卦名 名
「解」は角・刀・牛から成り、刀で牛の角を切り分けることをもとの意味とする。そこから、ほどく、解く、和らげるの意になった。〈序卦〉は「緩」と訓じ、張りつめた局面がゆるむことをいう。「懈」と同じく読む説もあるが、「解決」の解として読むのがよい。気がゆるめば、すぐ問題が起こるからである。
卦象 象


下卦は坎で水・険、上卦は震で雷・動。〈彖伝〉に「險以動、動而免乎險」とある。動けば下の険から抜け出せる。水雷屯(ちゅん)と比べるとよい。屯では雨はまだ雲の中にあり、困難が醸成されつつある。解では雷雨がすでに降り、わだかまりが解けていく。天地の気が交わり、雷雨が起こって、万物がふたたび動き出す。
取象の重なり 層
一つの卦はいくつもの層で読める。八卦は一家の人々(父母・長中少の男女)、六爻は組織の位(新人から君主まで)、さらに自然現象や動物にもなる。層を一つ重ねるごとに、爻辞の意味が深まる。
一家として見る
下卦の坎は中男、上卦の震は長男である。中男は険に陥り、長男は上で奮い立って動く。「彖伝」は「険にして以て動き、動きて険を免る」という。弟が難局にはまり、兄が手を出して引き上げるようなものだ。雷雨が来て、長く淀んでいた空気がようやく晴れる。解の要は時を逃さず動くことと、片がついたら早く平常に戻り、ぐずぐず引き延ばさないことにある。
九二「田して三狐を獲、黄矢を得たり、貞にして吉」。坎は狐で、下卦の坎と六三・九四・六五の互坎が重なり、初六・六三・六五の三陰にかかわるので、狐が三匹となる。九二は坎、すなわち弓にあり、九二・六三・九四の互離、すなわち戈兵にもいて、合わせて矢となる。黄は中央の色。まっすぐな手段で狡猾な者を取り除く。
六三「負い且つ乗る、寇の至るを致す、貞なるも吝」。荷を負うのは下人、車に乗るのは貴人である。六三は中でも正でもなく、下は坎、上も互坎で、坎は寇、盗賊がここに集まる。その位にふさわしくない者が車に乗り、しかも荷を背負ったままなら、奪ってくれと言うようなものだ。
九四「而の拇を解け、朋至りて斯に孚あらん」。九四は初六と応じ、初六は最下で足の親指にあたる。九四はまた不正の六三とも接している。本当の友が信をもってやって来るには、まず身近な小さなしがらみをほどかねばならない。
上六「公用て隼を高墉の上に射る、これを獲たり、利しからざるなし」。隼は猛禽で、要所に居座る禍いのたとえである。上六は最も高い所にあり、高い城壁の上に立つようだ。下の互離は戈兵、坎は弓で、合わせて弓矢となる。最後の一手は、高みに居座る禍根を一矢で射落とすことである。
解を逆さにすると水山蹇になる。蹇は険に遇って止まり、解は険に遇って動く。蹇の停止と結束があってこそ、解の一手がある。卦辞は「往く所なければ、その来たり復るは吉。往く攸あれば、夙くして吉」という。ほどけたあと、ぜひすべきことがなければ平常に戻り、すべきことがあれば早めに済ませて、蹇がぶり返さないようにする。
解の二~四爻は離、三~五爻は坎で、合わせて水火既済となる。ほどけたあと、内側はすでに各々がその位に就いた「既済」の形である。だが既済が最も恐れるのは油断だ。危機が解けたらすぐ秩序を戻し、同時に、いつまた乱れるかもしれないと心に留めておく。
序卦 序
物不可終難,故受之以解;解者緩也。
〈序卦伝〉に「物不可以終難、故受之以解。解者緩也」とある。険阻がいつまでも続くことはなく、蹇の後には必ず解が来る。蹇と解は互いに覆卦で、水山蹇をひっくり返せば雷水解になるから、二卦は対照して読むべきだ。いま行き詰まっている人も、自ら袋小路に入りさえしなければ、局面はいずれゆるむ。
卦辞 辭
解:利西南,无所往,其來復吉。有攸往,夙吉。
解は、西南に利し。往く所无ければ、其れ来り復りて吉。往く攸有れば、夙くして吉。
卦辞は、西南に利あり、往くところなければ来り復って吉、往くところあれば夙(はや)くして吉、という。「利西南」は蹇と同じく、柔順であれということだ。大難が解けかけたときの道は二つある。一つは事を起こさず、休養して正しい道を守ること。もう一つは、なお禍根が残るなら、時機を逃さず早めに片づけることだ。いちばんいけないのは、やると言いながら先延ばしにすることである。
彖伝 彖
彖曰:解,險以動,動而免乎險,解。解利西南,往得眾也。其來復吉,乃得中也。有攸往夙吉,往有功也。天地解,而雷雨作,雷雨作,而百果草木皆甲坼,解之時義大矣哉!
〈彖伝〉はいう。険に遇って動き、動いて険を免れる、これが解である。西南に往けば衆を得る。「其來復吉、乃得中也」は、九二が三の位から二へ一歩退き、退いてかえって中を得たことを指す。早く往けば功がある。「天地解而雷雨作、雷雨作而百果草木皆甲坼」は、種が殻を破って芽を出すさまである。こうして「解之時義大矣哉」とたたえる。
大象 象
象曰:雷雨作,解;君子以赦過宥罪。
「雷雨作、解。君子以赦過宥罪」。雷雨の後に万物がよみがえるのを見て、君子は過ちを赦し、罪を寛く扱い、過ちを犯した者にもやり直す機会を与える。困難が解けるとき、もっとも解くべきは人と人とのわだかまりであることが多い。
六爻 爻
主爻 九二と九四がともに要の爻である。〈彖伝〉の「其來復吉、乃得中也」は、三の位から退いて中を得た九二を指す。九四は上卦の震にあり、解はここで初めて実際に動き出す。
六爻の道筋:下から上へ
初六は困難がほどけ始めたところで、柔順に守り、咎はない。九二は狩りに出て三匹の狐を獲り黄色の矢を得る。まっすぐな手段で狡猾な者を除く。六三は下卦の頂で、荷を負ったまま車に乗り、徳が位に見合わず、盗賊を招く。九四は上卦に入り、足の親指のような小さなしがらみをほどいてこそ、本当の友が信をもってやって来る。六五は君子が難局をほどくので、小人さえ心服して退く。上六は高い城壁の上から猛き隼を一矢で射落とし、最後の禍根が除かれて、利しからざるなし。
初六无咎。咎无し。
現代語で
咎なし。
精読
爻辞はわずか二字で、経全体でももっとも短いものの一つだ。初六は陰爻が陽位にあって力は乏しいが、上に九二を承け、九四と正応する。陰陽が接して頼るものがある。小象の「剛柔之際、義无咎也」は、剛柔の交わるところにいるから、当然咎はないという意味である。困難が解けたばかりのいま、何もする必要はない。
この爻を得たら
危機は過ぎたばかりだ。何かをする必要はない。分を守り、事態が落ち着くのを待て。
九二田獲三狐,得黃矢,貞吉。田して三狐を獲、黄矢を得。貞にして吉。
現代語で
狩りで狐三匹を獲り、黄色い矢を得る。貞にして吉。
精読
二は地の位で、地は田であるから狩りをいう。坎は狐を表す。九二は下卦の坎にあり、上にもう一つの互坎を見る。二つの坎にかかわる初六・六三・六五の三陰が「三狐」で、陰で禍をなす小人を象徴する。坎は弓、互離は戈兵で、合わせて矢となる。黄は中央の色である。九二は陽爻が陰位にあるが、中にいて六五と正応するので、小象は「得中道也」という。
もう一層深く
九二「田して三狐を獲、黄矢を得たり、貞にして吉」。坎は狐で、下卦の坎と六三・九四・六五の互坎が重なり、初六・六三・六五の三陰にかかわるので、狐が三匹となる。九二は坎、すなわち弓にあり、九二・六三・九四の互離、すなわち戈兵にもいて、合わせて矢となる。黄は中央の色。まっすぐな手段で狡猾な者を取り除く。
この爻を得たら
中道と正しさを守れば、ひそんだ禍根を除き、得るものもある。
六三負且乘,致寇至,貞吝。負ひ且つ乗る。寇の至るを致す。貞なれども吝。
現代語で
荷を背負ったまま車に乗り、盗賊を招く。貞であっても吝。
精読
六三は中にも正にもあたらず、九二の上に乗り、上六とも応じない。卦の欠点がすべてここに集まっている。もとは小過の下卦の艮に属し、艮は背、荷を負う象である。解に変わって坎の中に入ったが、坎は故障の多い車であり、盗でもある。だから「負且乘、致寇至」という。小象はこれを醜いとし、さらに「自我致戎、又誰咎也」、自ら招いた禍で誰も責められないという。
もう一層深く
六三「負い且つ乗る、寇の至るを致す、貞なるも吝」。荷を負うのは下人、車に乗るのは貴人である。六三は中でも正でもなく、下は坎、上も互坎で、坎は寇、盗賊がここに集まる。その位にふさわしくない者が車に乗り、しかも荷を背負ったままなら、奪ってくれと言うようなものだ。
この爻を得たら
身分に合わない振る舞いや、財を見せびらかすことは災いを招く。慎んで分をわきまえよ。問題の根は自分にある。
簒奪者の車
明末清初の王夫之は史書を論じる際、この爻を引いて、身の程をわきまえず名位をむさぼる者を批判した。同じ理で王朝交代を見れば、不正な手段で帝位を得るのは、荷を背負った下僕が貴人の車に乗り込むようなもので、誰の目にもふさわしくないと見抜かれ、狙う者が次々に現れる。曹丕は漢の献帝に禅譲を迫って魏を建てたが、数十年後には司馬氏が同じ手口で曹氏の天下を奪った。「致寇至」の理は、歴史の中で何度も証されてきた。
九四解而拇,朋至斯孚。而の拇を解け。朋至りて斯に孚あらん。
現代語で
汝の足の親指を解け。友が来て、互いに信が生まれる。
精読
九四は陽爻が陰位にあって位に当たらず、小象もはっきり「未當位也」という。上卦の震にあり、震は足、行くことであって、解はここで初めて動き出す。正応の初六は最下にいて足の親指のようであり、しかも下の坎に陥って九四の足を引いている。進むには、まずこの絆を解かねばならない。「朋」は上下に比する六三・六五で、絆が解ければ友は来て、互いに誠をもって交わる。
もう一層深く
九四「而の拇を解け、朋至りて斯に孚あらん」。九四は初六と応じ、初六は最下で足の親指にあたる。九四はまた不正の六三とも接している。本当の友が信をもってやって来るには、まず身近な小さなしがらみをほどかねばならない。
この爻を得たら
まず足を引っ張る人間関係や古い習慣を断て。そうすれば本当の助けが来る。誠をもって迎えよ。
友から友へ
知人の十歳の息子が行方不明になり、うろたえた人が占って解の九四を得た。解く者は「朋至」の二字に着目し、子どもの写真と情報を友人全員に送るよう勧めた。知らせは友から友へと広がり、ついに友人の友人で宿を営む人が子どもに気づき、両親に迎えに来るよう連絡した。解く者は日数を予言せず、問題は解ける、鍵は多くの人の助けだとだけ告げた。問いが違えば、同じ爻も読み方を変えねばならない。爻はつねに問われた事に即して読むのである。
六五君子維有解,吉;有孚于小人。君子維れ解くこと有れば吉。小人に孚有り。
異文 「君子維有解」は、一本に「惟」に作る。
現代語で
君子が難を解く。吉。小人にも信が及ぶ。
精読
六五は柔が尊位にあって中を得、下は九二と応じ、九四の上に乗る。二つの陽爻がいずれもかかわる。『易』では陽が君子、陰が小人である。二陽が誠をもって接するので、六五は心を開き、解決を妨げなくなる。小象のいう「小人退也」である。爻辞が君子と小人を並べるとき、得た者は自問すべきだ。この件で、自分はどちらのように振る舞っているのか、と。
この爻を得たら
正道で対処すれば、抵抗はおのずと退く。同時に、この件での自分の振る舞いが君子にふさわしいか、正直に省みよ。
上六公用射隼,于高墉之上,獲之,无不利。公用て隼を高墉の上に射る。之を獲て、利しからざる无し。
現代語で
公が高い城壁の上の隼を射て、これを獲る。利あらざるなし。
精読
上六は陰爻が陰位にあって位に当たり、六三とは応じない。解の終わりまでなお乱をなすのは、高みに居座る猛々しい小人に違いない。だから猛禽の隼を象とする。上六は位は尊いが君ではないので「公」という。射る相手は盗を招いた六三で、小象は「以解悖也」、乱の根を除くことだという。互離と互坎が弓矢となり、一矢で決着がつく。
もう一層深く
上六「公用て隼を高墉の上に射る、これを獲たり、利しからざるなし」。隼は猛禽で、要所に居座る禍いのたとえである。上六は最も高い所にあり、高い城壁の上に立つようだ。下の互離は戈兵、坎は弓で、合わせて弓矢となる。最後の一手は、高みに居座る禍根を一矢で射落とすことである。
この爻を得たら
時は熟した。決然と動いて最後の障害を除け。ただし、日ごろから力を磨いていることが前提である。
書き下し文は本サイトによる。明治・大正期の公有訓読(漢文叢書『詩経書経易経』1922年、国立国会図書館デジタルコレクション)と照合した。
故事 典
易を作る者は盗を知るか
〈繋辞上伝〉には、孔子が六三を読んで「作易者、其知盜乎」と嘆じたことが記される。荷を負うのは下僕の仕事、車は君子の器である。下僕が君子の車に乗れば、盗賊は一目で財の出所が怪しいと見抜き、奪おうと考える。孔子はさらに「上慢下暴、盜思伐之矣」と言う。上が驕り下が荒れれば、国の内が乱れ、外敵がそこにつけ込む。また「慢藏誨盜」、貴重な物をぞんざいにしまうのは、盗めと教えるに等しい。今日の「財を見せびらかすな」と同じ理屈である。奪うのは相手の罪だが、自分の不注意もまた隙を与えている。
器を身に蔵し、時を待って動く
〈繋辞下伝〉は上六の爻辞を引き、孔子はこう説く。「隼者禽也、弓矢者器也、射之者人也。君子藏器於身、待時而動、何不利之有」。鳥は的、弓矢は道具で、成否を決めるのは射る人である。「藏器於身」とは武器を持ち歩くことではない。挑戦がいつ来るかわからないから、平素から力を磨いておくことだ。「動而不括」の括は束縛で、動くときに技が自在に働くから、一矢で獲物を得る。百発百中ならぬ百発百外れの飛刀など持たないのと同じだ。しかし万全を待ってから動こうとすれば、機会はとうに他人のものになっている。
漢初の休養生息
秦末の戦乱と楚漢の争いの後、天下は荒廃し、人口も激減した。漢初の君臣が選んだのは、卦辞の第一の道「无所往、其來復吉」である。労役と租税を軽くし、民を休ませ、みだりに兵を動かさなかった。蕭何の後を継いだ宰相の曹参は旧来の定めをすべて守り、ほとんど改めなかった。これを「蕭規曹随」という。文帝・景帝の世には倉が満ち、民の暮らしは回復した。大難の後には、余計なことをしないのも一つの政治なのである。
人生への示唆 悟
困難が解けかけるときこそ、もっとも気がゆるみやすく、もっとも判断が要る。休むべきときは休み、動くべきときは早く動く。ためらって時を逸するのがいちばんいけない。他人の過ちを解き、自分の絆も解け。足を引くものを手放せば、友は来る。六三は、禍の多くは自ら招くもので、分をわきまえることが何より大切だと戒める。上六は、人生でなすことはすべて準備だと教える。難が解けたとき、舞台に立つのは備えていた者である。