井
48 / 64 · 下経
井水風井(すいふうせい)
養いて窮まらず、最後の一歩を全うする
井養終わりを慎む分かち合い

卦名 名

「井」は井戸の口を囲む木枠の形で、交差する四本の木が水源を囲む。古代の井田制では一里四方の田を井の字に九分し、八家が各一区を耕し、中央の公田を共同で耕した。井は集落と共同生活の象徴でもある。

卦象 象

坎上卦 · 水 · 陷
巽下卦 · 風 · 入

上の坎は水、下の巽は木・入る。木の桶が水に入り、水を汲み上げる、これが井である。大象は「木の上に水あり」と言い、はねつるべのような汲水具も思い浮かぶ。井戸は村が移っても動かず、多くの人が汲んでも減らず、汲まずにおいても溢れない。変わらず人々を養い続ける。

取象の重なり 層

一つの卦はいくつもの層で読める。八卦は一家の人々(父母・長中少の男女)、六爻は組織の位(新人から君主まで)、さらに自然現象や動物にもなる。層を一つ重ねるごとに、爻辞の意味が深まる。

一家として見る

下卦の巽は長女、上卦の坎は中男である。巽は木、入ること、坎は水。長女は井戸の底へ沈む木の桶のように、中男の表す深い水を汲み上げ、家族みなに飲ませる。「説卦伝」は巽を長女とし、また縄直ともする。釣瓶の縄も桶も彼女のうちにある。家族の日々の世話を支えるのは、こうした安定して目立たない、毎日繰り返される献身である。

互卦 初爻

初六「井泥にして食われず、旧井に禽なし」。初六は九二・九三・六四の互兌の下にあり、兌は毀折、欠け目である。壊れたものの下にいるので、捨てられた古井戸、底は泥で鳥さえ来ない。長く自分を新しくしない人は、誰も汲みに来ない古井戸のようなものだ。

互卦 二爻

九二「井谷、鮒に射ぐ、甕敝れて漏る」。射は水が下へ流れ注ぐこと。九二は互兌にあり、兌は欠け。上は九三・六四・九五の互離で、離は大腹、水を入れる甕である。大甕の底に穴があって水は小魚のほうへ漏れ、汲み上げられない。九二は九五と応じないので、その才は上に用いられない。

君臣・爻位 三爻

九三「井渫えども食われず、我が心の惻みを為す……王明らかなれば、並にその福を受けん」。三は下卦の頂で、能力はあるがまだ登用されない人である。井戸は浚ってきれいなのに誰も飲まず、見る者が心を痛める。九三・六四・九五は互離で、離は明、君位まで通じている。君主が明らかでこの良い井戸に気づけば、皆が福を受ける。

互卦 四爻

六四「井甃す、咎なし」。甃は煉瓦で井戸の壁を築くこと。六四は互離にあり、離は火、火が泥を焼いて煉瓦にする。この爻は水を出さず、井戸を修理し壁を固めるだけだ。すぐには成果が見えない手入れこそ、将来長く水を供するためのものである。

綜卦

井を逆さにすると沢水困になる。困は才ある者が困しみ水が漏れ尽きた姿、井は深い水を汲み上げて日々人に供する姿である。合わせて見れば、同じ才能が閉じ込められれば困、汲み用いられれば井となる。違いを生むのは縄と桶、すなわち才能が実際に使われる道筋である。

互卦(卦)

井の二〜四爻は兌、三〜五爻は離で、互卦は火沢睽、二女が同居して思いがそれぞれ異なる卦である。一つの井戸は村全体を養うが、村の家々は意見も違い、それぞれの道を行く。それでも同じ井戸の水を飲む。井の内なる課題は、違いのただなかでも皆に公平に与え続けることである。

序卦 序

困乎上者,必反下,故受之以井。

序卦伝に「上に困しむ者は必ず下に反る、故に之を受くるに井を以てす」とある。上で行き詰まれば必ず下へ戻り、根本の水源を探し直す。困を逆さにすれば井となる。窮まれば、最も基層にある日々の養いの道へ帰るのである。

卦辞 辭

井:改邑不改井,无喪无得,往來井井。汔至亦未繘井。羸其瓶,凶。

井は、邑を改めて井を改めず。喪ふ无く得る无し。往来井井たり。汔ど至らんとして亦未だ井に繘せず。其の瓶を羸れば凶。

邑を改めて井を改めず。喪うなく得るなし。往来する者は井井として秩序正しく汲む。釣瓶が井口に届く寸前、まだ引き上げぬうちに瓶を破れば凶。よい卦に見えて、なぜ凶で結ぶのか。井の価値は人を養うことにあり、井口を出ない水は誰の役にも立たないからである。孟子は「井を掘ること九軔にして泉に及ばざれば、猶お井を棄つと為す」と言う。あと一歩での失敗ほど惜しいものはない。

彖伝 彖

彖曰:巽乎水而上水,井;井養而不窮也。改邑不改井,乃以剛中也。汔至亦未繘井,未有功也。羸其瓶,是以凶也。

彖伝は「水に巽(い)りて水を上ぐるは井なり」と言う。水の中に入り、水を汲み上げる。「井は養いて窮まらず」、養いがこの卦の核心である。邑を改めても井が動かないのは、九二・九五が剛にして中を得ているからだ。井口を出ない水は「未だ功あらず」、瓶を破れば凶。老子の「民の事に従うや、常に幾ど成らんとして之を敗る」と同じ戒めである。

大象 象

象曰:木上有水,井;君子以勞民勸相。

「木の上に水あるは井なり。君子以て民を労い相(たす)くるを勧む」。民をねぎらい、互いに助け合うよう勧める。井の水は誰の家のものでもないから、順番を守り、分かち合わねばならない。上に立つ者は民の生活を安定させ、互いに支え合う気風を育てるべきである。

六爻 爻

主爻 九五は中正にして尊位にあり、「寒泉食らわる」、井がまことに人を養う爻で、主卦の主である。彖伝の「剛中を以てなり」は九二・九五の両者を指す。

六爻の道筋:下から上へ

初六は井戸の底の泥で、誰も汲みに来ない古井戸、鳥さえ寄りつかない。九二は水はあるが底の割れた甕のように下へ漏れ、汲み上げられない。下卦の頂の九三は浚ってきれいになったのに誰も飲まず、明君に見いだされるのを待つ。上卦に入った六四は水を出さず、煉瓦で井戸を修理し、長い将来の土台を築く。九五は冷たく澄んだ泉で、ついに飲まれ、井戸の値打ちが現れる。上六は井戸に蓋をせず誰でも汲め、信が変わらず、大吉である。

初六井泥不食,舊井无禽。井泥にして食はれず。旧井に禽无し。
位に当たらず第4爻と応ぜず
小象 井泥不食,下也。舊井无禽,時舍也。
現代語で

井泥にして食らわれず、旧井に禽なし。

精読

初六は陰をもって陽位におり不当位、井の最下層にあり、同じ陰の六四とは応じない。卦は泰から変じ、この爻はもと泰の上卦坤の土で、土が水底に落ちて泥となった。小象は「下なればなり」、位置が低すぎる。「時舎(す)つるなり」、時が移って捨てられた。全卦は古井戸を新しい井戸に修める過程であり、ここがその起点である。

もう一層深く
互卦

初六「井泥にして食われず、旧井に禽なし」。初六は九二・九三・六四の互兌の下にあり、兌は毀折、欠け目である。壊れたものの下にいるので、捨てられた古井戸、底は泥で鳥さえ来ない。長く自分を新しくしない人は、誰も汲みに来ない古井戸のようなものだ。

この爻を得たら

手持ちの条件はもう使えない。現状を認め、最も底から掃除を始めよ。まだ評価を求める時ではない。

九二井谷射鮒,甕敝漏。井谷鮒に射ぐ。甕敝れて漏る。
位に当たらず中を得る第5爻と応ぜず
小象 井谷射鮒,无與也。

異文 「甕敝漏」は、一本に「瓮」に作る。

現代語で

井谷より水は下へ注ぎ、甕(もたい)は敝(やぶ)れて漏る。

精読

九二は陽をもって陰位におり、中を得るが不当位。九五も陽で応がなく、下の初六に親しむしかないので、水は下へ漏れる。「射」は流れ注ぐこと、「鮒」は「柎」と読んで井戸の底を指す。井戸の中で小魚を射ると解するのは無理がある。九二は互兌(毀折)にあり、上に互離(大腹、甕の象)を戴くので「甕敝れて漏る」。小象は「与なきなり」、上からの引き立てがなく、才があっても活かされない。

もう一層深く
互卦

九二「井谷、鮒に射ぐ、甕敝れて漏る」。射は水が下へ流れ注ぐこと。九二は互兌にあり、兌は欠け。上は九三・六四・九五の互離で、離は大腹、水を入れる甕である。大甕の底に穴があって水は小魚のほうへ漏れ、汲み上げられない。九二は九五と応じないので、その才は上に用いられない。

この爻を得たら

資源も気力も漏れ出しており、問題は内部にある。まず漏れを塞ぎ、土台を修めてから成果を語ること。

九三井渫不食,為我心惻,可用汲,王明,並受其福。井渫へども食はれず。我が心の惻みを為す。用て汲むべし。王明らかなれば、並びに其の福を受けん。
位に当たる第6爻と応ず
小象 井渫不食,行惻也。求王明,受福也。
現代語で

井渫(さら)えども食らわれず、我が心の惻(いた)みと為る。用いて汲むべし。王明らかならば、並びに其の福を受けん。

精読

九三は陽をもって陽位におり当位、上六と正応するので「用いて汲むべし」と言える。下の巽の上にあり、巽は股、人が水に降りて井をさらう姿である。しかし水はまだ下卦にあって井口を出ず、飲む人がいない。上に坎(憂い)を臨むので「心惻む」。三・四・五は互離で、離は明、九五の明君を指す。小象は「王の明を求めて、福を受くるなり」。賢者の備えはできている。待つのは人を見る目を持つ君主である。

もう一層深く
君臣・爻位

九三「井渫えども食われず、我が心の惻みを為す……王明らかなれば、並にその福を受けん」。三は下卦の頂で、能力はあるがまだ登用されない人である。井戸は浚ってきれいなのに誰も飲まず、見る者が心を痛める。九三・六四・九五は互離で、離は明、君位まで通じている。君主が明らかでこの良い井戸に気づけば、皆が福を受ける。

この爻を得たら

備えは十分なのに、まだ認められない。落胆せず、自分を売り込みすぎず、持ち味を守って理解者を待つこと。

太史公、屈原のために「王明」を嘆く

屈原は楚の懐王に忠誠を尽くしたが、讒言によって遠ざけられ、懐王はのちに秦に抑留されて客死した。司馬遷は屈原伝の結びにこの九三を引く。「井泄えども食らわれず、我が心の惻みと為る、以て汲むべし。王明らかならば、並びに其の福を受けん」。そして「王の明ならざる、豈に福するに足らんや」と嘆いた。水がいかに清くとも、王が明らかでなければ民は福を受けない。二千年来、この爻は不遇の才の共通の嘆きとなった。

《史記・屈原賈生列傳》
六四井甃,无咎。井甃す。咎无し。
位に当たる第1爻と応ぜず剛に乗る
小象 井甃无咎,修井也。
現代語で

井甃(いしだたみ)す、咎なし。

精読

六四は陰をもって陰位におり当位、上に中正の九五を承け、初六とは応じない。象は生き生きとしている。上の坎は泰の坤(土)から変じ、土と水で泥となる。互離の火が泥を焼いて煉瓦とし、下の巽は工人で、一段ずつ井壁を積み上げる。小象は「井を修むるなり」。大事を成す力はなくとも、本分を守り己を修めれば、汲み上げる瓶が壁に当たって割れることはない。

もう一層深く
互卦

六四「井甃す、咎なし」。甃は煉瓦で井戸の壁を築くこと。六四は互離にあり、離は火、火が泥を焼いて煉瓦にする。この爻は水を出さず、井戸を修理し壁を固めるだけだ。すぐには成果が見えない手入れこそ、将来長く水を供するためのものである。

この爻を得たら

今は内側を整え、自らを充実させる時で、表に出る時ではない。基礎をしっかり固めれば過ちはない。

九五井冽,寒泉食。井冽くして、寒泉食はる。
主爻位に当たる中を得る第2爻と応ぜず
小象 寒泉之食,中正也。
現代語で

井冽(きよ)く、寒泉食らわる。

精読

九五は陽をもって陽位におり、中にして正、尊位にある。「冽」は清く甘いこと、「寒」は冷ややかなことで、井の水への最高の賛辞である。ここで井は修まり、水は井口を出て誰もが飲める。小象は「中正なればなり」。徳と位を兼ねた指導者が民のために尽くすのは、甘泉が人に汲まれるのと同じであり、そうした君主のもとでこそ賢者は喜んで力を尽くす。

この爻を得たら

条件は熟し、その働きは本当に人の役に立つ。中正を保ち、成果を必要とする人の手に確かに届けること。

武丁、傅説を得る

殷の武丁は即位後三年、軽々しく命を発せず、輔佐の賢人を探し求めた。夢に「説」という聖人を見て人を遣わして捜させ、傅険で城壁を築く刑徒を見いだした。語り合うと果たして賢者であったので宰相に挙げ、殷は再び興った。下にある賢者はさらえた井の水のようなもので、明君に出会ってこそ井口を出て天下を養う。

《史記・殷本紀》
上六井收勿幕,有孚元吉。井収みて幕ふ勿れ。孚有りて元いに吉。
位に当たる第3爻と応ず剛に乗る
小象 元吉在上,大成也。
現代語で

井収めて幕(おお)うことなかれ。孚あり、元吉。

精読

上六は陰をもって陰位におり当位、九三と正応し、九五を承けるので「孚あり」。陰爻の中央が切れた形は、開いた井口のようである。口を狭めるのは安全のため、蓋をしないのは誰もが汲めるようにするため。卦辞が恐れた最後の一歩の失敗を、上六はまさに完成させる。小象は「元吉にして上に在り、大いに成るなり」。易経の上六で元吉と言うのはこの一爻だけであり、肯定されているのは私心のない分かち合いである。

この爻を得たら

実りの時である。成果を開いて人と分かち合い、信を守って私蔵しなければ、恵みは長く続く。

書き下し文は本サイトによる。明治・大正期の公有訓読(漢文叢書『詩経書経易経』1922年、国立国会図書館デジタルコレクション)と照合した。

故事 典

井田と「守望相助」

孟子は滕の文公に井田を説いた。一里四方を一井とし九百畝、中央の百畝を公田、八家がそれぞれ私田百畝を持ち、まず公田の仕事を終えてから自分の田に取りかかる。『詩経』の農民は「我が公田に雨ふり、遂に我が私に及べ」と祈った。孟子は、このような郷里では葬るにも移るにも郷を出ず、「出入相友とし、守望相助け、疾病相扶持す」、民はおのずと睦まじくなると言う。大象の「民を労い相くるを勧む」の光景である。一つの井、一つの田が、互いに支え合う共同体を養う。

《孟子・滕文公上》;《詩經・小雅・大田》

漢陰の丈人、甕を抱いて畑に注ぐ

子貢が漢水の南を通ると、一人の老人が地下道を掘って井戸に降り、甕を抱えて水を汲み菜園に注いでいた。骨折りは多く、効は少ない。子貢は、木を削って作り、後ろが重く前が軽く、抜くように水を汲む「槔(はねつるべ)」という機械を教えた。老人は顔色を変え、笑って言った。師から聞いたところでは、機械ある者は必ず機事あり、機事ある者は必ず機心ありと。知らぬのではない、恥じて用いないのだ。荘子の寓話だが、古代の井戸汲みの実際、「木の上に水あり」のはねつるべの姿を伝えている。同じ井戸から、荘子は心の素朴を、易伝は養民と相助を汲み取った。

《莊子・天地》

人生への示唆 悟

井卦の六爻は下から上へ、古い井戸を新しい井戸に修める全過程である。泥を除き、漏れを塞ぎ、さらい、壁を積み、泉を出し、口を開く。修養も仕事も同じで、土台から始め一歩も省けない。そして最も難しいのはたいてい最後の一歩である。老子の言う「終わりを慎むこと始めの如くなれば、則ち事を敗ること無し」。修め終えたら蓋をせず、皆と分かち合う。善く始める者は多く、善く終える者は少ない。井卦はその少数になれと説く。

関連する卦 通