卦名 名
「損」は減らす、損なうの意で、手偏をもち、手で取り去ることをいう。名は恐ろしげだが、卦辞は冒頭から「元吉」と言う。六十四卦の卦辞で元吉をいうのは損と鼎だけだ。秘密は、減らすのが自分で、益するのが他人である点にある。己を損じて人を利するから大吉なのだ。
卦象 象


下卦は兌で沢、上卦は艮で山。山の下の沢が山を潤し、山上の草木は茂り、鳥獣も殖える。下を損じて上を益する象である。湖と山の景色が美しいのは、山そのものより、静かな沢に映る影のゆえであることが多い。流れる川に山は映らない。沢だけが山を引き立てる。この卦は地天泰(たい)から変じたもので、泰の九三が上って上九となり、下卦が陽を一つ差し出して上卦を完成させている。
取象の重なり 層
一つの卦はいくつもの層で読める。八卦は一家の人々(父母・長中少の男女)、六爻は組織の位(新人から君主まで)、さらに自然現象や動物にもなる。層を一つ重ねるごとに、爻辞の意味が深まる。
一家として見る
下卦の兌は少女、上卦の艮は少男で、咸と同じ若い二人が上下を入れ替えている。咸では少男が身を低くして少女を求めたが、ここでは少女が下にいて、自分の分を差し出して上の少男を成り立たせる。損は単なる損失ではなく、下の者が進んで与え、家全体をより確かにすることである。
六三「三人行けば則ち一人を損し、一人行けば則ちその友を得」。この卦は泰から来る。泰の下卦の三陽がそろって進み、そのうち九三が上って上九となる。これが「一人を損す」で、上で六三と応じるので「その友を得」となる。三人では一人が余り、一人で行けばかえって伴侶に出会う。
六四「その疾を損す、遄かならしむれば喜び有り」。九二・六三・六四は互震で、震は決躁、落ち着かない持病のようなもの。六四は初九と正応し、初九は「事已めば遄かに往く」。下は急いで助けに来て、上は急いで悪癖を改める。二つの「遄」が呼応して喜びとなる。
六五「或いはこれを益す、十朋の亀、違う克わず」。九二から上九までの間に三つの陰爻があり、大きな離卦の形になる。離は亀で、これほど大きければ宝亀である。六三・六四・六五はまた互坤で、十は坤(地)の数。合わせて十朋の大亀となる。虚心に受ける君位には、断りきれない厚い贈り物が届く。
上九「損せずしてこれを益す、臣を得て家なし」。上九はもと泰の下卦乾の一員で、上がってきて元の家を離れた。だが下には六三・六四・六五の互坤があり、坤は衆、臣民である。与えた者は最後には一家一姓に頼らず、多くの人に支えられる。
損を逆さにすれば益になり、両卦は一対である。損の六五と益の六二は位置が対応し、爻辞もほぼ同じく十朋の亀を語る。同じ出来事が、与える側から見れば損、受ける側から見れば益。損を得たら、自分の差し出したものが誰の益になっているかを考えてみるとよい。
損の六爻をすべて変えると沢山咸となり、上下を入れ替えても咸になる。咸は少男少女のひと目ぼれで、感応がいちばん速い。損は思いが実を結んだあとの献身である。咸の心の動きがあって、損の成全がある。長続きする関係を支えるのは感情だけでなく、誰が先に一歩譲るかである。
序卦 序
緩必有所失,故受之以損。
〈序卦伝〉に「緩必有所失、故受之以損」とある。解によって険難が和らぐと、人は気がゆるみ、損失が生じる。だが損失を恐れることはない。誠をもって人と交わり、自分の力を人のために用いれば、「利有攸往」なのである。
卦辞 辭
損:有孚,元吉。无咎,可貞,利有攸往。曷之用?二簋可用享。
損は、孚有れば、元いに吉にして咎无し。貞にすべし。往く攸有るに利し。曷をか之れ用ひん。二簋用て享すべし。
卦辞は、損するに孚(まこと)あれば元吉、咎なし、貞にすべし、往くところあるに利あり、という。何を用いるか。二つの簋で享(まつ)ることができる。簋は外が円く内が方形の祭器で、黍・稷・稲・粱を盛る。通常の祭りは六簋か八簋を用いるから、二簋はきわめて簡素である。鬼神が見るのは誠意で、供え物の多寡ではない。しぶしぶ差し出したり、のちの見返りを胸算用したりすれば、損の本旨にそむく。
彖伝 彖
彖曰:損,損下益上,其道上行。損而有孚,元吉,无咎,可貞,利有攸往。曷之用?二簋可用享;二簋應有時。損剛益柔有時,損益盈虛,與時偕行。
〈彖伝〉はいう。損は下を損じて上を益し、その道は上へ行く。損して孚あるゆえに元吉である。〈彖伝〉はくり返し「時」を強調する。「二簋應有時、損剛益柔有時、損益盈虛、與時偕行」。犠牲すべき時には犠牲を払う。満月は必ず欠け、欠ければまた満ちる。損と益は時とともにめぐるものなのだ。
大象 象
象曰:山下有澤,損;君子以懲忿窒欲。
「山下有澤、損。君子以懲忿窒欲」。では何を損ずべきか。もっとも爆発しやすく抑えがたいのが怒りで、だから懲らしめる。一度起これば断ちがたいのが欲で、だから起こりはじめに塞ぐ。北宋の周敦頤も『通書』でこの四字を特に掲げた。アリストテレスは、怒ることは誰にでもできるが、しかるべき時に、しかるべき相手に、しかるべき程度で怒ることは難しいと言った。
六爻 爻
主爻 上九は泰の九三が上ってできた爻で、損の卦を成り立たせる要である。六五は尊位にあって全卦の損下益上の恵みを受け、爻辞でも再び「元吉」をいう。卦を主る爻である。
六爻の道筋:下から上へ
初九はまず自分の用事を済ませてから急いで助けに行くが、どれだけ与えるかを量る。九二は本分を守り、自分を削らずに人を助ける。六三は転換点で、三人で行けば一人が去り、去った者がかえって上で伴侶を得る。上卦に入った六四は助けを受け、急いで自分の欠点を改める。六五は虚心に受け、断れない大きな贈り物を得る。上九では受けた者が与える側に回り、自らを損なわずに人を益し、ついに衆の支持を得る。
初九已事遄往,无咎,酌損之。事を已めて遄やかに往けば、咎无し。酌りて之を損す。
異文 「已事」は、一本に「祀」に作る。
現代語で
祭祀の事には速やかに往く。咎なし。損ずる量はよく斟酌せよ。
精読
初九は陽爻が陽位にあって位に当たり、六四と正応するので「遄往」、速やかに助けに赴く。小象の「尚合志也」は上の者と志が合うことをいう。しかしまだ損のはじめである。泰の三陽のうち一陽はすでに上っており、もう一陽を損ずれば損卦ではなくなる。だから「酌損」という。この卦の三つの陽爻の小象がいずれも「志」を語るのは、陽爻が陰を助けようと心を立てているからだ。
この爻を得たら
助けるべきところは速やかに助けよ。ただし力に応じて行い、はじめから全てを差し出す必要はない。
九二利貞,征凶,弗損益之。貞しきに利し。征けば凶。損せずして之を益す。
現代語で
貞に利あり、征けば凶。己を損ぜずして、これを益す。
精読
九二は陽爻が陰位にあるが、下卦の中にいて六五と正応する。一陽がすでに上ったので、残る二陽が急いで続く必要はない。だから「征凶」である。小象の「中以為志也」は中を守ることを志とする意で、中を得ればそれ以上損ずる必要はない。己を損じて人を利するにも節度が要る。自分が無一物になるまで損じてはならない。
この爻を得たら
持ち場を守り、これ以上自ら犠牲を払うな。中道を保てば、相手はおのずと益を得る。
六三三人行,則損一人;一人行,則得其友。三人行けば則ち一人を損し、一人行けば則ち其の友を得。
現代語で
三人で行けば一人を損じ、一人で行けばその友を得る。
精読
六三は陰爻が陽位にあって位に当たらないが、上九と正応する。泰では下の三陽と上の三陰がそれぞれ群れ、陰陽が交わらない。九三が上れば三人は一人を損じるが、独り行く者は六四・六五を友とし、六三も初九・九二と伴う。こうして六爻のすべてに正応が生じる。小象の「三則疑也」は、三人だと互いに疑いやすく、二人ずつならかえって心が一つになるということである。
もう一層深く
六三「三人行けば則ち一人を損し、一人行けば則ちその友を得」。この卦は泰から来る。泰の下卦の三陽がそろって進み、そのうち九三が上って上九となる。これが「一人を損す」で、上で六三と応じるので「その友を得」となる。三人では一人が余り、一人で行けばかえって伴侶に出会う。
この爻を得たら
人が多いと疑いが生じやすい。多方面にもつれるより、本当に呼応する相手を見つけよ。互いに一歩退けば、双方に道が開ける。
一を致すを言う
〈繋辞下伝〉はこの爻を引く前にこう言う。「天地絪縕、萬物化醇。男女構精、萬物化生」。天地の陰陽の気が親しく交わって万物は醇厚になり、雌雄が交わって生命が生まれる。続けて「三人行則損一人、一人行則得其友」を引き、「言致一也」と結ぶ。要は数ではなく、陰陽が出会い、合して一つになることにある。「三人の和尚は水を飲めない」という俗諺は、三人のあいだで役目を押しつけ合うさまをよく表している。
六四損其疾,使遄有喜,无咎。其の疾を損す。遄やかならしむれば喜び有り。咎无し。
現代語で
その疾を損じ、速やかに来させれば喜びあり。咎なし。
精読
六四は陰爻が陰位にあって位に当たり、初九と正応する。九二・六三・六四が互震をなし、震は「決躁」、落ち着かない「疾」を表す。「遄」の字は初九の「遄往」と呼応する。初九が速やかに助けに来れば、六四の疾は減じる。ここでの「喜」は祝い事ではなく、病が去り困窮が解けること、たとえば退院や借金からの解放である。助けは時宜を得てこそで、遅れれば好意も値打ちが下がる。
もう一層深く
六四「その疾を損す、遄かならしむれば喜び有り」。九二・六三・六四は互震で、震は決躁、落ち着かない持病のようなもの。六四は初九と正応し、初九は「事已めば遄かに往く」。下は急いで助けに来て、上は急いで悪癖を改める。二つの「遄」が呼応して喜びとなる。
この爻を得たら
悩みは軽くなりうる。鍵はふさわしい助けを素直に受けること、それも早いほどよい。自分の悪癖を早めに改めるのにもよい時である。
六五或益之,十朋之龜弗克違,元吉。或いは之を益す。十朋の亀も違ふ克はず。元いに吉。
現代語で
ある人が十朋の亀を贈る。辞することはできない。元吉。
精読
六五は柔が尊位にあって中を得、下は九二と応じ、上は上九を承ける。上下ともに頼るものがある。古代は貝を貨幣とし、五貝で一串、二串で一朋とした。十朋の亀はきわめて貴い。九二から上九までは拡大した離の形で、離は亀である。六三から六五は互坤で、坤の数は十。合わせて「十朋之龜」となる。小象の「自上佑也」は、福が上から来ることをいう。全卦の損下益上の成果が、最後にここに集まるのである。
もう一層深く
六五「或いはこれを益す、十朋の亀、違う克わず」。九二から上九までの間に三つの陰爻があり、大きな離卦の形になる。離は亀で、これほど大きければ宝亀である。六三・六四・六五はまた互坤で、十は坤(地)の数。合わせて十朋の大亀となる。虚心に受ける君位には、断りきれない厚い贈り物が届く。
この爻を得たら
貴い助けが思いがけず届く。遠慮して辞する必要はない。素直に受け、その出どころを大切にせよ。
上九弗損益之,无咎,貞吉,利有攸往,得臣无家。損せずして之を益す。咎无し。貞にして吉。往く攸有るに利し。臣を得て家无し。
現代語で
損ぜずしてこれを益す。咎なし、貞にして吉、往くところあるに利あり。臣を得て家なし。
精読
上九は陽爻が陰位にあり、六三と正応する。泰の下卦の乾から上ってきた爻で、もともと上卦を益するために来たのだから「弗損益之」という。下に六三から六五の互坤があり、坤は衆、臣民であるから「得臣」。しかし全陽の乾というもとの家を離れたので「无家」である。小象の「大得志也」は、人を助けようとした志がここで完全に遂げられたことをいう。
もう一層深く
上九「損せずしてこれを益す、臣を得て家なし」。上九はもと泰の下卦乾の一員で、上がってきて元の家を離れた。だが下には六三・六四・六五の互坤があり、坤は衆、臣民である。与えた者は最後には一家一姓に頼らず、多くの人に支えられる。
この爻を得たら
人々のために尽くす志は実を結び、支持も得られる。ただ公の責任は私的な時間を削るのが常だ。その覚悟をもち、家族を大切にせよ。
臣を得て家なし
学校で教えていたある人が、管理の才を買われて大学附属病院の副責任者に招かれ、行くべきか迷って損の上九を得た。卦名は気がかりだが、その実は己を損じて人を利する卦で、卦辞は元吉である。「得臣」は管理職に就き、率いる人を得ること。「无家」は多忙になり家族と過ごす時間が減るという戒めだ。前に「无咎、貞吉、利有攸往」とあるのだから、安心して人々のために働けばよい。彼は新しい職を引き受けたが、この四字を見たことで、家族と過ごす時間を意識してつくるようにした。
書き下し文は本サイトによる。明治・大正期の公有訓読(漢文叢書『詩経書経易経』1922年、国立国会図書館デジタルコレクション)と照合した。
故事 典
サルトルとカミュ
カミュはフランス領アルジェリアの出身である。最初の小説『異邦人』が出ると、すでにパリで名を成していたサルトルが長い論評でこれを称え、二人は友となった。ドイツ占領下では、ともにレジスタンスの文化人の輪に加わった。カミュは一九五七年にノーベル文学賞を受け、八歳年長のサルトルは一九六四年に授与されて辞退した。だが一九五二年ごろ、政治的立場をめぐる誌上論争から二人は公然と決裂し、以後交わることはなかった。その心境はよくこう要約される。我々を結びつけるものは多く、隔てるものは少なかった。だがその少しがすでに多すぎた、と。一時の怒りと異なるものを許さない狭さは、得がたい友情をも壊してしまう。「懲忿」が治めようとするのはまさにこれである。
一朝の忿り
樊遅が惑いを見分ける方法を問うと、孔子は答えた。「一朝之忿、忘其身、以及其親、非惑與」。一時の怒りで身の安全を忘れ、親にまで累を及ぼす、これこそ惑いである。喧嘩に勝っても、かなわぬ相手が家族に報復するかもしれない。孟子もまた、人の父兄を殺せば人も我が父兄を殺す、それは間接に自分の肉親を害するに等しいと言う。孔子は「四十而不惑」と述べたが、この問答と合わせて読めば、不惑の鍵の一つは感情を調えることにある。怒りに燃えているとき、人は明晰に考えられない。
閔子騫――母在れば一子寒し
孔子の弟子、閔損、字は子騫。名がまさに「損」で、孔門の徳行の科では顔淵に次ぐ。孔子は「孝哉閔子騫。人不間於其父母昆弟之言」とたたえた。家族が彼の孝をほめても、外の者が疑うことはなかった。後世に伝わる話では、幼くして母を亡くし、継母が二人の子を産んだ。冬、継母は実子には綿入れを着せ、子騫には蘆の穂を詰めた衣を着せた。気づいた父が継母を離縁しようとすると、子騫はひざまずいて願った。「母在一子寒、母去三子單」。継母は感じ入って改め、一家はその後むつまじく暮らした。家全体のために自ら損を引き受けること、それが損卦の精神である。
人生への示唆 悟
己を損じて人を利することは、一生役に立つ処世の原則である。先に与える人はどこでも歓迎され、助けもおのずと返ってくる。ただし損には三つの条件がある。誠であること、つまり見返りを計算しないこと。節度があること。初九は量を斟酌し、九二はそれ以上損じない。無一物になるまで損じてはならない。そして時にかなうこと、犠牲を払うべき時に払うことである。修養においてもっとも損ずべきは怒りと欲だ。〈繋辞〉に「損、先難而後易」とある。手放すのははじめは難しいが、やがて習慣になる。だから「損以遠害」なのである。