卦名 名
「兌」は「説」すなわち「悦」で、喜びである。象は沢、形は口。二つの陽の上に一つの陰があり、古人は「兌上缺」という。上の欠けは開いた口のようでもあり、空に開いた沢の面のようでもある。喜びは口に出し表に現れるもので、「雑卦伝」が「兌見」というゆえんである。
卦象 象


上下とも兌で、二つの沢が連なる。二つの水が寄り添い潤し合えば涸れにくく、二つの口が向き合えば語らいと切磋になる。兌は後天八卦で西、季節は秋にあたる。収穫の季節であり、喜びがおのずとあふれる時である。
取象の重なり 層
一つの卦はいくつもの層で読める。八卦は一家の人々(父母・長中少の男女)、六爻は組織の位(新人から君主まで)、さらに自然現象や動物にもなる。層を一つ重ねるごとに、爻辞の意味が深まる。
一家として見る
兌為沢は上下とも少女である。兌は二つの陽爻の上に陰爻がひとつ乗り、この最上の爻が兌を少女たらしめる。外は柔らかく笑みを見せ、内は剛く充実している。少女は家でいちばん可愛がられ、よく話し喜びを表に出すので、兌は口、悦である。二人の少女が向き合うのは、つながった二つの沢のようでもあり、語り合う二つの口のようでもある。喜びは互いを潤すこともあれば、口先の楽しみに堕することもある。
六三「来りて兌ぶ、凶」。六三は下卦兌の上爻で、下の少女を形づくる爻そのものである。三は下卦の頂、最もむき出しの位置で、陰が陽位にいて中でも正でもない。自ら下の二つの陽爻のもとへ寄って機嫌を取る。人を喜ばせるために来る喜びは質が変わっているので、凶である。
九四「商りて兌び未だ寧からず、疾を介てて喜び有り」。九四は上下二つの兌のあいだにあり、二つの口が同時に話して、まだ相談中で結論がない。下の六三の取り入りを退けつつ、上の九五を補佐せねばならない。六三・九四・九五は互巽で九四がその中心にあり、巽は「利に近く市すること三倍」。けじめをつけたあとにかえって喜びがある。
九五「剝に孚あり、厲うきこと有り」。九五は君位で、すぐ隣に上六がいる。上六は全卦で最も人を喜びへ引き込む爻で、君主のそばにぴったり付いている。自分を喜ばせることを仕事とする者を信じる上の者は、耳に心地よい話ばかり聞く上司のように、権威を少しずつ削られる。だから危うい。
上六「引きて兌ぶ」。上六は上卦兌の上爻で、上の少女を形づくる。全卦の最高所にいて正応がなく、手を伸ばして他人を喜びに引き込むしかない。少女の愛らしさは自然にあふれるところにある。わざと誘うようになれば、喜びは人を引っ張る手段となる。小象は「未だ光いならず」という。
兌の六爻をすべて変えると艮になる。少女の向かいには少男がいる。兌は口を開き、艮は止まる。艮の六五「その輔に艮まる、言に序あり」が、兌に欠けた面を補う。喜びには節度が、言葉には分寸が要る。そうでなければ兌の喜びは軽薄に流れる。
兌の二から四爻は離、三から五爻は巽で、合わせて風火家人となる。少女の喜びのうちには一つの家がある。長続きする楽しさは、一時のにぎわいではなく、家族のあいだの長い信頼と世話から生まれる。
序卦 序
入而后說之,故受之以兌;兌者說也。
「序卦伝」は「入而後說之,故受之以兌;兌者說也」という。巽は入ること。ある境遇に入り、本当に通じ合ってはじめて互いに喜ぶ。まず落ち着き、そののち喜ぶ。それが人情の順序である。
卦辞 辭
兌:亨。利貞。
兌は、亨る。貞しきに利し。
卦辞は「兌:亨。利貞」。喜んで通じ、正しく固いのがよい。「元亨利貞」に比べて「元」がない。四徳を春夏秋冬に配すれば、兌は秋で夏と冬の間にあるから、亨・利・貞はあっても春にあたる元はない、という説がある。喜びは人を通じさせるが、正道に立っていなければ、へつらいと放縦に流れる。
彖伝 彖
彖曰:兌,說也。剛中而柔外,說以利貞,是以順乎天,而應乎人。說以先民,民忘其勞;說以犯難,民忘其死;說之大,民勸矣哉!
「彖伝」は「剛中而柔外」という。九二・九五の剛が中にあり、六三・上六の柔が外にある。内に誠、外に和で、喜びが正しく固くなり、「順乎天而應乎人」となる。続けて「說以先民,民忘其勞;說以犯難,民忘其死」。まず民を喜ばせてから導けば、苦労しても恨まず、難に赴いても死を恐れない。喜びの最大の働きは、民を奮い立たせることにある。
大象 象
象曰:麗澤,兌;君子以朋友講習。
「麗澤,兌;君子以朋友講習」。二つの沢が寄り添えば水は補い合って尽きない。兌は口で、二つの兌は向き合う二つの口である。君子はそれにならい、友と語り合い、ともに実践する。人は言葉を持つから経験を交わし知識を積み、文化を進めてきた。いわゆる「獨學而無友,則孤陋而寡聞」である。
六爻 爻
主爻 兌は上が欠け、少ないものが要となるから、上六が主爻である可能性が高い。ただその喜びは他に引かれて生じるので、「おそらく」にとどまる。九二・九五の剛中は喜びの土台である。
六爻の道筋:下から上へ
初九の喜びは和やかさから出て私心がないので吉。九二は誠意で人に接し、そばで六三が取り入っても悔いはおのずと消える。六三は下卦の頂で、自分から寄って人を喜ばせようとし、喜びが迎合に変わるので凶。九四は上卦に入り、二つの口のあいだで思案を重ね、よくない楽しみとけじめをつけてようやく慶びを得る。九五は君位にありながら、そばで機嫌を取る者を信じ、権威を少しずつ削られて危うい。上六は極みに至り、喜びは人を誘う手段となって、はじめの自然さを失っている。
初九和兌,吉。和して兌ぶ。吉。
現代語で
和して悦ぶ。吉。
精読
初九は陽が陽位で当位、動く力がある。下の兌は口・楽で、上卦も兌、上下が唱和するので「和兌」という。兌は大壮の三爻と五爻が入れ替わって成る。大壮で初九はもともと九四と応じず、兌に変わってどの爻も正応を失ったが、初九には失うものがない。小象は「行未疑也」、行いに疑いがないという。
この爻を得たら
穏やかな心で人と接し、争わず比べず、わだかまりなく行えば、喜びはおのずと来る。
九二孚兌,吉,悔亡。孚ありて兌ぶ。吉にして、悔亡ぶ。
現代語で
孚ありて悦ぶ。吉、悔い亡ぶ。
精読
九二は陽が陰位で不当位だが中にあり、陽は実で忠信の象。悔いは九五と応じないことにある。だが大壮では九二は六五と正応しており、その六五が下って六三となった。正応から隣人に変わっても旧友はそばにいるので悔いが亡ぶ。小象は「信志也」、志が真実だという。初九の「和」、九二の「孚」、どちらの喜びも求めて得たものではなく、自然に訪れたものだ。
この爻を得たら
誠をもって人に接し、作為を用いなければ関係はおのずと固まる。初めの懸念は率直な対話の中で消えてゆく。
六三來兌,凶。来りて兌ぶ。凶。
現代語で
来たりて悦ぶ。凶。
精読
六三は陰が陽位で不当位、中でもなく、下は九二に乗り上は九四を承け、上六と応じない。大壮の六五が下ってできた爻で、まさに兌を作り出した爻だから「來兌」という。自ら意図して喜びを作り出すもので、へつらいの気味がある。互巽の入・順にあり、迎合の意はいっそう明らかだ。小象は「位不當也」とだけいうが、九四も不当位である。六三の凶は作為にある。求めて作った歓楽は、しばしば逆効果となる。
もう一層深く
六三「来りて兌ぶ、凶」。六三は下卦兌の上爻で、下の少女を形づくる爻そのものである。三は下卦の頂、最もむき出しの位置で、陰が陽位にいて中でも正でもない。自ら下の二つの陽爻のもとへ寄って機嫌を取る。人を喜ばせるために来る喜びは質が変わっているので、凶である。
この爻を得たら
取り入ったり、無理に楽しさを作ったり、人に迎合したりしてはならない。誠実であることが、どんな工夫よりも確かだ。
九四商兌,未寧,介疾有喜。商りて兌ぶ。未だ寧からず。介として疾めば喜び有り。
現代語で
商りて悦ぶ、いまだ寧からず。疾を介てれば喜びあり。
精読
九四は陽が陰位で不当位、上下二つの兌の間にあって二つの口が向き合うようであり、互巽の進退不果の中にあるので、協議がまとまらない。大壮でも初九と応じず、卦変で失うものはない。「介」は隔てること。下には媚びる六三、上には尊位の九五。正しからぬ引きを隔てれば喜びに転じる。小象は「有慶也」。四つの陽のうちこれだけが陰と比し、互巽の「近利市三倍」の益もある。
もう一層深く
九四「商りて兌び未だ寧からず、疾を介てて喜び有り」。九四は上下二つの兌のあいだにあり、二つの口が同時に話して、まだ相談中で結論がない。下の六三の取り入りを退けつつ、上の九五を補佐せねばならない。六三・九四・九五は互巽で九四がその中心にあり、巽は「利に近く市すること三倍」。けじめをつけたあとにかえって喜びがある。
この爻を得たら
まだ協議中で決まらない時は、まず害あるもの、絡みつくものを隔てること。適度な距離を保てば、誤解や面倒はおのずと解けることが多い。
疾を介てて喜びあり
鳥インフルエンザが流行した折、ある易経の講座で受講者がこの脅威にどう向き合うべきかと問うた。その場で筮すると、兌の九四「商兌未寧,介疾有喜」を得た。皆がまだ議論している間に、答えは爻辞にあった。病を隔てれば喜びがある。家禽を持ち歩かず近づかず、距離を保てばよい。のちに三百八十四爻のうち病に関わるものを洗い直しても、これ以上に適切なものはなかった。「繋辞伝」は「問焉而以言,其受命也如響」という。誠をもって問えば、答えは明らかである。
九五孚于剝,有厲。剥に孚あり。厲ふき有り。
現代語で
剝するものに孚あり。厲うし。
精読
九五は陽が陽位で中正、小象は「位正當也」といい、それ自体に問題はない。「剝」は上六を指す。卦の果てにあり、下から二つの陽に迫られて、退場間近の衰えゆく者のようだ。九五は大壮では九三で上六と正応していたが、上ってきて隣人となり、上六はその上に乗ってすがる。衰えゆく力に頼られれば危うい。兌には毀折の象もあり、遠くで聞いて喜ばしかったものが、近くで見ると期待外れということもある。
もう一層深く
九五「剝に孚あり、厲うきこと有り」。九五は君位で、すぐ隣に上六がいる。上六は全卦で最も人を喜びへ引き込む爻で、君主のそばにぴったり付いている。自分を喜ばせることを仕事とする者を信じる上の者は、耳に心地よい話ばかり聞く上司のように、権威を少しずつ削られる。だから危うい。
この爻を得たら
立場は正しくとも、誰が寄りかかっているかに注意すること。衰えつつある関係や約束に引きずられぬよう、警戒を怠らぬこと。
上六引兌。引きて兌ぶ。
現代語で
引きて悦ぶ。
精読
「引兌」はわずか二字、三百八十四爻で最も短い爻辞で、吉凶をいわない。上六は陰が陰位で当位、六三と応ぜず、力は限られ、喜びも終わりに近い。大壮では九三と正応しており、その九三が上って九五となった。まるで上六が引き上げたかのようで、こうして兌が成った。小象は「未光也」、「光」は「広」に通じる。人を引き込んで得る喜びは道が狭い。六三ほど凶ではないが、作為の病は同じである。
もう一層深く
上六「引きて兌ぶ」。上六は上卦兌の上爻で、上の少女を形づくる。全卦の最高所にいて正応がなく、手を伸ばして他人を喜びに引き込むしかない。少女の愛らしさは自然にあふれるところにある。わざと誘うようになれば、喜びは人を引っ張る手段となる。小象は「未だ光いならず」という。
この爻を得たら
喜びが人に導かれたり人を引き込んだりしてはじめて得られるなら、長続きしない。自らの誠に立ち返れば、道は広がる。
書き下し文は本サイトによる。明治・大正期の公有訓読(漢文叢書『詩経書経易経』1922年、国立国会図書館デジタルコレクション)と照合した。
故事 典
佚道を以て民を使う
兌の「彖伝」は「說以先民,民忘其勞」という。『孟子』尽心上篇にも通じる言葉がある。「以佚道使民,雖勞不怨;以生道殺民,雖死不怨殺者」。民を将来安らかにするために使えば、苦労しても恨まない。生かす道を求めて裁き、あらゆる法条で活路を探し、どうしても尽きた時にはじめて死を言い渡せば、刑を受ける者も裁く者を恨まない。どちらも要は民のために考えることにある。指導者の真の秘訣は、威勢で押さえつけることではなく、人に心からの喜びと尊重を感じさせることだ。
文を以て友を会し、友を以て仁を輔く
『論語』顔淵篇に曾子の言葉がある。「君子以文會友,以友輔仁」。交友の最高の原則といってよい。「文」は学歴ではなく、功利や享楽を超えたあらゆる人文の営みで、互いに心惹かれるものを持つことが肝要である。「輔仁」は交友の目的で、互いに支え合って人生の正道を歩むことだ。兌の大象「朋友講習」はまさにこの意である。二つの沢が寄り添えば涸れず、二人の友が語り合えば義理は日々新たになる。『礼記』学記篇も「獨學而無友,則孤陋而寡聞」という。
人生への示唆 悟
喜びは人生の潤いであり指導の秘訣でもあるが、誠と正道を根としなければならない。兌の六爻はそれを明確に分ける。自然に応じ和する喜び(和兌・孚兌)は吉、意図して作る喜び(来兌)は凶、人を引き込んで得る喜び(引兌)は道が狭い。人の間では、効果を狙うほど裏目に出やすい。楽しみを追うより、良き友と語り学び合うこと。共に成長する中で、喜びはおのずと訪れる。