卦名 名
大有とは多くを有すること、物が豊かに満ちることである。「大いに有る」と直訳するより「豊盛」と言うほうがふさわしい。人が集まれば土地も富もおのずと生じ、人が散ればそもそも豊かさはない。
卦象 象


離の火が上、乾の天が下。太陽が天高く懸かり万物を照らす象である。同人では光が天の下にあったが、大有では天の上にあり、天下あまねく明るい。五陽一陰で、その一陰六五が柔にして尊位に居り、上下の五陽が皆これに応じる。謙虚にして人心を得た君主の姿である。
取象の重なり 層
一つの卦はいくつもの層で読める。八卦は一家の人々(父母・長中少の男女)、六爻は組織の位(新人から君主まで)、さらに自然現象や動物にもなる。層を一つ重ねるごとに、爻辞の意味が深まる。
一家として見る
下卦の乾は父、上卦の離は中女である。中女が君位(六五)に座り、その下に父と陽剛の力が控える。柔和で聡明な家の女主人が、強い男たちに推し立てられる。威圧ではなく、明るさと誠で人を集める。これが大有、多くを持ち、しかも分かち合えることである。
九三「公、用て天子に亨せらる、小人は克わず」。三は公卿の位で、下卦の頂にあり身分はすでに高い。九三・九四・六五は互兌で、兌は口、宴の象である。天子がこの公侯をもてなす。ただし私心のない者だけがこの栄誉に耐え、小人には害となる。
九四「その彭なるに匪ず、咎なし」。四は君のそばの近臣である。初九から下卦の乾、さらに九二・九三・九四の互乾と陽が連なり、九四はその長い列の先頭に立つ。その勢いには柔和な六五も一目置く。だから自分の盛大さを誇示しないこと。そうしてこそ咎がない。
六五「その孚、交如たり、威如たり、吉」。六五は互兌のなかにあり、兌は西方で白虎に配され、威厳の象となる。五陽のなかの一陰は、柔和だけでは立てない。誠をもって交わり、しかも威望が要る。よい指導者は親しみやすく、それでいて侮られない。
大有の六爻をすべて変えると水地比になる。大有は柔順な君が衆陽に推され、比は剛健な君に衆陰が寄り添う。一陰が衆陽を得るのと、一陽が衆陰を得るのと、指導の型は正反対だが、どちらも中にある一爻が人心を得ている。
序卦 序
與人同者,物必歸焉,故受之以大有。
「序卦伝」は「人と同じくする者は、物必ず焉に帰す、故に之を受くるに大有を以てす」という。人と心を同じくすれば人が帰し、物もおのずと集まる。大有は同人をそのまま逆さにした覆卦である。
卦辞 辭
大有:元亨。
大有は、元いに亨る。
卦辞はわずか二字、「大有は元いに亨る」。ここの元は「始め」ではなく「至って」の意で、「元吉」が最上の吉であるのと同じく、元亨は最も通じることをいう。資源は豊かで人心も帰し、局面は極めて良い。だが六爻は繰り返し、豊かさを得るより保つほうが難しいと戒める。
彖伝 彖
彖曰:大有,柔得尊位,大中而上下應之,曰大有。其德剛健而文明,應乎天而時行,是以元亨。
「彖伝」は「柔、尊位を得、大中にして上下之に応ず、大有と曰う」という。六五が柔にして尊位に居り中道を行い、上下の五陽が応じる。「其の徳剛健にして文明」、内の乾は剛健、外の離は文明。「天に応じて時に行う」、日である離の六五が天である乾の九二と応じ、太陽が天をめぐって四季がめぐるように運ぶ。ゆえに元いに亨る。
大象 象
象曰:火在天上,大有;君子以遏惡揚善,順天休命。
「火、天上に在るは大有なり。君子は以て悪を遏め善を揚げ、天の休命に順う」。日が天上にあれば善悪は隠れようがない。休は「美しい、よい」の意。「天の休命に順う」の一句は儒家の核心をつかんでいる。人の使命は天に由来し、それを果たす道が悪を抑え善を揚げることである。
六爻 爻
主爻 主爻は六五である。唯一の陰爻として柔にして尊位を得、中に居り、上下の五陽がみな応じる。大有が成り立つのはこの爻による。
六爻の道筋:下から上へ
初九「害に交わることなし」。持ち始めたばかりで外との交わりもないので害はない。ただ艱難を忘れないこと。九二「大車以て載す」。実力が厚く重任を担え、進んで咎がない。下卦の頂の九三は天子の宴に招かれて最も顕赫だが、小人には耐えられない。上卦に入ると九四は陽の列を率い、控えめにしてこそ咎がない。六五は誠と威で皆をまとめ、大有は極まる。上九「天よりこれを祐く」。最も高い所でもなお従順で賢を尊ぶので、吉にして利あらざるなし。
初九无交害,匪咎,艱則无咎。害に交はること无し。咎に匪ず。艱しめば則ち咎无し。
現代語で
交わりて害すること无し、咎に匪ず。艱しめば則ち咎无し。
精読
匪は「非ず」。初九は陽が陽位に居り九四と応じず、皆が結びたい六五からも最も遠いので、交わりと言えるものがない。豊かさに入ったばかりで出世や接近を急げば、富むや否や驕りが生じやすい。交わりがないことがかえって安全である。小象「害に交わること无きなり」。「咎に匪ず」は時勢によるが、「咎无し」は艱難を思って分を守る自分次第である。
この爻を得たら
順境に入ったばかりなら、有力者に取り入ったり成果を誇示したりを急がないこと。苦労を忘れず分を守れば害は招かない。
九二大車以載,有攸往,无咎。大車以て載す。往く攸有り。咎无し。
異文 「大車」は、一本に「轝」に作る。
現代語で
大轝以て載す。往く攸有り、咎无し。
精読
古の大車は牛車で重荷を運び、小車は馬車で速さを求めた。九二は陽が陰位に居り下卦の中、六五と応じる。資源を蓄え乾の推進力もあるので、往くことができる。小象「中に積みて敗れざるなり」。ただ大有は六五を独占すべきでなく、九二の正応には独占の気味があるため、吉とは言わず咎无しにとどまる。
この爻を得たら
重任を担い前進するだけの実力と資源がある。速さより着実さを選び、機会を独り占めしないこと。
九三公用亨于天子,小人弗克。公用て天子に亨す。小人は克はず。
現代語で
公、用て天子に亨せらる。小人は克わず。
精読
亨は享・烹と古くは通用し、ここでは享、もてなしを受けること。九三は陽が陽位に居り下卦の頂、公卿の位で、自ら富み、かつ寵を受ける。三・四・五の互卦兌は口で宴の象。同じ栄誉も徳と位の釣り合う重臣ならよいが、小人が受ければ驕って分を越える。小象「小人は害あるなり」。豊かな時こそ分を越えやすい。
もう一層深く
九三「公、用て天子に亨せらる、小人は克わず」。三は公卿の位で、下卦の頂にあり身分はすでに高い。九三・九四・六五は互兌で、兌は口、宴の象である。天子がこの公侯をもてなす。ただし私心のない者だけがこの栄誉に耐え、小人には害となる。
この爻を得たら
厚遇を受けたら、自分の徳が地位に見合っているかを問うこと。分をわきまえ、寵を足がかりに自分を膨らませない。
八佾、庭に舞う
古礼では祭祀の舞に等級があり、天子は八佾、諸侯は六佾、大夫は四佾、一佾は八人であった。魯の権臣季氏は大夫にすぎないのに、自家の廟で天子の八佾を舞わせた。孔子は「是れをも忍ぶべくんば、孰れをか忍ぶべからざらん」と言った。孟孫・叔孫・季孫の三家は祭りを終えると天子の祭にのみ用いる「雍」の詩を歌って供物を下げた。富と力があれば門内のことは誰にも咎められぬと思う。まさに「小人は克わず」の姿である。
九四匪其彭,无咎。其の彭なるに匪ず。咎无し。
異文 「匪其彭」は、一本に「尫」に作る。
現代語で
其の彭なるに匪ず、咎无し。
精読
本アプリの経文は爻辞が「匪其尫」、小象が「匪其彭」である。通行の解釈では彭は盛大、『詩経』は「彭彭」で車馬の盛んなさまを言う。初九から九四まで四陽が連なり勢いは極まり、九四は柔弱な六五のすぐ下にあって功が主に迫る。幸い陽が陰位に居るので控えることができ、しかも明を表す離卦に入っている。小象「明弁晰なり」、分際をはっきり見るから咎がない。
もう一層深く
九四「その彭なるに匪ず、咎なし」。四は君のそばの近臣である。初九から下卦の乾、さらに九二・九三・九四の互乾と陽が連なり、九四はその長い列の先頭に立つ。その勢いには柔和な六五も一目置く。だから自分の盛大さを誇示しないこと。そうしてこそ咎がない。
この爻を得たら
勢いが最も盛んで、上の者を凌ぐほどのときこそ力を恃まないこと。分際を見極め、自ら控えれば長く安泰である。
六五厥孚交如,威如;吉。厥の孚交如たり。威如たれば吉。
現代語で
厥の孚、交如たり、威如たり、吉。
精読
厥は其、孚は誠。六五は陰が陽位に居るが中を得て、九二と応じ、上九を承ける。柔にして尊位に居り、誠をもって人を感じさせる。小象「信以て志を発するなり」。だが五陽のなかの一陰は威がなければ立てない。三・四・五の互卦兌は虎とされ、威如の象である。小象「易くして備うること无きなり」、威と信を兼ねるので人は気安く警戒しない。
もう一層深く
六五「その孚、交如たり、威如たり、吉」。六五は互兌のなかにあり、兌は西方で白虎に配され、威厳の象となる。五陽のなかの一陰は、柔和だけでは立てない。誠をもって交わり、しかも威望が要る。よい指導者は親しみやすく、それでいて侮られない。
この爻を得たら
誠実に接しつつ、自分の重みも備えよ。温和な指導者も威を失ってはならず、その威は長い修養から生まれるもので、装うことはできない。
牀頭に刀を捉る人
『世説新語』によれば、曹操は匈奴の使者に会う際、自分の容貌では遠国を威服できないと考え、崔琰を代わりに座らせ、自らは刀を持って牀の頭に立った。会見後、人をやって使者に印象を尋ねると、使者は「魏王の風采は非凡だが、牀頭で刀を執っていた人こそ英雄だ」と答えた。曹操はこれを聞いて使者を追わせ殺した。威望は長年に培われた風格であり、座を替えても隠せない。
上九自天祐之,吉无不利。天より之を祐く。吉にして利しからざる无し。
異文 「自天祐之」は、一本に「佑、右」に作る。
現代語で
天より之を佑く、吉にして利しからざる无し。
精読
上九は陽が陰位に居り九三と応じないが、下で六五が承け順う。陰が下で陽を承けるのは相得る象であり、全卦でこの爻が最も良い。卦の終わりがこれほど円満なのは稀である。「繫辞上伝」は、天の助くる所は順なる者、人の助くる所は信なる者であり、信を履み順を思い賢を尚ぶゆえに「天より之を佑く」と説く。この天は単なる自然ではなく、善悪の基準をもち善人を助ける主宰である。
この爻を得たら
局面は極めて順調だが、その福は日頃の正直と誠に支えられている。天は自ら助くる者を助く。悪を抑え善を揚げ続ければよく、ほかに求めることはない。
天の作せる合
ある会食の席で、占いなど運勢判断にすぎないと言う人々がいた。翌月に結婚を控えた女性が自分の結婚について占ってほしいと申し出、周りは悪い結果が出たらと気をもんだ。得たのはまさに大有の上九「天より之を佑く、吉にして利しからざる无し」。一座は喜びに沸き、天の作せる合だと言った。こうした符合は驚くべきものだが、爻辞の真意はやはり「信を履み順を思う」ことにある。祝福は、二人がその後互いに誠を尽くすことで実を結ぶ。
書き下し文は本サイトによる。明治・大正期の公有訓読(漢文叢書『詩経書経易経』1922年、国立国会図書館デジタルコレクション)と照合した。
故事 典
孔子の天
上九の「天より之を佑く」の天は、孔子の天と照らし合わせて読める。宋の桓魋が害そうとしたとき、孔子は「天、徳を予に生ぜり。桓魋其れ予を如何せん」と言った。匡で囲まれては「天の未だ斯の文を喪ぼさざるや、匡人其れ予を如何せん」と言い、また「罪を天に獲れば、禱る所無し」とも言った。孔子にとって天は信仰の対象であり最高の権威で、単に運行する自然ではない。天が人を助けうるなら、そこには善悪の基準がある。人にできるのは、天の休命に順い、悪を抑え善を揚げることである。
人を聚むるは財、位を守るは仁
「繫辞下伝」は「天地の大徳を生と曰い、聖人の大宝を位と曰う。何を以て位を守る、仁と曰う。何を以て人を聚む、財と曰う」という。人を集めるには富と経済の基盤が要ることを古人は隠さない。だが富だけでは位は守れず、位を守るのは仁である。大有はその両面を示す。豊かさは人心を引き寄せ、六爻が繰り返す、驕らず、分を越えず、力を恃まず、誠を守るという戒めこそが、豊かさを守る仁である。
人生への示唆 悟
大有は元いに亨る最良の時運だが、豊かさの最大の危険は驕りと僭越である。初九は取り入りを急がず、九三は徳に過ぎた位を戒め、九四は盛大を恃まない。同じ栄誉も、誰が受けるかで福にも害にもなる。上に立つ者は恩と威を兼ね、誠で人を動かし、修養で威を立てる。「天の休命に順う」とは、福は祈って得るものではなく、悪を抑え善を揚げて自ら努める者を天が助けるということである。