夷于飛,垂其翼。君子于行,三日不食,有攸往,主人有言。明夷る、于に飛びて其の翼を垂る。君子于に行きて、三日食はず。往く攸有れば、主人言有り。
位に当たる第4爻と応ず
小象 君子于行,義不食也。
現代語で

闇の中を飛び、翼を垂れる。君子は旅立ち、三日食わず。往く所あれば、主人に言あり。

精読

初九は陽が陽位にあって当位、六四と正応し、去る勢いがあるので「飛ぶ」と言う。だが時勢は険しく、「其の翼を垂る」、目立たぬよう身を守るしかない。小過からの卦変で見れば、小過の九四が三位下って初九となるので「三日」、もとの互兌(口)が消えるので「食わず」、主人にも小言が出る。小象「義として食わざるなり」。去ると決めた者は禄にこだわらない。

もう一層深く
動物・取象

初九「明夷りて于に飛ぶ、その翼を垂る」。離は雉、鳥である。初九は闇から最も遠く、最も早く異変に気づき、傷ついた鳥が翼を垂れて急ぎ飛び去るようだ。道中ひもじく、人にとやかく言われても、とどまりはしない。

この爻を得たら

よくない環境を離れるなら、静かに去る。代価を払う覚悟をし、上の不満に動じないこと。

賢者、西へ奔る

殷末、紂の暴政のもとで、多くの才徳ある人々が東を去って西の周へ身を寄せた。『孟子』離婁上によれば、伯夷は紂を避けて北海のほとりに住み、文王が興ったと聞いて「盍ぞ帰せざる。吾聞く、西伯は善く老を養う者なりと」と言った。太公望も東海のほとりで同じく動いた。孟子は二人を「天下の大老」と呼び、彼らが周に帰すると天下の父子もこれに従ったという。西伯の声望は高まり、それがまた紂の猜疑を招いた。

《孟子・離婁上》
六二明夷,夷于左股,用拯馬壯,吉。明夷る。左の股を夷る。用て拯ふに馬壮んなれば吉。
位に当たる中を得る第5爻と応ぜず剛に乗る
小象 六二之吉,順以則也。
現代語で

闇の中、左の股を傷つく。壮んなる馬を用いて拯う。吉。

精読

六二は陰が陰位にあり、中正を得る。卦中ただ一つ「吉」と言う爻である。小過から見れば、互巽(巽は股)が九四の下降で消えるので「左股」を傷つく。いま六二は互坎(六二・九三・六四)の中にあり、坎は背の美しい馬であるから救われる。小象「順にして以て則あるなり」。外は従順、内は法則を守るので、傷を負いつつも危地を脱する。伝統的にこの爻を周の文王とする。

もう一層深く
互卦

六二「明夷る、左の股を夷る。用て拯うに馬壮んなれば吉」。明夷は小過から変じたもので、小過の互巽は股であり、九四が下りると互巽が消えるので股が傷つく。明夷になると、六二は六二・九三・六四の互坎のなかにいる。坎は背の美しい馬で、力強く、傷ついた者を闇から救い出せる。

この爻を得たら

すでに傷を負っているかもしれないが、救いがないわけではない。従順でありつつ原則を失わず、信頼できる助けを借りて抜け出す時を待つ。

羑里の幽囚と文馬

『史記』周本紀によれば、崇侯虎が紂に讒言し、西伯は善を積み徳を重ね、諸侯がみな彼に向かっていると告げた。紂は西伯を羑里に囚えた。閎夭らは有莘氏の美女、驪戎の文馬、有熊の九駟などの珍宝を求め、紂の寵臣を通じて献上した。紂は大いに喜び、一つだけでも釈放に足るのにこれほどとは、と言って西伯を赦し、さらに弓矢斧鉞を賜って征伐の権を与えた。左股を傷つけながら「壮んなる馬」に救い出され、周の形勢はここで一変する。

《史記・周本紀》
九三明夷于南狩,得其大首,不可疾貞。明夷る、南に狩して其の大首を得。疾く貞にすべからず。
位に当たる第6爻と応ず
小象 南狩之志,乃大得也。
現代語で

闇の中、南に狩りして其の大首を得。疾くすべからず、貞なれ。

精読

九三は陽が陽位にあって当位、下の離の極にあり、内に光を抱き行動力もある。離は南方なので「南に狩る」。上六と正応し、間に陽爻の隔てがないので、「大首」たる上六に直に迫れる。だが上の坤は衆であり、天下は一夜にして変わらない。ゆえに「疾くすべからず」。小象「南狩の志は乃ち大いに得るなり」。「志」はまだ果たされていないこと、「乃ち」は後になって大いに得ることを示す。伝統的に周の武王とする。

もう一層深く
君臣・爻位

九三「明夷りて南に狩し、その大首を得たり。疾く貞すべからず」。この卦で闇をつくるのは五ではなく上六、坤の最後の爻である。九三は離にあり、離は南。上六と正応し、間に陽爻の隔てがないので、元凶を直接討てる。だが上卦の坤は衆で、人心はすぐには変わらないから、急いではならない。

この爻を得たら

目標は正しく力もあるが、時はまだ熟していない。志を定め、条件を整え、速成を求めないこと。

孟津の観兵

『史記』周本紀によれば、武王即位九年、文王の木主を車に載せて東に進み、孟津で兵を閲した。期せずして会した諸侯は八百、口々に「紂伐つべし」と言った。武王は「女未だ天命を知らず、未だ可ならず」と言って兵を返した。その二年後、紂が比干を殺し箕子を囚え、殷の忠臣が死に、あるいは去ってから、武王はようやく軍を起こし、牧野の一戦で事を決した。九三の「疾くすべからず」とは、まさにこの待つ間合いである。

《史記・周本紀》
六四入于左腹,獲明夷之心,于出門庭。左の腹に入りて、明夷の心を獲、于に門庭を出づ。
位に当たる第1爻と応ず剛に乗る
小象 入于左腹,獲心意也。
現代語で

左腹に入り、明夷の心を獲て、門庭を出づ。

精読

六四は陰が陰位にあって当位、初九と正応する。上の坤は腹で、六四は下から入れ替わって上がってきたので「左腹に入る」。また互坎の中にあり、坎は心の病であるから、暗君の心底を見抜く。小象「心意を獲るなり」。中枢にいるからこそ、もはや手の施しようがないと最もよく知り、去るのである。伝統的に紂の兄・微子とする。

この爻を得たら

中枢の真相を見てしまった。挽回できないと確かめたなら、守るべきものを守って静かに離れる。

六五箕子之明夷,利貞。箕子の明夷なり。貞しきに利し。
主爻位に当たらず中を得る第2爻と応ぜず
小象 箕子之貞,明不可息也。
現代語で

箕子の明夷、貞に利ろし。

精読

六五は上卦の中にあり、光を押さえる坤の地の内にいる。陰が陽位にあり、柔らかく中を守るが、六二と応じず、進退の道がない。『易経』は暗君をこの五位に置かず、箕子を置いた。彼が智慧を守ったからである。「箕子の明夷」は、箕子が自らの光を晦ましたとも読める。小象「明は息むべからざるなり」。光は消してはならず、未来へ残すのである。

もう一層深く
君臣・爻位

六五「箕子の明夷る、貞に利し」。五はふつう君位だが、明夷ではそうでない。本当の暗君は上六である。六五は暗君のすぐそばにいるその一族の箕子で、去ることも直言することもできず、狂を装って光を隠し、内には正道を守った。闇の中心のそばにいる者は、遠くにいる者よりも知恵が要る。

この爻を得たら

苦境にあって出口は少ない。鋭さを表に出さず、自分と守るべき価値を保ち、それを伝えられる日を待つ。

上六不明晦,初登于天,後入于地。明ならずして晦し。初めは天に登り、後には地に入る。
位に当たる第3爻と応ず
小象 初登于天,照四國也。後入于地,失則也。
現代語で

明ならずして晦し。初めは天に登り、後には地に入る。

精読

上六は陰が陰位にあって形の上では当位だが、坤を完成させる爻で、闇の源そのものである。九三と応じ、九三が「得る」べき「大首」に当たる。下の諸爻は「明夷」と言うが、ここでは端的に「明ならずして晦し」。五・上は天の位で、天子として本来「四国を照らす」はずが、「地に入る」のは「則を失う」からである。最大の光が最も深い闇となった。伝統的に殷の紂王とする。

この爻を得たら

高みにある時の驕りを警戒すること。位が高いほど節度と法則を守らねば、昇った分だけ墜ちる。

書き下し文は本サイトによる。明治・大正期の公有訓読(漢文叢書『詩経書経易経』1922年、国立国会図書館デジタルコレクション)と照合した。

故事 典

箕子――佯狂と洪範

『史記』宋微子世家によれば、紂が象牙の箸を使い始めたとき、箕子は嘆いた。象牙の箸には玉の杯が要る。玉の杯ができれば遠方の珍味を求める。車馬宮室の奢りはここから始まり、もう立ち直れまい、と。やがて紂の淫楽がつのり、箕子の諫めは聞かれなかった。去るよう勧める者に、彼は答えた。「人臣たりて諫めて聴かれずして去るは、是れ君の悪を彰らかにして自ら民に説ばるるなり。吾忍びて為さず」。そして髪を振り乱して狂を装い奴となり、隠れて琴を弾じて自らを悲しんだ。これが「箕子操」として伝わる。殷が滅ぶと武王は治国の道を箕子に問うた。箕子は殷を語らず、天が禹に授けた「洪範九疇」を語り、それが『尚書』洪範篇となった。光は地に埋もれても消えはしなかった。

《史記・宋微子世家》;《尚書・洪範》

殷に三仁あり

『論語』微子篇の冒頭に「微子は之を去り、箕子は之が奴と為り、比干は諫めて死す。孔子曰く、殷に三仁有り」とある。三人とも紂の近親で、同じ暗君を前にそれぞれ別の道を選んだ。兄の微子は事態を見限って朝廷を去り、宗廟の祭祀を保った。その子孫は宋に封ぜられ、孔子の祖先は宋から出ている。比干は強く諫め続け、『史記』殷本紀によれば紂は怒って「吾聞く、聖人の心に七竅有りと」と言い、その心を剖いた。箕子は狂を装い、智慧を守った。孔子は三人をみな「仁」と認める。闇の中で正を守る道は一つではなく、要は心を失わないことである。明夷の六四と六五は、微子と箕子に当たる。

《論語・微子》;《史記・殷本紀》

明夷待訪録

明末清初の黄宗羲は亡国の痛みを経て『明夷待訪録』を著した。書名はこの卦に由来する。「明夷」は光が傷ついた時代、「待訪」は後世の明君が治道を尋ねに来るのを待つこと、まさに武王が箕子を訪ねたように。書は君主専制を批判し、「天下を主となし、君を客となす」と説く。黄宗羲は闇の中で空言を吐かず、思想を文字にして未来へ託した。これもまた「明は息むべからず」の一つの実践である。

黃宗羲《明夷待訪錄》

人生への示唆 悟

明夷には「凶」の字が一つもなく、六二の「吉」のほかは、ほぼ正を守れと言うのみである。人は時代を選べないが、闇の中でどう身を処するかは選べる。文王は忍び、微子は去り、箕子は狂を装い、武王は時を待った。光を韜み晦ますのは消極ではなく、光を一撃で消されぬよう守ることである。闇の根はたいてい上に立つ者の驕りにある。どの位にあっても、本当の修養は「内は文明にして外は柔順」、心の明を守ることだ。

関連する卦 通