震
51 / 64 · 下経
震震為雷(しんいらい)
驚きに動じず、恐れを修養に変える
震動戒懼修省

卦名 名

「震」は雨と辰からなる字で、本義は万物を裂く激しい雷鳴であり、そこから揺れ動く、恐れおののくの意となる。八卦の震は雷であり長男であって、二陰の下に一陽が生じ、力が底から突き上げる形をなす。上下とも震であるから、雷鳴が幾重にも轟く。

卦象 象

震上卦 · 雷 · 動
震下卦 · 雷 · 動

上も雷、下も雷で、雷が相次ぐ「洊雷」である。長子が大位を継ぐのは突然の雷のようなもので、人々が震え上がるその時こそ、胆力が試される。二爻から四爻に互艮、三爻から五爻に互坎があり、揺れの中に停滞と危険が潜んでいる。

取象の重なり 層

一つの卦はいくつもの層で読める。八卦は一家の人々(父母・長中少の男女)、六爻は組織の位(新人から君主まで)、さらに自然現象や動物にもなる。層を一つ重ねるごとに、爻辞の意味が深まる。

一家として見る

震為雷は上下とも長男である。「説卦伝」によれば、震は乾坤が初めて求め合って得た男子で、下から数えて最初の陽爻が長男をなし、二つの陰爻は添え物にすぎない。「序卦伝」は「器を主る者は長子に若くはなし」という。鼎が立ったあと、国の重器を受け継ぐのは長子である。継承は雷のように四方を驚かせ、試されるのは継ぐ者が動じずにいられるかである。

家族 初爻

初九「震来たりて虩虩たり、後に笑言啞啞たり、吉」。震を長男たらしめるのは、まさにこの最下の陽爻なので、初九が主爻であり、爻辞はほぼ卦辞を繰り返す。上卦の九四も陽爻だが、互坎・互艮のなかに埋もれて複雑すぎ、純粋な震を代表できない。長子はまず驚き、のちに笑う。恐れを知ってこそ落ち着ける。

動物・取象

卦辞「震、百里を驚かせども、匕鬯を喪わず」。六三・九四・六五は互坎である。坎は「堅くして心多き」木で茨のようであり、木の匕に通じる。坎はまた水で、祭りの香酒である鬯に通じる。長子が宗廟の祭りを主り、雷鳴が百里に響いても、手の祭器も祭酒も落とさない。

互卦 二爻

六二「億りて貝を喪い、九陵に躋る。逐うなかれ、七日にして得ん」。六二・六三・九四は互艮で、艮は山なので、高い丘に登って雷を避ける。失った財を追う必要はない。爻は六つの位を経て七日目に元に戻り、失ったものは帰ってくる。

互卦 四爻

九四「震いて遂に泥む」。九四は上下それぞれ二つの陰爻に挟まれ、六三・九四・六五の互坎の真ん中にある。坎は水である。震は臨から変じ、九四はもとの上坤、すなわち土のなかへ昇った。土に水で泥となる。二度目の雷は泥にはまり、音はしても力がない。

綜卦

震を逆さにすると艮で、長男と少男、一動一静の兄弟である。長子は継いで動かねばならず、末弟は継ぐ必要がないので止まることを学ぶ。震を得たら艮も見るとよい。衝撃のあと、いつ止まるかもまた課題である。

互卦(卦)

震の二〜四爻は艮、三〜五爻は坎で、合わせて水山蹇となる。雷鳴の下には蹇難が潜み、前に険、後ろに山がある。だから震の大象は「恐懼して修省す」、蹇の大象は「身に反りて徳を修む」という。驚いたあとの本当の工夫は、自分を振り返ることである。

序卦 序

主器者莫若長子,故受之以震;震者動也。

〈序卦伝〉は「主器者莫若長子、故受之以震、震者動也」という。鼎は国家の重器であり、鼎が据えられた後にそれを司るのは長子をおいてほかにない。震は長男であり、位を継ぐこと自体が大きな震動であるから、鼎の次に震が来る。

卦辞 辭

震:亨。震來虩虩,笑言啞啞。震驚百里,不喪匕鬯。

震は、亨る。震の来るとき虩虩たり、笑言啞啞たり。震百里を驚かせども、匕鬯を喪はず。

震は通る。雷が来れば人々は恐れおののくが、主たる者は笑い語らって度を失わない。雷鳴は百里を驚かすが、祭主は匕も鬯も取り落とさない。匕は鼎から肉を取る柄の長い匙、鬯は黒黍で醸した香り高い酒で、いずれも宗廟の祭器である。位を継ぐ者は得意になってはならず、責任を雷鳴のごとく重く受けとめてこそ、大きな変動の中で節度を保てる。衆目が集まる場では、落ち着きこそが何よりも雄弁なのである。

彖伝 彖

彖曰:震,亨。震來虩虩,恐致福也。笑言啞啞,後有則也。震驚百里,驚遠而懼邇也。出可以守宗廟社稷,以為祭主也。

〈彖伝〉の要は「恐致福也」にある。恐れは人を慎重にし備えさせるので、かえって福を招く。「後有則也」、驚きが過ぎれば言行に法度が生まれる。「驚遠而懼邇」とは遠近ともに戒めることであり、君主が出行するときには長子が宗廟社稷を守り、祭祀の主となる。古人は雷を天の戒めと見た。祭主の畏敬こそ、大位を担う根本なのである。

大象 象

象曰:洊雷,震;君子以恐懼修省。

雷が重なって震となる。君子はこれに則り「恐懼修省」、恐れ慎んで己を修め、過ちを省みる。人は安楽のうちには顧みず、危難に臨んで初めて振り返る。驚きを機に絶えず自省すれば、悪習が積もって手遅れになることはない。これが憂患の意識である。

六爻 爻

主爻 初九が主爻である。下震の唯一の陽爻で、雷が地から起こる姿であり、爻辞は卦辞をほぼ繰り返して「後」の一字を加えるのみ、しかも全卦で唯一「吉」とされる。九四も陽爻だが、四つの陰に囲まれ互坎・互艮に絡め取られており、震を代表するには複雑すぎる。

六爻の道筋:下から上へ

初九は雷が初めて来たところで、継ぐ者はまず驚き、のちに笑って全体を落ち着かせる。六二は衝撃を受けて財を失い、高みに登って避ける。追わずとも七日で戻る。六三は下の雷の頂で呆然とするが、ここで動けば災いを免れる。九四は二度目の雷だが泥にはまり、力が散る。六五は上下の雷の間を行き来して危ういが、中を守って祭祀の大事を誤らない。上六は震えが極まり、誰もが目を見張って震える。雷は隣家に落ちたので、早めに戒めれば咎はない。ただしこのとき縁談をすれば噂が立つ。

初九震來虩虩,後笑言啞啞,吉。震の来るとき虩虩たり。後に笑言啞啞たり。吉。
主爻位に当たる第4爻と応ぜず
小象 震來虩虩,恐致福也。笑言啞啞,後有則也。
現代語で

雷が来て恐れおののくが、のちには笑い語らって落ち着く。吉である。

精読

陽爻が陽位にあって当位、卦の主である。九四も陽であるから応はない。小象は「恐致福」「後有則」を重ねて述べる。驚くのは自然な反応であり、肝心なのは驚いた後に定まり、言笑に節度が戻ることだ。震の三つの音、初九の「虩虩」、六三の「蘇蘇」、上六の「索索」は段々に深まるが、初九はもっとも軽く、福に転じやすい。

もう一層深く
家族

初九「震来たりて虩虩たり、後に笑言啞啞たり、吉」。震を長男たらしめるのは、まさにこの最下の陽爻なので、初九が主爻であり、爻辞はほぼ卦辞を繰り返す。上卦の九四も陽爻だが、互坎・互艮のなかに埋もれて複雑すぎ、純粋な震を代表できない。長子はまず驚き、のちに笑う。恐れを知ってこそ落ち着ける。

この爻を得たら

突然の変動に遭ったら、まず自分の不安を認め、慎重さと備えで局面を落ち着かせよ。先に憂い後に安んずる。戒め慎むことこそ福の源である。

六二震來厲,億喪貝,躋于九陵,勿逐,七日得。震の来るとき厲ふし。億りて貝を喪ひ、九陵に躋る。逐ふ勿れ。七日にして得ん。
位に当たる中を得る第5爻と応ぜず剛に乗る
小象 震來厲,乘剛也。
現代語で

震動が危うさをもたらし、多くの財貨を失う。九重の丘に登るが、追ってはならない。七日で取り戻す。

精読

陰爻が陰位にあり、中を得て当位であるが、初九の剛に乗り、足下で雷が動くので、小象は「乘剛也」といい、立場は不安定である。卦変では、震は臨卦の二爻と四爻が入れ替わってできる。この爻はもと臨の上坤にあり、坤の三陰は二連の貝のようであった。震になって坤が消えるので「億喪貝」、「億」は古くは十万で、多いことをいう。入れ替わった九四が互艮の山中にあるので「躋于九陵」。六二と九四はそれぞれ上下の震の中にあって共に歩み、平行線のように決して追いつかないから「勿逐」。中正を守れば、六位を巡って七歩目に元に戻る。復卦の「七日來復」と同じ理である。

もう一層深く
互卦

六二「億りて貝を喪い、九陵に躋る。逐うなかれ、七日にして得ん」。六二・六三・九四は互艮で、艮は山なので、高い丘に登って雷を避ける。失った財を追う必要はない。爻は六つの位を経て七日目に元に戻り、失ったものは帰ってくる。

この爻を得たら

変動の中で損失が出ても、慌てて取り返そうとするな。中正を守り自分を落ち着かせれば、戻るべきものは時が来れば戻ってくる。

文王、羑里に囚わる

『左伝』襄公三十一年に「紂囚文王七年」とあり、『史記』周本紀は、西伯が羑里に囚われていたとき「蓋し易の八卦を益して六十四卦と為す」と記す。ここから、文王が憂患の中で易を演じたという伝承が生まれた。囚われの身で先も見えず、失ったものは財貨どころではなかった。臣下たちが紂に美女や珍宝を献じ、文王はついに釈放されて周に帰った。「勿逐、七日得」の落ち着きは、苦境にあって己を守り、時の巡りを待つ姿そのものである。

《左傳・襄公三十一年》;《史記・周本紀》
六三震蘇蘇,震行无眚。震ひて蘇蘇たり。震ひて行けば眚无し。
位に当たらず第6爻と応ぜず
小象 震蘇蘇,位不當也。
現代語で

震動に小刻みに震える。驚いて動き出せば、自ら招く過ちはない。

精読

陰爻が陽位にあって不当位であり、しかも下震の頂にある。揺れは高いところほど大きく、六二より状況は悪いので、小象ははっきり「位不當也」という。互坎の中にもあって本来は災いの位置だが、震は行くことであり、驚きを機に動いて不適切な位置を離れれば、災いは災いとならない。「眚」は自ら招く過ちで、外から来る「災」とは区別される。

この爻を得たら

位置が合わず心が震えているなら、その場で固まるな。恐れを立て直しの行動に変えれば、自ら招く咎は避けられる。

九四震遂泥。震ひて遂に泥む。
位に当たらず第1爻と応ぜず
小象 震遂泥,未光也。
現代語で

震動して泥に沈む。

精読

陽爻が陰位にあり、中でも正でもなく、上下を二つずつの陰爻に囲まれ、互坎の中にある。卦変では臨の二位から上坤の土に昇ったもので、土に坎の水が加わって泥となる。陽剛は本来奮い立つはずが力を発揮できず、小象は「未光也」という。主爻に九四を取らない理由もここにある。

もう一層深く
互卦

九四「震いて遂に泥む」。九四は上下それぞれ二つの陰爻に挟まれ、六三・九四・六五の互坎の真ん中にある。坎は水である。震は臨から変じ、九四はもとの上坤、すなわち土のなかへ昇った。土に水で泥となる。二度目の雷は泥にはまり、音はしても力がない。

この爻を得たら

奮起したいのに至るところで足を取られるなら、無理押しは禁物だ。まず自分が何にはまっているかを見極め、足場が固まってから伸びようとせよ。

六五震往來厲,億无喪,有事。震ひて往くも来るも厲ふし。億りて喪ふこと无くして、事有り。
位に当たらず中を得る第2爻と応ぜず剛に乗る
小象 震往來厲,危行也。其事在中,大无喪也。
現代語で

震動の中、行くも来るも危うい。大きな損失はないが、処理すべき事が起こる。

精読

陰爻が陽位にあって不当位だが、上卦の中を得る。上は上六と応がなく、下は九四の剛に乗り、しかも互坎の険の中にあるので、小象は「危行也」という。卦変で二と四が入れ替わったとき六五は動かず、もとの坤の中位を守ったので、六二の「億喪貝」とは違い「億无喪」となる。小象の「其事在中、大无喪也」である。程頤は、中はしばしば正よりも重いと説いた。中を守るとは八方美人や妥協ではなく、過不及なく、あるべき位置ですべきことをすることである。

この爻を得たら

進むも退くも危ういときは、中道を守り極端に走らなければ損失は抑えられる。ただし事は自然には消えないので、心して処理せよ。

上六震索索,視矍矍,征凶。震不于其躬,于其鄰,无咎。婚媾有言。震ひて索索たり。視ること矍矍たり。征けば凶。震其の躬に于てせずして、其の隣に于てす。咎无し。婚媾言有り。
位に当たる第3爻と応ぜず
小象 震索索,中未得也。雖凶无咎,畏鄰戒也。
現代語で

震動に全身わななき、おびえて四方を見回す。進めば凶。震動が自分の身ではなく隣人に及ぶのなら咎はない。婚姻には不満の言葉が出る。

精読

陰爻が陰位にあって当位だが、上震の極、全卦の頂にあり、二重の震動が窮まる。「虩虩」「蘇蘇」から「索索」へと、恐れは一段と深まる。小象の「中未得也」は、中道を失うので進めば凶ということ。「畏鄰戒也」は、六五が行くも来るも危ういのを見て自らを戒めるので咎がないということ。六爻すべて応がないので「婚媾」は同類の親しい者を指すにすぎず、卦変で臨の兌の口が消えたため、言葉が改まって不満となる。

この爻を得たら

恐れが極まったら、それ以上前に出るな。身近な人の出来事を見て己を戒めれば災いを免れる。協力関係や親しい間柄に不満の声が出るかもしれないが、言い争わず汲み取ることだ。

用件を語らぬ問卦者

知人の紹介で来たある人は、何を問うのかを明かさず、ただ占ってほしいと言った。得たのは震の上六である。解く側は一句ずつ示すほかなかった。近ごろ大きな変動の中にあって心が定まらないのではないか、しばらく前進は控えたほうがよい。身近な人の出来事に警戒心を抱いたのかもしれない。人間関係や夫婦の間に何か言い分があるのかもしれない。その人は長く考え込み、礼を言って去った。卦を真に解くのは問う本人である。爻辞は日ごろ見落としていたところを照らすにすぎない。〈繋辞伝〉にいう「無有師保、如臨父母」である。

書き下し文は本サイトによる。明治・大正期の公有訓読(漢文叢書『詩経書経易経』1922年、国立国会図書館デジタルコレクション)と照合した。

故事 典

迅雷風烈には必ず変ず

『論語』郷党篇は、孔子が「迅雷風烈には必ず変ず」、つまり激しい雷や烈風に遭えば必ず容を改めたと記す。『礼記』玉藻篇も、疾風・迅雷・甚雨のときは夜中でも起き、衣冠を正して坐すという。これは狼狽ではなく畏敬である。朱熹はこの句に「天の怒りを敬する所以なり」と注した。怒る天とは、明らかに抽象的な「理」にとどまらない。八佾篇で孔子は「罪を天に獲れば、禱る所無きなり」とも言う。孔子の天は祈りを聴く主宰であった。震は雷を天の戒めとし、君子は恐懼して修省する。その姿勢は孔子と通じ合う。

《論語・鄉黨》;《禮記・玉藻》;《論語・八佾》

人生への示唆 悟

震が教えるのは、恐れそのものは禍ではなく、驚いた後にどう身を処すかが肝心だということである。天道に吉凶はなく、雷鳴は誰にも等しく響く。吉凶は人の応じ方から生まれる。取り乱して足場を失う者もいれば、恐れを修省に変えてかえって福を得る者もいる。位が高いほど揺れは大きく、胆力が要る。他人の遭遇から己を戒めるのもまた知恵である。孟子は「仰いで天に愧じず、俯して人に怍じず」と言った。日ごろの修省で俯仰に恥じるところがなければ、雷鳴がどれほど大きくとも、笑い語らうことができる。

関連する卦 通