卦名 名
畜には、蓄える・養う・とどめるの三義がある。《易経》は陽を大、陰を小とする。この卦は五陽一陰で、ただ一つの陰爻・六四が五つの陽を引き留め蓄える。小をもって大を畜うゆえに小畜(しょうちく)という。六十四卦で最初の二字の卦名であり、のちの山天大畜と対をなす。
卦象 象


上卦は巽(風)、下卦は乾(天)で、風が天上を行く象である。高みを風が吹き、雲は集まるがまだ雨にならない。まさに「密雲雨ふらず」の光景だ。下の乾は剛健、上の巽は柔順でよく入る。柔がしばし剛を引き留め、力は蓄えられつつあるが、発揮する時はまだ来ていない。
取象の重なり 層
一つの卦はいくつもの層で読める。八卦は一家の人々(父母・長中少の男女)、六爻は組織の位(新人から君主まで)、さらに自然現象や動物にもなる。層を一つ重ねるごとに、爻辞の意味が深まる。
一家として見る
下卦の乾は父、上卦の巽は長女である。ただ一つの陰爻六四が長女の卦のなかにあり、下の三つの陽爻を引き止めようとする。家でいちばん年長の娘が、父や男たちの勢いをしばし抑える姿だ。巽は柔らかく入り込む力で、腕力ではなく説得によるから「小畜」、しばらくは蓄えられても長くはもたない。
九三「輿、輻を説く。夫妻、目を反す」。下の乾は夫、上の巽は長女で、ここでは嫁いだ妻にあたる。六四は九三の真上に乗り(乗剛)、妻が夫の上にいて関係が逆さになる。九二・九三・六四の互兌は欠け、九三・六四・九五の互離は目である。欠けた目、すなわち反目である。輻の外れた車のように、夫婦は先へ進めない。
卦辞「密雲雨ふらず、我が西郊よりす」。九二・九三・六四は互兌で、兌は西方。上の巽は風で、合わせて西から吹く風となる。雲は満ちても雨はまだ降らない。力は蓄えられつつあるが、時はまだ来ていない。
上九「既に雨ふり既に処る。婦貞なれば厲し。月望に幾し」。ついに雨が降り、蓄えも極まった。「婦」は上卦巽の長女を指す。家を支えてきたが、柔で剛を制して主となり続ければ危うい。月はほぼ満ち、陰は盛りにある。手を引くべき時である。
小畜を逆さにすると天沢履になる。巽が兌に変わり、長女が少女に入れ替わる。小畜は柔が上から剛を抑え、履は柔が下から慎重に虎の尾を踏む。同じ一陰が五陽に向き合い、一方は上で手綱を引き、一方は下で礼を守る。二卦を合わせ見れば、弱い側が強い力に対する二つのやり方が分かる。
序卦 序
比必有所畜也,故受之以小畜。
〈序卦伝〉に「比すれば必ず畜うる所有り、故に之を受くるに小畜を以てす」。人々が親しみ団結し、天下がひとまず落ち着けば、おのずと財と力が蓄えられ始める。《大学》に「人有れば此に土有り、土有れば此に財有り」とあるように、安定した集団があってこそ蓄えも語れる。
卦辞 辭
小畜:亨。密雲不雨,自我西郊。
小畜は、亨る。密雲あれども雨ふらず、我が西郊よりす。
卦辞は「小畜は亨る。密雲雨ふらず、我が西郊よりす」。小さく蓄えることは通じるが、濃い雲は西の郊外から寄せながら雨とならない。後天の方位では乾は西北、巽は東南にあり、下から上へ読めば西風となる。中国の地理では西風は乾いて雨が少なく、海の湿気を運ぶのは東風だ。条件は整いつつあるが一歩足りない。小さく成すにとどまり、大事を急ぐべきではない。
彖伝 彖
彖曰:小畜,柔得位而上下應之,曰小畜。健而巽,剛中而志行,乃亨。密雲不雨,尚往也。自我西郊,施未行也。
〈彖伝〉は説く。柔の六四が位を得て上下の陽がこれに応じる、ゆえに小畜という。内は健、外は巽、九二・九五が剛にして中を得て志が行われるから亨る。「密雲雨ふらず」は風がなお上へ吹いているから、「我が西郊よりす」は恵みがまだ天下に施されていないからで、時はまだ熟していない。
大象 象
象曰:風行天上,小畜,君子以懿文德。
〈大象〉に「風、天上を行くは小畜なり。君子以て文徳を懿くす」。懿は美しくすること。この時、君子は文と徳を磨く。程頤は、君子の蓄えるものは、大にしては道徳経綸の業、小にしては文章才芸だと述べた。大きく動けぬ時こそ内に沈潜し、読書と修身に励む。剛い力に柔らかな素養が加わってこそ、融通がきき人とも交われる。
六爻 爻
主爻 六四は唯一の陰爻で、柔にして位を得、五陽がみなこれと関係を結ぼうとする成卦の主である。各陽爻の吉凶は六四との関係で決まる。
六爻の道筋:下から上へ
初九「復ること道よりす」。歩み出してすぐ阻まれ、自分の道に戻るので咎はない。九二は初九と手を引き合って退き、中を守って分を失わない。九三は下卦の頂で六四に真っ向からぶつかり、無理に進めば輻が外れ、夫婦は反目する。上卦に入ると六四が誠をもって陽を抑え、緊張は解ける。九五は富を独り占めせず隣人とともにし、上九で雨が降って蓄えは成る。だが、抑えも極まれば手を放すべきだと告げている。
初九復自道,何其咎,吉。復ること道よりす。何ぞ其れ咎あらん。吉。
現代語で
自らの道に復る。何の咎あらん。吉。
精読
初九は陽が陽位にあって当位、主爻の六四と正応し、登場するや要の人物と然るべき関係を結んでいる。「復ること道に自る」は本来の位置に戻り正道を歩むこと。小象の「其の義吉なり」は、道理として当然に吉だということである。
この爻を得たら
本分と正しい軌道に戻り、一歩ずつ足場を固めよ。新たな道を切り開く必要はなく、正しい道を守ればよい。
九二牽復,吉。牽きて復る。吉。
現代語で
牽かれて復る。吉。
精読
九二は陽が陰位にあって不当位だが、下卦の中を得る。九五とは陽同士で応じないが、五陽が一陰に向き合うこの局面では陽同士は反発せず、手を携えて六四を支える。小象の「牽かれて復るは中に在り、亦た自ら失わざるなり」は、衆と共に動きながら中道を守り、自分の立場を失わないこと。二・五の中爻は経中ほとんどが吉で、ここもそうである。
この爻を得たら
志を同じくする人と共に動くのはよい。衆に合わせつつも、自らの原則と節度は守れ。
九三輿說輻,夫妻反目。輿輻を説く。夫妻目を反す。
異文 「輿說輻」は、一本に「車說輹」に作る。
現代語で
車、輹を説く。夫妻、目を反く。
精読
九三は陽が陽位にあって当位、上九とは応じず、主爻六四の真下にあってこれに乗られる。陰が陽の上にあり、妻が夫の上に立つように関係が逆転している。下の乾は夫、上の巽は長女で妻。三四五の互卦は離で目、二三四の互卦は兌で欠け、巽はまた白眼の多い象で、ゆえに「目を反く」。輹は車体と車軸をつなぐ伏兎で、外れれば車は動かない。九三は下の乾を率いて上へ進もうとして六四に阻まれる。小象は「室を正す能わざるなり」。爻辞は凶と言わないが、凶であることは明らかだ。
もう一層深く
九三「輿、輻を説く。夫妻、目を反す」。下の乾は夫、上の巽は長女で、ここでは嫁いだ妻にあたる。六四は九三の真上に乗り(乗剛)、妻が夫の上にいて関係が逆さになる。九二・九三・六四の互兌は欠け、九三・六四・九五の互離は目である。欠けた目、すなわち反目である。輻の外れた車のように、夫婦は先へ進めない。
この爻を得たら
前進は阻まれ、身近な関係がこじれたり逆転したりしている。押し切ろうとすればなお硬直する。まず立ち止まり、互いの役割と節度を正してから先へ進め。婚姻に限らず、あらゆる協力関係に当てはまる。
家庭の役割は組み替えられる
古代は男が外、女が内を主るのが常であったから、陰が陽の上にあれば家が正しくないとされた。しかし時代は変わり、役割は組み替えられる。映画監督の李安(アン・リー)は世に出る前の約六年間、家で家事をしながら脚本を練り、妻の林恵嘉が外で働いて家計を支えた。その日々は家庭を壊さず、むしろ後の作品を育んだ。九三の教えは誰が外で誰が内かではなく、互いの役割について合意があるかどうかにある。合意がなければ、車は輹を外すのである。
六四有孚,血去惕出,无咎。孚有り。血去り惕出づ。咎无し。
現代語で
孚有り。血去り惕れ出づ。咎なし。
精読
六四は陰が陰位にあって当位、下は初九と正応し、上は九五を承ける全卦の主爻である。しかし一陰で五陽に向き合い、下の乾の三陽が突き上げればまともに受ける。ゆえに傷を意味する「血」と、恐れの「惕」がある。持ちこたえられるのは誠信と、上の九五の全面的な支えによる。小象の「上と志を合わすなり」は君上と心が通じていること。主爻でありながら大吉でなく「咎なし」にとどまるのは、小畜の要が局面を安定させることにあるからだ。
この爻を得たら
柔をもって剛を制し、誠をもって衆を服せよ。強い相手と正面からぶつからず、誠実さで対立を解き、上に立つ者の信任と支えを確かにしておくこと。
蕭何、功第一
漢が成立し、劉邦が論功行賞を行った時、蕭何を第一とした。百戦錬磨の功臣たちは、蕭何は戦場に出たこともなく筆を執っていただけだと不満を述べた。劉邦は狩りにたとえた。獣を追って仕留めるのは猟犬だが、足跡を見つけ指図するのは猟師である。諸君は獲物を得た「功狗」、蕭何は「功人」だと。驕兵悍将に囲まれながら、戦場に出ない文臣が局面を保てたのは、君主の全面的な支えと自らの誠実勤勉による。まさに六四の「上と志を合わすなり」である。
九五有孚攣如,富以其鄰。孚有りて攣如たり。富むに其の隣を以てす。
現代語で
孚有りて攣如たり。富むに其の鄰を以てす。
精読
九五は陽が陽位にあって中正、九二とは陽同士で応じないが、すぐ下に六四が親しく承けており、その誠信の確かさがわかる。「攣如」は手を取り合うように固く結ばれること。上の巽は「利に近づくこと市に三倍す」の象で、ゆえに富という。「以」は共にの意で、隣と共に富むこと。小象は「独り富まざるなり」。上に立つ者が分かち合ってこそ、蓄えは皆の蓄えとなる。
この爻を得たら
誠信で周囲の人々を結び、得たものは協力者と分かち合え。成果を独り占めしないことが、関係と局面を安定させる。
范蠡、三たび千金を致す
范蠡は越王句践を助けて呉を滅ぼしたのち、功成って身を退き、舟で去って陶に移り商いを営み、陶朱公と号した。司馬遷は、彼が十九年の間に三たび千金を築き、二たびそれを貧しい友や遠縁に分け与えたと記し、「富みて好んで其の徳を行う者」と評した。まさに「富むに其の鄰を以てす、独り富まざるなり」である。
上九既雨既處,尚德載,婦貞厲,月幾望,君子征凶。既に雨ふり既に処る。徳を尚びて載つ。婦は貞なれども厲ふし。月望に幾し。君子も征けば凶。
異文 「尚德載」は、一本に「得」に作る。
現代語で
既に雨ふり既に処る。得を尚びて載つ。婦は貞なれば厲うし。月望に幾し。君子征けば凶。
精読
上九は陽が陰位にあって不当位、九三とは応じず、小畜の終わりにある。卦辞の「密雲雨ふらず」がここでついに雨となり、安んじて居られる。小象が「徳積みて載つるなり」というのを見れば、「得」は「徳」に通じ、積んだ徳が車いっぱいに満ちたことがわかる。「婦」は上の巽の長女であり、卦を主導してきた陰の六四をも指す。柔に功はあっても、功に居座り主導し続ければ危うい。「月望に幾し」は経中初めて月が現れる箇所で、満ちれば欠ける。小象の「疑う所有るなり」は、いま先へ進めば見通しが立たないことをいう。
もう一層深く
上九「既に雨ふり既に処る。婦貞なれば厲し。月望に幾し」。ついに雨が降り、蓄えも極まった。「婦」は上卦巽の長女を指す。家を支えてきたが、柔で剛を制して主となり続ければ危うい。月はほぼ満ち、陰は盛りにある。手を引くべき時である。
この爻を得たら
目標はすでに達した。いま肝要なのは、よいところで手を引き、功に居座らないことだ。勢いに乗って広げることも、主導権に執着することも避けよ。
書き下し文は本サイトによる。明治・大正期の公有訓読(漢文叢書『詩経書経易経』1922年、国立国会図書館デジタルコレクション)と照合した。
故事 典
蔡沢、范雎に説く——月満つれば虧く
范雎は秦の宰相となり応侯に封ぜられ権勢を極めたが、推挙した人物が相次いで失態を犯し、立場は次第に危うくなった。遊説家の蔡沢は秦に入って范雎に会い、商鞅・呉起・文種らを例に挙げた。彼らは功成っても退くことを知らず、みな非業の最期を遂げたと。蔡沢は「日中すれば則ち移り、月満つれば則ち虧く」という古語を引き、時を逸せず位を譲るよう勧めた。范雎はこれを容れ、病と称して相位を辞し、蔡沢を昭王に推した。小畜上九の「月望に幾し、君子征けば凶」は、まさに満ちた時の進退の道を語っている。
三人の共同経営
ある女性が友人二人との共同経営を考え、小畜九三「車、輹を説く。夫妻目を反く」を得た。小畜は五陽一陰で、主爻の六四が九三の上にある。一人が上から主導し、他は下で圧される形で、和やかに保つのは難しい。先々、会社は一人で背負うことになりかねない。助言は、決断を急がず、数か月して情勢が変わってから改めて見ること、そして六四の「孚有り、血去り惕れ出づ」を参考にすることだった。組むのなら、まず誠信と役割分担をはっきりさせねばならない。卦は卦爻辞と卦象に拠って読むが、人と事の細部を本当に知るのは問う者自身である。
人生への示唆 悟
小畜は「あと一歩」の卦である。雲は厚いが雨はまだ降らない。最も避けるべきは焦りで、なすべきことは二つある。一つは小さく蓄え、力を少しずつ貯えること。もう一つは「文徳を懿くす」こと、学問と品格を内に養い、剛さに柔らかな素養を添えて融通をきかせることだ。刺激に反応するだけの生き方には深みがない。腰を据えてこそ余裕が生まれる。六四は弱い立場の者が誠信によって強者を導く道を、九五は富を分かち合う道を示し、上九は、事が成っても月は満ちれば欠ける、功成れば身を退けと戒めている。