卦名 名
「観」には二つの方向がある。上の者が下の民を見渡し、下の民が上を仰ぎ見る。見られる者は見るに値しなければならず、見る者は深く見なければならない。全卦はここから一連の「観かた」を展開し、子どものような眺めから、民の暮らしを通して自らを省みるところまで昇っていく。
卦象 象


下卦の坤は地であり民衆、上卦の巽は風であり命令である。風は大地を吹き渡り、届かぬところがない。上に立つ者の政令と教化も、風のように天下に感じられる。二陽が四陰の上に高くあり、万民に仰がれる君主のようだ。二爻ずつを一爻に縮めると艮となる。艮は少男であり門闕であって、これが初六・六二を読む鍵となる。
取象の重なり 層
一つの卦はいくつもの層で読める。八卦は一家の人々(父母・長中少の男女)、六爻は組織の位(新人から君主まで)、さらに自然現象や動物にもなる。層を一つ重ねるごとに、爻辞の意味が深まる。
一家として見る
下卦の坤は母、上卦の巽は長女である。下の母は大地と民を表し、上の長女は大地を吹き渡る風で、触れる所すべての人に感じられる。二つの陽爻が高くあって、下の四つの陰爻に仰がれる。家族でいえば、しっかり者の長姉が前に立ち、一家の手本となる姿である。見られている以上、自分をいっそう正さねばならない。
初六「童観」。観卦を二爻ずつ一爻にまとめると艮になり、艮は少男、いちばん年若い者である。初六は君位の九五から最も遠く、最下層にいるので、その見方は子どものようだ。にぎわいは見ても、その奥は分からない。庶民なら差し支えないが、君子ならば惜しい。
六二「闚い観る、女の貞に利し」。拡大した艮は門闕であり、六三・六四・九五もまた互艮をなし、六二はちょうど門の内側にいる。下卦の坤は女である。昔の女性が戸の隙間から外をのぞくようで、見える範囲は限られる。六二は中正で九五と正応するので、本分を守れば利はあるが、見方は一面的である。
六四「国の光を観る、用て王に賓たるに利し」。四は君王に最も近い位置で、一国の光と政の成果を間近に見ることができる。それを見抜ける者こそ、王に上賓として迎えられるにふさわしい。近臣の値打ちは、最もよく見えることにある。
観を逆さにすると臨になり、どちらも消息卦である。臨は十二月で二陽が伸び、観は八月で二陽が去ろうとしている。臨の卦辞「八月に至りて凶有り」はまさに観を指す。だから観の高い位置は盤石ではない。皆に仰がれるときこそ、影響力が衰え始めるときでもある。
観の二爻から五爻は互卦の山地剝をなす。仰がれる表面の下で、陰が一歩ずつ上へと侵している。消息卦で観の次に来るのもまさに剝である。見えるのは威儀、見えないのは内側の流出であり、だから「我が生を観る」自省をやめてはならない。
序卦 序
物大然後可觀,故受之以觀。
〈序卦伝〉に「物大にして然る後に観る可し、故に之を受くるに観を以てす」とある。臨は盛大になることを説き、規模が壮大になってこそ人が観るに値する。臨と観は上下を逆にした関係で、一方は陽が昇り、他方は二陽が去ろうとしている。消息卦で観は八月、まさに臨卦が戒めたその月にあたる。
卦辞 辭
觀:盥而不薦,有孚顒若。
観は、盥ひて薦めず。孚有りて顒若たり。
卦辞は「観は盥いて薦めず。孚有りて顒若たり」。祭祀の始めに手を清め、まだ供物を献げる段に至らぬうちに、心の誠はすでに厳かに現れている。「盥」は手を洗うこと、「薦」は供物を献げること、「顒若」は頭をもたげて敬う姿である。卦辞は祭祀を借りて政治を語る。指導者は虔敬の心で民に向き合わねばならず、その虔敬は最初の所作から始まる。民はとうにそれを見ているのだ。
彖伝 彖
彖曰:大觀在上,順而巽,中正以觀天下。觀,盥而不薦,有孚顒若,下觀而化也。觀天之神道,而四時不忒,聖人以神道設教,而天下服矣。
〈彖伝〉は「大観上に在り、順にして巽、中正にして以て天下を観る」という。九五が中正の位にあって天下に仰がれることを指す。「下観て化するなり」、民は仰ぎ見るだけで感化される。言葉よりも身の行いが教える。「天の神道を観て四時忒わず、聖人神道を以て教えを設く」の「神」は形容詞で、四季が寸分違わずめぐる天道の妙をいう。神々の道ではない。聖人はこの妙なる法則に拠って教えを立て、天下はおのずと服する。
大象 象
象曰:風行地上,觀;先王以省方,觀民設教。
「風地上を行くは観なり。先王以て方を省み、民を観て教えを設く」。大象はたいてい「君子」を語るが、ここは「先王」であり、統治の実務をいう。風が大地を吹き渡るように四方を巡り、民の実情を見て、それに応じて教化を立てる。孔子が「君子の徳は風、小人の徳は草。草之に風を上うれば必ず偃す」と言ったように、上に立つ者の気風は草原を渡る風なのである。
六爻 爻
主爻 九五が主爻である。〈彖伝〉の「大観上に在り」「中正にして以て天下を観る」はいずれもこの爻を指す。「大観」は九五・上九の二陽にかかるが、九五が主である。上下をつなぐ六四を要とみる説もある。
六爻の道筋:下から上へ
初六は子どものように見物し、表面しか見ない。六二は戸の隙間からのぞき、一部分しか見えない。六三で視線は自分に戻り、「我が生を観て」進退を決める。人を見ることから自分を見ることへ移る要の一歩である。六四は上卦に入って王に近づき、国の光をはっきり見て、要職に就くにふさわしい。九五は万民に仰がれる人で、自分の言行が本当に民の手本となるかを省みねばならない。上九は脇に退いてもなお見られており、やはり自らの生を省みてこそ咎がない。
初六童觀,小人无咎,君子吝。童観す。小人は咎无し。君子は吝。
現代語で
童のように観る。小人は咎なく、君子は吝。
精読
初六は最下にあり九五から最も遠い。陰爻が陽位にあり位当たらず、六四とも応じない。観を縮めれば艮、艮は少男、しかも初は最初の段であるから「童観」という。庶民の見識が浅いのは無理もない。だが官位にある者、徳を志す者がただ物見高く眺めるだけなら、行き詰まる。〈小象〉は「小人の道なり」。庶民の観かたであって、君子のそれではない。
もう一層深く
初六「童観」。観卦を二爻ずつ一爻にまとめると艮になり、艮は少男、いちばん年若い者である。初六は君位の九五から最も遠く、最下層にいるので、その見方は子どものようだ。にぎわいは見ても、その奥は分からない。庶民なら差し支えないが、君子ならば惜しい。
この爻を得たら
表面のにぎわいだけを見てはならない。立場はより深く見ることを求めている。まず全体をつかむこと。
六二闚觀,利女貞。闚ひ観る。女の貞に利し。
異文 「闚觀」は、一本に「窺」に作る。
現代語で
門の隙から窺い観る。女の貞に利し。
精読
六三・六四・九五が互卦の艮(門闕)をなし、六二はその門の内にいる。下卦坤は女であり、古の女性が門の隙から外を窺うように、視野は限られる。六二は陰爻が陰位にあって中正、九五と正応するので「女の貞に利し」。〈小象〉の「亦醜ず可きなり」は君子に向けた言葉である。古の女性は教育も外出の機会も乏しく、見聞が狭いのは時代のゆえであった。君子が同じように狭く見るなら、恥じるべきだという。
もう一層深く
六二「闚い観る、女の貞に利し」。拡大した艮は門闕であり、六三・六四・九五もまた互艮をなし、六二はちょうど門の内側にいる。下卦の坤は女である。昔の女性が戸の隙間から外をのぞくようで、見える範囲は限られる。六二は中正で九五と正応するので、本分を守れば利はあるが、見方は一面的である。
この爻を得たら
一筋の隙間から事を見てはならない。視角を広げ、心を開くこと。
六三觀我生,進退。我が生を観て、進退す。
現代語で
我が生を観て、進退す。
精読
三・四爻は人の位で、上下のあいだにあり、つねに進退を量らねばならない。六三は下卦坤(衆)の頂にあり、上卦巽(進退)に接するので、自分と周囲の実情をよく見てから進退を決める。陰爻が陽位にあり位当たらず大きな事はなしがたいが、上九と正応し、分に応じて動ける。〈小象〉は「未だ道を失わざるなり」。
この爻を得たら
選ぶ前に、自らの行いと実際の境遇を正直に見直す。そのうえで一歩進むか退くかを決めること。
六四觀國之光,利用賓于王。国の光を観る。用て王に賓たるに利し。
現代語で
国の光を観る。用て王に賓たるに利し。
精読
六四は上卦に入り九五のすぐ下にある。陰爻が陰位で位正しく、国の政教の光を間近に見ることができる。「賓」は「主」に対する語で、古の君主は賢者を賓客の礼で遇したから、士が朝廷に仕えることを「賓」といった。〈小象〉は「賓を尚ぶなり」。君主は賢才を礼遇し、仕える者は自分が客であることを心得て、分を知り、配置を受け入れる。
もう一層深く
六四「国の光を観る、用て王に賓たるに利し」。四は君王に最も近い位置で、一国の光と政の成果を間近に見ることができる。それを見抜ける者こそ、王に上賓として迎えられるにふさわしい。近臣の値打ちは、最もよく見えることにある。
この爻を得たら
より大きな場に身を投じ、従うに値する人に従うのによい時である。ただ自分が客であることを忘れず、仕事を敬い、分を守ること。
九五觀我生,君子无咎。我が生を観る。君子なれば咎无し。
現代語で
我が生を観る。君子なれば咎无し。
精読
九五は陽爻が陽位にあって中正、六二と正応し六四に支えられる、「大観上に在り」の君位である。〈小象〉ははっきり言う。「我が生を観るとは、民を観るなり」。自らの徳を知る最良の方法は、民の苦楽を見ることだ。民が苦しんでいるのに徳があると称しても成り立たない。善とは自分と他者との適切な関係が実現することだからである。条件がこれほど整っていながら「咎无し」とだけいうのは、これが本分であり、果たしても手柄にはならないからだ。権力がもたらすのは責任である。
この爻を得たら
人を率いる立場にあるなら、自分の感覚ではなく、周りの人々の暮らしぶりで自らを測ること。
孔子はなぜ管仲を称えたか
子路も子貢も管仲を疑った。斉の桓公が公子糾を殺したとき、管仲は殉死せず、かえって桓公を輔けた。それで仁と言えるのか、と。孔子は答えた。桓公が諸侯を九たび合わせて兵車を用いなかったのは管仲の力である、「其の仁に如かんや、其の仁に如かんや」。また「管仲桓公に相として諸侯に覇たらしめ、天下を一匡す。民今に到るまで其の賜を受く」とも言った。孔子は管仲の欠点を見なかったのではない。天下を戦禍から免れさせたことを見たのである。戦争が起こらなければ、誰がそれを防いだかは忘れられやすい。民の安らぎで人を測ること、それが「我が生を観るとは民を観るなり」の眼差しである。
上九觀其生,君子无咎。其の生を観る。君子なれば咎无し。
現代語で
其の生を観る。君子なれば咎无し。
精読
上九は陽爻が陰位にあって位当たらず、卦の頂にありながら実権がない。民は九五を君と仰ぐので、上九は「我が生」とは言えず「其の生」、九五の施政と民の境遇を観るしかない。六三と正応し、下の暮らしになお心を寄せる。四陰がもう一歩押し上げれば剝卦となる。退場を前にしてなお観つづけるので、〈小象〉は「志未だ平らかならざるなり」という。君子は位なくとも憂いを抱く。
この爻を得たら
その位になく権もなくとも、なお関心を持ち見守ることはできる。その落ち着かぬ責任感を保てば、過ちはない。
進むも憂い、退くも憂う
范仲淹は〈岳陽楼記〉で古の仁者の心を描いた。「廟堂の高きに居れば則ち其の民を憂い、江湖の遠きに処れば則ち其の君を憂う。是れ進むも亦憂い、退くも亦憂う」。そして「天下の憂いに先んじて憂い、天下の楽しみに後れて楽しむ」と結ぶ。朝廷にあれば民を憂え、野に退いてもなお国を思う。これがまさに上九の「其の生を観る、志未だ平らかならず」である。身は権位を離れても、心は天下の人々の上にかかっている。
書き下し文は本サイトによる。明治・大正期の公有訓読(漢文叢書『詩経書経易経』1922年、国立国会図書館デジタルコレクション)と照合した。
故事 典
門を出でては大賓を見るが如く
冉雍、字は仲弓、孔門の徳行科に名を連ね、孔子は「雍や南面せしむ可し」と、為政者の器を認めていた。仲弓が仁を問うと、孔子は答えた。「門を出でては大賓を見るが如くし、民を使うには大祭を承くるが如くす」。門を一歩出れば国の賓客に会うように恭しく、民を役して城や水路を築かせるなら大祭を執り行うように厳粛に。孔子は仁を問う者ごとに答えを変えたが、国を治めうる弟子に説いたのはまさに観卦の理である。「盥いて薦めず、孚有りて顒若たり」、民に向き合う一瞬一瞬に祭祀の誠敬を持てというのだ。
歴史はいずれ公平を返す
顔回は四十前後で世を去り、生涯官に就かなかった。だが孟子は、治水の禹、民に農を教えた稷と並べて「禹・稷・顔回は道を同じくす」と言い、立場を入れ替えれば三人とも同じように振る舞っただろうとした。子路は生前の業績も限られ、最後は衛の乱に死んだ。孟子は彼をも聖賢の列に置く。「子路は人之に告ぐるに過ち有るを以てすれば則ち喜ぶ。禹は善言を聞けば則ち拝す」。己の過ちを聞いて喜ぶことは、今の人にはなかなかできない。むしろ聞いて怒るのが常である。真実は一時埋もれても、いつか誰かが見て公平な言葉を返す。これが観卦の最上の眼差しである。目先の得失ではなく、長い時間のなかで人の生を観るのである。
人生への示唆 悟
観卦は「観る」ことを段階に分ける。子どもの眺め、門の隙からの窺い、進退前の自省、国の光を仰ぐこと、民によって己の徳を知ること、位なくしてなお心にかけること。一段昇るごとに遠くを見るようになり、同時に深く自分へと返ってくる。上に立つ者は多くの目に見られている。だから誠は最初の所作から本物でなければならない。徳の成績表は自己評価にではなく、周りの人々の暮らしに書かれる。二陽が高みにあってやがて退く形勢は、天下と憂楽を共にし、権位に頼らず身を修めよと教えている。