卦名 名
「需」には二つの意味がある。一つは「必要」、準備がまだ足りず補うべきものがあること。もう一つは「待つ」で、〈彖伝〉ははっきり「需は須なり」という。古人はこの字の音にまばらな雨音を聞いた。雨では出かけられず、待つしかない。あわせて、待ちながら足りないものを補うことである。
卦象 象


上卦は坎で水・雲・険、下卦は乾で天・健である。雲気は天に昇ったが、まだ雨となって降らない。時は熟していない。乾の剛健は勇んで突き進めるが、険が前にあり、無理に押し通しても益はないので待つ。六爻は郊から沙、泥へと一歩ずつ坎の水に近づき、近づくほど慎重さが求められる。
取象の重なり 層
一つの卦はいくつもの層で読める。八卦は一家の人々(父母・長中少の男女)、六爻は組織の位(新人から君主まで)、さらに自然現象や動物にもなる。層を一つ重ねるごとに、爻辞の意味が深まる。
一家として見る
下卦の乾は父、上卦の坎は中男である。父は十分な力を持ちながら下で待ち、前方には険陥を表す中男がいる。年長者の剛健が若い世代の危うさに出会うとき、押し通すことはできず、時機を見定めるしかない。待つことは弱さではなく、力ある者の節度である。
卦辞「孚有り、光いに亨る」。光はどこから来るのか。九三・六四・九五が互離をなし、離は光明である。待つなかにも明るさがあるのは、心に信があり、先がよく見えているからだ。
九二「沙に需つ、小しく言有り」。郊外から砂浜へ進み、水に近づいた。九二・九三・六四は互兌で、兌は口である。人が陰口や小言を言い始める。中を得ているので終には吉、言い返す必要はない。
九五「酒食に需つ、貞にして吉」。君位は坎の真ん中にあり、坎は水、また酒である。上に立つ者が待つあいだ酒食を整えて皆を落ち着かせる。情勢がまだ見えないときに指導者が持つべき余裕である。
上六「速かざるの客三人来る、これを敬すれば終に吉」。招かれざる三人の客とは、下卦乾の三つの陽爻で、ずっと待ってついに上がってきた。上六は九三と応じる。敬意をもって迎えれば、険は吉に転じる。
需を逆さにすると訟になり、同じ乾と坎でできている。同じ険を前に、需は辛抱強く待ち、訟は正面からぶつかる。だから「序卦伝」は、飲食には必ず訟があるという。待つ人が多ければ、分け前をめぐって争いが起きる。待ちきれれば訟は起きずにすむ。
需の六爻がすべて変われば火地晋になる。太陽が地上に昇り、前へ進む姿だ。待つことの裏側は進むことである。本当に待てる人は止まっているのではなく、のちの昇進のために力を蓄えている。時が来れば迷わず進む。
序卦 序
物穉不可不養也,故受之以需;需者飲食之道也。
〈序卦伝〉に「物穉ければ養わざるべからざるなり、故に之を受くるに需を以てす。需とは飲食の道なり」とある。蒙は幼く、幼いものは養わねばならず、養うとはまず飲食である。屯の創建、蒙の教化を経て、社会には休養と蓄えの時が要る。休むのは遠くへ行くためである。
卦辞 辭
需:有孚,光亨。貞吉,利涉大川。
需は、孚有り。光いに亨る。貞にして吉。大川を渉るに利し。
卦辞は、孚あり、光いに亨る、貞しくして吉、大川を渉るに利し、という。九二・九五の二つの中位がいずれも陽で、内が充実している。「中に誠あれば外に形る」ゆえに孚がある。九三・六四・九五は互離で光明なので「光亨」。下に乾の健があるので、備えが整えば険を越えて川を渡れる。待つとは消極的な傍観ではなく、誠を抱き正道を守って条件が熟すのを待つことである。
彖伝 彖
彖曰:需,須也,險在前也;剛健而不陷,其義不困窮矣。需,有孚,光亨,貞吉,位乎天位,以正中也。利涉大川,往有功也。
〈彖伝〉は「需は須なり、険前に在るなり。剛健にして陥らず、其の義困窮せず」という。前に険があるから待つ。乾の剛健があるので陥らず、道理として困窮には至らない。「天位に位し、正中を以てなり」は九五を指す。「大川を渉るに利し、往きて功あるなり」、備えが整ってから往けば必ず功がある。
大象 象
象曰:雲上於天,需;君子以飲食宴樂。
「雲、天に上るは需なり、君子以て飲食宴楽す」。飲食は身体を養い、宴楽は心を和ませる。どちらも整えておかねば、難局に臨んで持ちこたえられない。程頤は「飲食以て其の気体を養い、宴楽以て其の心志を和す、所謂易に居て以て命を俟つなり」と述べた。平常の暮らしに安んじて己を充実させ、使命の来るのを待つのである。
六爻 爻
主爻 主爻は九五である。〈彖伝〉の「天位に位し、正中を以てなり」が九五を指す。陽が剛位にあって中正を得、酒食の中でゆったりと待つ姿が、卦全体の要点を示す。
六爻の道筋:下から上へ
需の六爻は、危うい水へ一歩ずつ近づきながら待つ過程である。初九はまだ遠い郊外にいて、平常を保てばよい。九二は砂浜に至り、陰口が起こるが、中を得ているので終には吉。九三は下卦の頂でぬかるみにはまり、険に最も近く、自ら賊を招く。六四はすでに坎のなかに入り血を見るが、流れに従って穴から出るしかない。九五は君位にあって、険のなかで酒食を整え落ち着いて待つ。これが待つことの正しい姿である。上六は穴に落ち、招かれざる客が三人来るが、敬って迎えれば終には吉となる。
初九需于郊,利用恆,无咎。郊に需つ。恒を用ふるに利し。咎无し。
現代語で
郊に需つ。恒を用うるに利し、咎なし。
精読
初九は上卦の坎の水から最も遠く、城外の郊にいるようなものだ。陽が剛位にあって位を得、六四と正応し、足場は確かである。下卦の三陽はみな上へ進みたいが、険が前にあるので急がない。小象は「難を犯して行かざるなり」「未だ常を失わざるなり」という。危険を冒さず、ふだんの調子と節度を守る。
この爻を得たら
時期はまだ早く、問題はまだ遠い。いつも通り暮らし、なすべきことをして、焦らず待てばよい。
遅れた便
ある人が講演に招かれて早めに出発したが、便が遅れ、主催者は気をもんでいた。搭乗券の数字で卦を立てると、需の初九「郊に需つ、恒を用うるに利し、咎なし」が出た。需は待つことで、初九は水からまだ遠いので大事はない。待つのはおよそ一時間と見当をつけた。彼は落ち着いて座り、窓口で言い争う他の乗客とは違った。一時間後に飛行機は飛び立ち、講演にも間に合った。
九二需于沙,小有言,終吉。沙に需つ。小しく言有れども、終には吉。
現代語で
沙に需つ。少しく言あり、終に吉。
精読
九二は水に一歩近づき、沙浜に至る。陽が柔位にあって位は正しくないが、下卦の中を得ており、「中は正に勝る」ので終には吉。九二・九三・六四は互兌で、兌は口であり、議論や非難が出はじめる。小象は「衍、中に在るなり」という。衍は水中に現れる中洲で、九二が中にあって悠然としていることも示す。「吉を以て終わるなり」、小さな言葉は害にならない。
もう一層深く
九二「沙に需つ、小しく言有り」。郊外から砂浜へ進み、水に近づいた。九二・九三・六四は互兌で、兌は口である。人が陰口や小言を言い始める。中を得ているので終には吉、言い返す必要はない。
この爻を得たら
待つ間には陰口も出るものだ。言い返したり揺らいだりせず、中道を守って悠然としていれば、結果はよい。
九三需于泥,致寇至。泥に需つ。寇の至るを致す。
現代語で
泥に需つ。寇の至るを致す。
精読
沙に水が加われば泥となる。九三は上卦の坎の水に接し、坎は盗なので「寇の至るを致す」。九三は陽が剛位にあって位を得、上六と正応する。陰は陽に従うので上六がやって来れば、坎の中の寇も一緒に連れて来ることになる。小象は「災い外に在るなり」「自ら寇を致す、敬慎すれば敗れざるなり」という。災いは外卦にあり、招いたのは自分である。だが己に厳しく、人に慎めば敗れない。
この爻を得たら
危険のすぐそばにいる。今軽々しく動けば損失を招き、その多くは自ら招いたものだ。態度を厳粛にし、言動を慎むこと。
六四需于血,出自穴。血に需つ。穴より出づ。
現代語で
血に需つ。穴より出づ。
精読
六四はすでに坎に入っている。坎は水であり、血の卦であり、穴でもある。下から迫る三陽の矢面に立ち、陰陽がぶつかる所では血を見ずにはすまない。だが六四は陰が柔位にあって位を得、下に初九の正応があり、上は九五を承ける。坎の下縁、つまり穴の入口にいるので「穴より出づ」。小象は「順にして以て聴くなり」という。柔順で人の言に耳を傾けるから、危うくとも脱け出せる。
この爻を得たら
最も圧力のかかる境目にいる。正面から抗わず、流れに従い、信頼できる人の意見を聞けば、危ういながらも切り抜けられる。
九五需于酒食,貞吉。酒食に需つ。貞にして吉。
現代語で
酒食に需つ。貞にして吉。
精読
九五は陽が剛位にあり上卦の中を得て、中正を兼ねる。卦の主爻であり、最もよい待ち方である。坎は水で、水から酒を醸すので酒食となり、大象の「飲食宴楽」に応じる。小象は「中正を以てなり」という。このゆとりは享楽ではなく、中正の位にあって己と人を養い、天下にも酒食を行き渡らせながら時を待つことである。
もう一層深く
九五「酒食に需つ、貞にして吉」。君位は坎の真ん中にあり、坎は水、また酒である。上に立つ者が待つあいだ酒食を整えて皆を落ち着かせる。情勢がまだ見えないときに指導者が持つべき余裕である。
この爻を得たら
条件は整っている。焦る必要はない。心身と周囲の人を大切にし、正道を守ってゆったり待てば、時は来る。
上六入于穴,有不速之客三人來,敬之終吉。穴に入る。速かざるの客三人来る有り。之を敬すれば終には吉。
現代語で
穴に入る。速かざるの客三人来たる有り。之を敬すれば終に吉。
精読
上六は坎の最も奥にあり、六四の「穴より出づ」に対して「穴に入る」という。速は招くことで、「不速の客」すなわち招かれざる客という言葉はここに出る。上六は九三と正応し、九三が動けば下卦の三陽を伴って上がって来る。この三陽が三人の客であり、「大川を渉るに利し」も実現する。陰が柔位にあって本来は位を得ているが、九五の上に乗るので、小象は「当位ならずと雖も、未だ大いに失わざるなり」という。敬をもって迎えれば終に吉で、九三の「敬慎すれば敗れず」と呼応する。
もう一層深く
上六「速かざるの客三人来る、これを敬すれば終に吉」。招かれざる三人の客とは、下卦乾の三つの陽爻で、ずっと待ってついに上がってきた。上六は九三と応じる。敬意をもって迎えれば、険は吉に転じる。
この爻を得たら
思いがけない人や変化が訪れるかもしれない。拒んだり慌てたりせず、敬意と誠意をもって迎えれば、危険はしばしば安全に転じる。
書き下し文は本サイトによる。明治・大正期の公有訓読(漢文叢書『詩経書経易経』1922年、国立国会図書館デジタルコレクション)と照合した。
故事 典
渭水のほとりの太公望
《史記・斉太公世家》によれば、呂尚は年老いて貧しく、釣りをしながら周の西伯に会う機会を求めていた。西伯は狩りに出る前に占わせると、得るものは「龍にあらず彲にあらず、虎にあらず羆にあらず」、覇王の輔けであると出た。果たして渭水の北岸で呂尚に会い、語り合って大いに喜び、先君太公は聖人が周に来ることを久しく望んでいた、「吾が太公、子を望むこと久し」と言った。そこで太公望と呼び、同じ車に乗せて帰り、師とした。呂尚は生涯学識を積み、晩年になってようやく時を得て、のちに武王を助けて殷を討った。待つとは空しく待つことではなく、待ちながら己を備えることである。
南陽に躬耕す
諸葛亮は若いころ隆中に隠れ住み、自ら田を耕し、よく〈梁父吟〉を吟じ、管仲・楽毅に自らをなぞらえた。《三国志・諸葛亮伝》によれば、劉備は三度訪ねてようやく会うことができた。のちに〈出師表〉で彼は「臣はもと布衣、南陽に躬耕し、苟くも性命を乱世に全うし、聞達を諸侯に求めず」と振り返った。天下大乱の時に方々の群雄へ仕官を求めず、田園で書を読み志を養い、真に託すに足る人が訪ねて来てはじめて世に出た。これこそ「易に居て以て命を俟つ」であり、需の「大川を渉るに利し、往きて功あるなり」の姿である。
人生への示唆 悟
需は、待つこと自体が一つの力であると教える。前に険があるとき、己の剛健を恃んで正面からぶつかってはならない。時が来ていなければ焦っても益はない。心身を整え、蓄えを充実させ、誠を守るほうがよい。肝心の時に近づくほど敬い慎むべきで、災いはしばしば自ら招くものだ。休むのは遠くへ行くため。備えが整えば、川を渡って功を得る。