卦名 名
「恒」とは久しいことである。そこには二つの意味がある。一つは「易わらざる恒」で、原則を守って生涯変えないこと。もう一つは「已まざる恒」で、絶えず運行して止まらないこと。前者だけなら恒は頑固に固まる。両者を兼ねてこそ本当の長久であり、「易」そのものが不易と変易を兼ねるのと同じである。
卦象 象


恒卦は咸卦をそのまま逆さにした形である。上卦の震は雷・長男、下卦の巽は風・長女。もはや出会ったばかりの少男少女ではなく、成人して夫婦となった二人だ。長男は外にあって動き、長女は内にあって順い、雷と風は連れ立って行く。咸と同じく六爻すべてに正応があり、初と四、二と五、三と上が応じる。
取象の重なり 層
一つの卦はいくつもの層で読める。八卦は一家の人々(父母・長中少の男女)、六爻は組織の位(新人から君主まで)、さらに自然現象や動物にもなる。層を一つ重ねるごとに、爻辞の意味が深まる。
一家として見る
咸は若い二人の心のときめき、恒は成人した長男と長女が夫婦となってからの日々である。長男は外で動き、長女は内に入って落ち着く。それぞれに位置があるので長く続く。だが恒の六爻は多くが難しい。長続きは一度の約束によるのではなく、二人が何度も自分の位置を取り戻すことによる。上下を入れ替えて長男が下、長女が上になると風雷益となる。同じ夫婦でも、夫が身を低くすれば家は益を得る。
初六「恒を浚くす、貞なれば凶」。初六は巽の最下層で、巽は入ること、はじめから深く入り込みすぎる。九四と応じるので、相手にすぐさま永遠の保証を求める。関係が始まったばかりで不変を求めれば、固執するほど凶になる。
九三「その徳を恒にせず、或いはこれに羞を承く、貞なれば吝」。九三は陽爻が剛位にいて、九二・九三・九四の互乾のなかで勢いが強すぎて止まれない。また九三・九四・六五の互兌のなかにあり、兌は欠けである。あれをしてはこれに替え、徳に恒がないので恥を受ける。
六五「その徳を恒にす、貞なり、婦人は吉、夫子は凶」。六五は陰爻だが、長男の卦である震の中位にあり、九二と応じる。ひたすら従い一つを守って変えないのは、古代の妻には美徳でも、決断すべき夫には務めを欠くことになる。今日なら男女にこだわる必要はない。同じ「守り」でも、役割が違えば結果は逆になりうる。
上六「恒を振るう、凶」。上爻は全卦の果てで、しかも震の頂き、震は動である。落ち着くべき晩年に至ってもなお動き回り変え続け、長く保ってきたものを自ら揺るがす。
恒を逆さにすれば咸である。咸はひと目ぼれ、恒は日々の積み重ね。恒の初爻「恒を浚くす」は、咸の教え、すなわち感情ははじめ浅いということを忘れ、早々と永遠を求める姿だ。恒が退屈に感じられたら咸を振り返るとよい。長い関係にも、はじめの感応を残しておく必要がある。
恒の上下卦を入れ替えると風雷益になり、これは恒の錯卦でもある。恒は長男が上、長女が下。益は長男が下、長女が上で、「彖伝」は「上を損して下を益す」という。同じ二人でも、どちらが下に身を置き、与えるかによって、家がただ持ちこたえるだけか、ともに伸びていくかが決まる。
序卦 序
夫婦之道,不可以不久也,故受之以恆;恆者久也。
「序卦伝」は「夫婦の道は以て久しからざるべからず、故に之を受くるに恒を以てす。恒とは久なり」という。咸は感情がたちまち呼び起こされる卦、恒はその次の問い、すなわち夫婦の道をいかに長く保つかを問う卦である。心が通うのはたやすく、続けるのは難しい。
卦辞 辭
恆:亨,无咎。利貞,利有攸往。
恒は、亨る。咎无し。貞しきに利し。往く攸有るに利し。
卦辞は「恒は亨る、咎なし。貞しきに利あり、往く攸あるに利あり」という。恒は通じ、災いなく、正しく固く守るによく、また進むにもよい。「貞に利あり」と「往く攸あるに利あり」は矛盾するようだが、これこそ恒の両面である。貞は易わらざること、根本を守ること。往は已まざること、歩み続けること。守るだけなら硬直し、動くだけなら迷う。
彖伝 彖
彖曰:恆,久也。剛上而柔下,雷風相與,巽而動,剛柔皆應,恆。恆亨无咎,利貞;久于其道也,天地之道,恆久而不已也。利有攸往,終則有始也。日月得天,而能久照,四時變化,而能久成,聖人久于其道,而天下化成;觀其所恆,而天地萬物之情可見矣!
「彖伝」はいう。剛は上り柔は下り、雷と風は相伴い、巽って動き、剛柔みな応ずる、ゆえに恒であると。天地の道は「恒久にして已まず」、往くに利あるのは「終われば則ち始め有る」からで、一事が終わればそれがまた新たな始まりとなる。日月は天に従って久しく照らし、四時は変化して久しく成り、聖人はその道に久しくして天下が化成する。天の道を観て人の道を按排する、易の精神はここにある。
大象 象
象曰:雷風,恆;君子以立不易方。
「大象」は「雷風は恒なり。君子以て立ちて方を易えず」という。「方」は正しい方向、正道である。雷と風は絶えず動くが、君子の身の立て方は向きを変えない。これは「繋辞伝」の「恒は徳の固なり」と通じる。誠実な立ち返りが徳の本であり、長い持続こそ徳を固める。修養に一足飛びはない。
六爻 爻
主爻 筆記は主爻を明示しない。六爻の多くは厳しく、小象が「能く中に久し」とする九二だけが、恒の理想に近い。
六爻の道筋:下から上へ
初六ははじめから深入りと保証を求め、急ぎすぎて、固執するほど凶。九二は陽が柔位にいて本来悔いがあるが、中道を守って悔いは消える。九三は下卦の頂きで、徳が定まらず移り変わり、恥を受ける。九四は上卦に入り、獲物のいない田で狩りをする。場所が違えば、いくら続けても何も得られない。六五は一つを守って変えず、ある役割には吉、別の役割には凶。上六は最後まで動き回り、長く続いたものを揺るがしてしまう。
初六浚恆,貞凶,无攸利。恒を浚くす。貞なれども凶。利しき攸无し。
現代語で
恒を浚くす。貞なれば凶、利するところなし。
精読
浚とは深く掘ることである。初六は陰爻が陽位にいて正しくない。九四と正応するが、間に九二・九三の二陽が隔たり、九四は震の中にあって上へ向かうことに忙しく、初六を顧みない。恒に入ったばかりで一切を定め永久に変えまいとするのは、常を守って変を知らぬ態度だ。小象は「始めに深きを求むればなり」という。急げば達せられない。
もう一層深く
初六「恒を浚くす、貞なれば凶」。初六は巽の最下層で、巽は入ること、はじめから深く入り込みすぎる。九四と応じるので、相手にすぐさま永遠の保証を求める。関係が始まったばかりで不変を求めれば、固執するほど凶になる。
この爻を得たら
関係や事業の始まりに、永遠の約束を急いで求めないこと。根を張るまで時間を与える。
九二悔亡。悔亡ぶ。
現代語で
悔亡ぶ。
精読
悔は陽爻が陰位にいて正しくないことから来る。位が正しくなければ久しく保ちがたい。だが易は位を論じて「中」を「正」より重んじる。九二は下卦の中にいて上の六五と正応し、長く中道を守って偏らないから、悔は消える。小象は「能く中に久し」という。恒卦の中では得がたい位置である。
この爻を得たら
条件は理想的でなくとも、分を守り極端に走らなければ、長く持ちこたえられる。
九三不恆其德,或承之羞,貞吝。其の徳を恒にせず。或は之に羞を承く。貞なれども吝。
現代語で
其の徳を恒にせざれば、或いは之に羞を承く。貞なれども吝。
精読
九三は陽爻が陽位にいて正しく、上六と正応する。だが互乾の中で動く力が旺盛で、しかも下卦巽の終わりにあり、巽は進退定まらぬ卦であるから、心が揺れて変わりやすい。九三から六五はまた互兌をなし、兌には欠けの象がある。小象は「容るる所なし」という。徳の定まらぬ者は、どこにも身の置き所がない。『論語』で孔子が易の文を直接引いたのはこの一句だけである。
もう一層深く
九三「その徳を恒にせず、或いはこれに羞を承く、貞なれば吝」。九三は陽爻が剛位にいて、九二・九三・九四の互乾のなかで勢いが強すぎて止まれない。また九三・九四・六五の互兌のなかにあり、兌は欠けである。あれをしてはこれに替え、徳に恒がないので恥を受ける。
この爻を得たら
方向の揺らぎは信用を最も損なう。なすべきことを定めたら続け、目移りしないこと。
続けつつ、少し調える
ある連続講座の主催者が、次の課程を同じ場所で続けるか、別の地へ移して集中的に終えるかを占い、恒の九三を得た。解釈はこうだ。「恒」はこれまでの道を続けよといい、「貞なれども吝」は続けることの難しさを認める。そこで講座は同じ場所で続け、収支のために費用だけを調整し、受講者も納得した。恒を守りつつ柱に膠せず、これが「繋辞伝」の「窮すれば変じ、変ずれば通じ、通ずれば久し」である。
九四田无禽。田して禽无し。
現代語で
田して禽なし。
精読
九四は陽爻が陰位にいて中でも正でもなく、小象は端的に「久しく其の位に非ず」という。恒卦は泰卦から変じたもので、泰の初九が上ってこの爻となり、もとの上卦坤が消えた。坤は地・田であり、田がなくなれば狩りに獲物はない。易の「禽」は鳥と獣をともに指す。下に初六の正応があるが、間に二陽が隔たる。
この爻を得たら
長く努めて得るところがなければ、さらに力むより先に、立つ場所を誤っていないか確かめること。
六五恆其德,貞,婦人吉,夫子凶。其の徳を恒にして貞なり。婦人は吉、夫子は凶。
現代語で
其の徳を恒にして貞。婦人は吉、夫子は凶。
精読
六五は陰爻が陽位にいて正しくないが中を得、下の九二と正応する。一つの爻が二種の人に吉凶を分けて示すことは易に多くない。小象は、婦人は「一に従いて終わる」ゆえ吉、夫子は「義を制す」べきで、ただ従えば凶という。今日は性別だけで読む必要はない。人に仕える立場なら、正しい上の人に誠実に従うのはよい。事を主る立場なら、道義によって判断し、状況に応じて変通せねばならない。経を守りて権に達す、である。
もう一層深く
六五「その徳を恒にす、貞なり、婦人は吉、夫子は凶」。六五は陰爻だが、長男の卦である震の中位にあり、九二と応じる。ひたすら従い一つを守って変えないのは、古代の妻には美徳でも、決断すべき夫には務めを欠くことになる。今日なら男女にこだわる必要はない。同じ「守り」でも、役割が違えば結果は逆になりうる。
この爻を得たら
今の自分が従う者か決める者かをまず見極めること。従う者は誠実を、決める者は道義による判断を重んじる。
上六振恆,凶。恒を振ふ。凶。
異文 「振恆」は、一本に「震」に作る。
現代語で
恒を震う。凶。
精読
上六は陰爻が陰位にいて正しく、九三と正応する。だが恒卦の終わり、しかも上卦震の頂にあって、震えはもっとも激しい。全卦は安定と持続を求めるのに、この爻は止まれない。小象は「恒を振いて上に在り、大いに功なし」という。高い位にあって落ち着かなければ、ついに何も成らない。
もう一層深く
上六「恒を振るう、凶」。上爻は全卦の果てで、しかも震の頂き、震は動である。落ち着くべき晩年に至ってもなお動き回り変え続け、長く保ってきたものを自ら揺るがす。
この爻を得たら
いま最も避けるべきは落ち着きなく方針を変え続けることだ。静まり、築いたものを固めること。
書き下し文は本サイトによる。明治・大正期の公有訓読(漢文叢書『詩経書経易経』1922年、国立国会図書館デジタルコレクション)と照合した。
故事 典
恒なき者は巫医も治せず
『論語』子路篇で孔子はいう。「南人言える有り、曰く、人にして恒なくんば、以て巫医を作すべからずと。善いかな」。続いて恒の九三「其の徳を恒にせざれば、或いは之に羞を承く」を引き、「占わざるのみ」と結ぶ。『論語』で孔子が易の文辞に直接触れるのはここだけである。「巫医を作すべからず」は「巫医にもなれない」と訳されがちだが、それでは巫医が誰にでもなれる職のようだ。「作」を「立たせる」と読むほうが筋が通る。恒のない者は巫医でさえ立ち直らせられない。薬を飲み続けぬ患者には名医も手の施しようがないのと同じだ。「占わざるのみ」とは、道理は明らかで占うまでもない、の意である。
三爻みな変じ、吉の字なし
ある人が恋愛について占い、恒の初・二・三爻がすべて変じて震となる卦を得た。三つの爻辞には凶・悔・羞・吝があり、吉の字は一つもなく、「咎なし」さえない。之卦の震は、この先も揺れが続くことを暗示する。恒は夫婦の象でありながら三爻に凶があり、家庭を営む難しさがわかる。感情の浮き沈みは相場のように読みがたく、自ら徳を修める以上の手立てはまずない。九三の「其の徳を恒にせざれば、或いは之に羞を承く」の一句は、人をはっと目覚めさせるに足る。
人生への示唆 悟
咸は感情がいかに燃え上がるかを語り、恒はそれをいかに消さずに保つかを語る。意外にも、恒の六爻の多くは厳しい。始めに急げば凶、終わりに落ち着かなくても凶である。長続きは一時の情熱ではなく、二つの工夫による。方向を守る「易わらざる」ことと、絶えず新たにする「已まざる」ことだ。「繋辞伝」は「恒は雑にして厭わず」という。常の中に変化を織り込めば、日々は倦まない。徳もまた同じで、一時の悟りではなく、長い歳月の持続によって成る。