卦名 名
「節」は竹かんむりに従い、『説文』に「節は竹の約なり」とある。もとは竹の節である。竹は一節ずつ伸び、節は区切りであると同時につなぎでもあって、それゆえ竹はまっすぐ立って折れない。そこから節度・節制・節操の意となり、符節や季節の意も生じた。節とはひたすら抑えることではなく、しかるべき所でいったん止まり、そこからまた伸びることである。
卦象 象


上卦の坎は水、下卦の兌は沢で、水が沢の上にある。沢はおのずから調節する。水が多ければあふれて流れ去り、少なければ少しずつ蓄える。受け容れつつ限りがある、それが節である。逆に沢水困(たくすいこん)では水が沢の下に抜け、沢は干上がって困窮となる。
取象の重なり 層
一つの卦はいくつもの層で読める。八卦は一家の人々(父母・長中少の男女)、六爻は組織の位(新人から君主まで)、さらに自然現象や動物にもなる。層を一つ重ねるごとに、爻辞の意味が深まる。
一家として見る
下卦の兌は少女、上卦の坎は中男である。少女は内にあって好み、欲する。中男は外にあって、険を含む水のように彼女に境を引く。若い欲望が兄のような抑えに出会う。節はまさにこの関係を語る。限りは人を不幸にするためでなく、喜びを長く流れさせるためにある。
初九「戸庭を出でず」と九二「門庭を出でず、凶」は一字違いである。六三・六四・九五は互艮で、艮は門闕。初九は門からまだ遠く、部屋の「戸」に触れるだけなので、出ないのが正しい。九二はすでに表門の前にいて、しかも九二・六三・六四の互震のなかにあり、震は動で、動かねばならない。それを初九の真似をして家にこもり、時機を逃すので凶である。
六三「節若たらざれば則ち嗟若たり、咎なし」。三は下卦兌の頂で、兌は口である。口を開いたまま節度を知らず、最後はため息をつくしかない。小象は「又誰をか咎めん」という。人のせいにはできない。月末にカードの使いすぎに気づく人のように、ため息そのものが戒めとなる。
六四「節に安んず、亨る」。四は近臣の位で、陰爻が陰位にいて位が正しい。上は九五に順って承け、下は初九と正応し、上下ともつながっている。卦変で動いたのは三と五で、六四自身は動かない。だから自分の節度に安んじ、無理もせず不満もない。
九五「甘節、吉、往けば尚ばるること有り」と上六「苦節、貞なれば凶」。君主は中正で、まず自らが節し、皆はそれを甘く感じて喜んで従う。坎の最上端では節が行き過ぎて苦行となり、固執すれば凶。同じ限りでも、ふさわしい者の手にあれば甘く、極まれば苦い。
節を逆さにすると風水渙になる。節は流れに限りを設け、渙は滞りを散らす。節を得たら渙を見るとよい。制限がすでに物事を詰まらせているなら、どう緩めるかを考える時である。渙を得たときも、散らしたあとに節度が要ることを忘れない。
節の二から四爻は震、三から五爻は艮で、合わせて山雷頤となる。頤の大象はまさに「言語を慎み、飲食を節す」という。節の核心は口、すなわち話すことと飲み食いすることにある。日々いちばん節度を要するのは、たいていこの二つである。
序卦 序
物不可以終離,故受之以節。
序卦伝は「物は以て終に離るべからず、故にこれを受くるに節を以てす」という。前の渙は離散であり、物はいつまでも散じ続けることはできず、いずれ締めくくりと分寸が要る。だから渙の次に節が来る。両卦は互いに上下を逆さにした綜卦の関係にある。
卦辞 辭
節:亨。苦節不可貞。
節は、亨る。苦節は貞にす可からず。
卦辞は「節は亨る。苦節は貞にすべからず」。通じるが、苦い節制は固く守り続けてはならない、という。後半を読めば前半の「亨」がどこから来るかがわかる。節度がちょうどよく中道にかなっていればこそ通じるのである。無理をし、我慢を重ね、苦しくてたまらない節制は、しばらくは耐えられても長くは続かない。
彖伝 彖
彖曰:節,亨,剛柔分,而剛得中。苦節不可貞,其道窮也。說以行險,當位以節,中正以通。天地節而四時成,節以制度,不傷財,不害民。
彖伝は卦変で説く。節は泰(たい)から来たもので、九三と六五が入れ替わり、同類どうし連なっていた陰陽が交わるようになった。これが「剛柔分かれて剛、中を得」で、中を得た剛は九五である。「苦節は貞にすべからず、其の道窮まるなり」は行き詰まった上六を指す。「説びて以て険を行き、位に当たりて以て節し、中正にして以て通ず」とは、兌の喜びをもって坎の険に臨み、正しい位で節し、中正ゆえに通じることだ。「天地節ありて四時成る」。老陽の九は盛夏、老陰の六は厳冬のようなもので、極まれば転じざるをえず、それで四季がめぐる。「節するに制度を以てすれば、財を傷らず、民を害せず」。
大象 象
象曰:澤上有水,節;君子以制數度,議德行。
大象は「沢上に水あるは節なり。君子以て数度を制し、徳行を議す」。坎の水は平らかさを表すから、公平に数量の限度を定める。橋をいくつ架けるか、公共の施設をどれだけ設けるか、といったことである。兌は口であるから、徳行を論じ合う。外の事柄は明文で節することができるが、徳には上限がなく、控えめに修めるものではない。宋の程頤は、内に存するのが徳、外に表れるのが行だと分けた。両者が一つになってはじめて、人柄は吟味に耐える。
六爻 爻
主爻 九五は中正を得ており、彖伝の「位に当たりて以て節し、中正にして以て通ず」はこの爻を指す。人が喜んで受け容れる「甘節」こそ、全卦の節の手本である。
六爻の道筋:下から上へ
初九は時がまだ来ないと知って部屋の戸すら出ず、慎重で咎がない。九二は表門まで来て、出るべきなのに出ない。節を用いる時を誤るので凶。六三は下卦の頂で、口を開いたまま慎まず、最後はため息をつくしかなく、人のせいにはできない。六四は上卦に入って自分の節度に安んじ、上は君主に承け、下は応じられて亨る。九五は自ら手本となり、その節は甘く、皆が喜んで従う。上六は節を極みまで推し進めて苦行となり、固執すれば凶、手放してこそ悔いが消える。
初九不出戶庭,无咎。戸庭を出でず。咎无し。
現代語で
戸を出て庭に出ない。咎なし。
精読
初九は陽位に陽が居て位正しく、六四と正応する。泰からの卦変でも両者は動いていない。六三・六四・九五は互艮をなし、艮は門である。初九はまだそこから遠く、部屋の「戸」までしか至っておらず、外の門には届かない。節の時に入ったばかりで、まだ動けないと知って身を引き締める。小象は「通塞を知るなり」という。道の通じる時と塞がる時をわきまえているのである。
この爻を得たら
持ち場を守り、言動を慎み、秘すべきことは口外しないこと。時はまだ来ていない。急いで前に出ることはない。
君密ならざれば則ち臣を失う
『繫辞上伝』はこの爻を引いて孔子の言葉を記す。「乱の生ずる所は、則ち言語以て階と為す。君密ならざれば則ち臣を失い、臣密ならざれば則ち身を失い、幾事密ならざれば則ち害成る。是を以て君子は慎密にして出でず」。乱は言葉を足がかりに生じる。君が秘密を漏らせば臣を失い、臣が漏らせば身を滅ぼし、機微の事が漏れれば事は破れる。身近なところでは「あなただけに言うけれど、誰にも言わないで」の一言が、聞いた人からまた一人へと伝わり、やがて知るべき人は皆知ることになる。元をたどれば自分だった、ということも多い。戸庭を出ないとは、まず自分の口を守ることである。
九二不出門庭,凶。門庭を出でず。凶。
現代語で
門を出て庭に出ない。凶。
精読
九二は陰位に陽が居て位は正しくないが中を得ている。同じ陽の九五とは応じず、上の六三に乗られている。中位の二爻に凶の辞がつくことはまれで、ここで凶とはっきり言うのは事が重いからだ。初九と同じく互艮の門の下にあるが、九二は同時に九二・六三・六四の互震のなかにあり、震は動である。動くべき位置にいながら、初九のように出なくてよいと思い込むのが過ちである。卦変では自分は動かず、かつて正応した六五が下りてきて頭上にかぶさった。小象は「時を失うこと極まるなり」という。
もう一層深く
初九「戸庭を出でず」と九二「門庭を出でず、凶」は一字違いである。六三・六四・九五は互艮で、艮は門闕。初九は門からまだ遠く、部屋の「戸」に触れるだけなので、出ないのが正しい。九二はすでに表門の前にいて、しかも九二・六三・六四の互震のなかにあり、震は動で、動かねばならない。それを初九の真似をして家にこもり、時機を逃すので凶である。
この爻を得たら
動くべき時に、節制や慎重を言い訳にしてはならない。時を逸することこそ本当の凶である。すでに起きた変化は、恨まずにまず理解し受け容れることだ。
声を失った講師
ある講師が遠方で講義をした折、初日の午後に受講者と激しく議論し、風邪気味だった喉は授業が終わる頃には全く声が出なくなった。その晩に治療を受けても戻らない。主催者は翌朝早くに続行するか決めてほしいという。遠くから来る受講者を空振りさせたくない彼は、どれほど声が嗄れても続けるつもりだった。同行者の勧めで「今日講義を続ければどうなるか」と占うと、節の九二「門庭を出でず、凶」を得た。「出でず」をこの地を離れないことと読んだ彼は、すぐに講義を取り消し、一番機で帰って午後には医者にかかった。人は他人に迷惑をかけまいとして自分の体を賭けがちである。この爻は、去るべき時には去れと告げている。
六三不節若,則嗟若,无咎。節若たらざれば、則ち嗟若たり。咎无し。
現代語で
節せざれば、嘆くことになる。誰を咎めようもない。
精読
六三は陽位に陰が居て中も正も得ず、同じ陰の上六とは応じず、九二の上に乗っている。もとは泰の六五で、上卦の中に居て九二と正応していたが、卦変で下りて六三となり、中位も正応も失った。いわば居場所を誤ったのである。下卦の兌は口、すぐ上の坎は憂いを加え、合わせて嘆きの象となる。ここでの「咎なし」は他人を咎めようがないという意味で、小象の「又た誰をか咎めん」がそれをはっきりさせる。
もう一層深く
六三「節若たらざれば則ち嗟若たり、咎なし」。三は下卦兌の頂で、兌は口である。口を開いたまま節度を知らず、最後はため息をつくしかない。小象は「又誰をか咎めん」という。人のせいにはできない。月末にカードの使いすぎに気づく人のように、ため息そのものが戒めとなる。
この爻を得たら
まず自らを省みること。問題はおそらく自分の選択に節度がなかったことにある。それを認めてこそ立て直せる。
六四安節,亨。節に安んず。亨る。
現代語で
節に安んずる。亨る。
精読
六四は陰位に陰が居て位正しく、下は初九と正応し、上は九五を承け、さらに止まる互艮のなかにある。卦変で動いたのは三と五で、六四自身は動かず持ち場を守った。これだけの条件がそろえば、どの卦にあっても滞る理由はない。小象は「上の道を承くるなり」という。
もう一層深く
六四「節に安んず、亨る」。四は近臣の位で、陰爻が陰位にいて位が正しい。上は九五に順って承け、下は初九と正応し、上下ともつながっている。卦変で動いたのは三と五で、六四自身は動かない。だから自分の節度に安んじ、無理もせず不満もない。
この爻を得たら
分に安んじ、落ち着いて節度を守り、正しい方針と上に立つ人に従えば、おのずと通じる。
九五甘節,吉;往有尚。節に甘んず。吉。往けば尚ばるる有り。
現代語で
甘き節。吉。往けば尚ばれる。
精読
九五は陽位に陽が居て中正を得、まさに彖伝のいう「位に当たりて以て節し、中正にして以て通ず」である。九二とは応じないが、吉は損なわれない。もとは泰の九三で、泰の上卦坤の位置に上ってきた。坤は土であり、『尚書』洪範に「土は爰に稼穡す」「稼穡は甘を作す」とあるから「甘節」という。小象は「位に居りて中なればなり」という。ほどよい節度は、人を喜んで従わせる。
もう一層深く
九五「甘節、吉、往けば尚ばるること有り」と上六「苦節、貞なれば凶」。君主は中正で、まず自らが節し、皆はそれを甘く感じて喜んで従う。坎の最上端では節が行き過ぎて苦行となり、固執すれば凶。同じ限りでも、ふさわしい者の手にあれば甘く、極まれば苦い。
この爻を得たら
自ら手本となり、決まりを理にかないほどよいものにすれば、人は喜んで従う。今進めば認められる。
上六苦節,貞凶,悔亡。節に苦しむ。貞なれども凶。悔亡ぶ。
現代語で
苦しき節。貞なれば凶。悔いは亡ぶ。
精読
上六は陰位に陰が居て位は正しいが、六三と応ぜず、九五の上に乗り、上卦の坎、すなわち険の頂にある。卦変でも頑として動かず、それゆえ節は苦くなった。ここの「貞」はそのまま押し通すことで、だから凶である。小象は「其の道窮まるなり」という。それでも「悔い亡ぶ」とあるのは、道の果てに来てほかに選びようがないからであり、また苦節の本意である奢より倹を選ぶ心は、自分ひとりを律するのに用いるなら悔いを消しうるからである。
この爻を得たら
節制が苦い極端に至っている。これ以上無理を重ねたり人に強いたりせず、長く続けられる分寸を探し直すことだ。
書き下し文は本サイトによる。明治・大正期の公有訓読(漢文叢書『詩経書経易経』1922年、国立国会図書館デジタルコレクション)と照合した。
故事 典
伯夷の清と孔子の時
伯夷と叔斉は孤竹君の子である。周の武王が殷の紂を討つと、二人は周の粟を食むことを恥じて首陽山に隠れ、薇を採って食べ、ついに餓死した(『史記』伯夷列伝)。司馬遷はここで問わずにいられない。天道は常に善人に与するというが、これほどの善人がこの最期である。「儻いは所謂天道は、是か非か」と。孟子は伯夷を「聖の清なる者」と敬いつつも、「伯夷は隘し」と、その狭さをはっきり指摘した。そして孔子を「聖の時なる者」と呼んだ。仕えるべきときは仕え、退くべきときは退く人である。少しも融通しない清廉は苦節に近く、時に応じてほどよく節するのが甘節である。
家選びの二つの意見
ある夫婦が家を買うにあたり、どの物件にするか、誰の名義にするかで譲らなかった。妻が占うと、節の九二と九五が動いた。下卦の九二は占う妻に当たり「門庭を出でず、凶」、上の九五は夫に当たり「甘節、吉、往けば尚ばるること有り」。朱熹の法では二爻が動けば上の爻を主とするので、答えは九五にあった。妻は夫の選択に従った。之卦は復(ふく)で、一陽来復、新しい始まりの象である。二人の長年のわだかまりもそれとともに解けた。占いはしばしば予言というより、心に沈んだ思いを浮かび上がらせて手放させる働きをする。
人生への示唆 悟
世を生きるにはどこでも節度が要る。飲食も言葉も欲望も、読書でさえ、過ぎても及ばなくてもよくない。基準は「中」であり、また「通塞」の見極めである。塞がるときは控え(初九)、通じるときは動く(九二)。一歩見誤れば「咎なし」は「凶」に変わる。外の事柄は制度と数量で節することができるが、徳は常に基準を引き上げてゆくべきものだ。この卦では位の正しい初九・六四・九五がよく、位を失った九二・六三が最も悪い。節はまず正しい場所に立つことから始まる。苦節は貞にすべからず。人を苦しめる決まりは、いかに高尚でも長続きしない。