坤
02 / 64 · 上経
坤坤為地(こんいち)
天に順って承け、厚き徳で万物を載せる
柔順承載厚徳

卦名 名

「坤」は土偏に従い、大地を指す。その性質は「順」である。乾が能動の創造力であるのに対し、坤は受け止め、呼応する力であり、天が始めたものを完成へ導く。ここでいう陰は相対的な役割であって性別ではない。家で父であれば陽だが、同じ人も上司の前では陰となる。

卦象 象

坤上卦 · 地 · 順
坤下卦 · 地 · 順

上下ともに坤、地の上に地を重ねる。厚いうえにも厚く、柔順のなかの柔順である。乾が「天行健」と天体の運動を語るのに対し、坤は「地勢」、すなわち静かに受け止める大地の形勢を語る。大地は風雨も寒暑も日月の巡りもすべて受け入れ、そのうえで万物は実る。

取象の重なり 層

一つの卦はいくつもの層で読める。八卦は一家の人々(父母・長中少の男女)、六爻は組織の位(新人から君主まで)、さらに自然現象や動物にもなる。層を一つ重ねるごとに、爻辞の意味が深まる。

一家として見る

「説卦伝」は「坤は地なり、故に母と称す」という。坤為地は上下とも母で、受け入れ包み込む力である。後天八卦では、東南から西南・西へ巽・離・坤・兌、すなわち長女・中女・母・少女が並び、東北側には震・艮・坎・乾と男性ばかりが並ぶ。卦辞の「西南に朋を得、東北に朋を喪う」は、母が娘たちのなかでは仲間がいるが、東北へ行けば同類を離れて陽に添う、という意味になる。それは必ずしも損ではない。

自然 初爻

初六「霜を履みて堅冰至る」。坤は晩秋から冬に配される。薄霜を踏めば、やがて氷が張ると分かる。「文言伝」はこれを人倫に移し、臣が君を弑し子が父を弑するのも一朝一夕ではなく、小さなことの積み重ねだという。家のもめごとも同じで、最初の兆しこそ見逃してはならない。

君臣・爻位 五爻

六五「黄裳、元吉」。五は君位だが、そこにいるのは陰爻である。裳は下半身の衣、黄は中央の色。高い地位にあっても下の者の謙虚さで振る舞う。肩書きでなく気配りで人を導く上司のようで、だから大吉となる。

動物・取象 上爻

上六「龍野に戦う、その血玄黄」。龍は本来、乾や震の象である。陰が極まって自ら龍を名のり、陽と争う。玄は天の色、黄は地の色で、双方が傷つく。家族でいえば、母の役が極まって父と主導権を争い、どちらも血を流す姿である。

錯卦

坤の錯卦は乾である。坤の最後の「用六、永貞に利し」は、柔を極めた者が乾の堅さに転じる姿だ。柔順とは原則がないことではなく、長く方向を守ることである。ひたすら受け入れるように見える母の背後には、父のような芯の強さがある。

序卦 序

有天地,然後萬物生焉。

序卦伝は「天地有りて、然る後に万物生ず」という。天地とはすなわち乾坤である。乾は始め、坤は生み成す。両者は組み合わせて読まねばならず、片方だけでは語り尽くせない。乾坤の位が定まってはじめて万物が生まれ始め、そこで次に屯卦が来る。

卦辞 辭

坤:元亨。利牝馬之貞。君子有攸往,先迷後得主。利西南得朋,東北喪朋。安貞,吉。

坤は、元いに亨る。牝馬の貞に利し。君子往く攸有り。先んずれば迷ひ、後るれば主を得。西南には朋を得、東北には朋を喪ふに利し。貞に安んずれば吉。

始まり、通じる。牝馬のごとき正固に利ろし。君子が往くところがあれば、先立てば迷い、後れて従えば主を得る。利ろし。西南には朋を得、東北には朋を喪う。貞に安んずれば吉。坤の元は「始まり」にすぎない。乾を承けて来るからである。牝馬は群れの先頭に立たないが、前を行く剛健な天についていかねばならない。同類と離れることはかならずしも悪くない。そうしてこそ従うべき人に出会えるのである。

彖伝 彖

彖曰:至哉坤元,萬物資生,乃順承天。坤厚載物,德合无疆;含弘光大,品物咸亨。牝馬地類,行地无疆,柔順利貞。君子攸行,先迷失道,後順得常。西南得朋,乃與類行,東北喪朋,乃終有慶。安貞之吉,應地无疆。

乾は「大なるかな」、坤は「至れるかな」という。乾は広大無辺であり、坤は乾に順ってその極みに至る。「万物資りて生ず、乃ち順いて天を承く」。乾が万物を始め、坤がそれを生み成す。大地は厚く万物を載せ、「含弘光大にして、品物咸く亨る」。後れて順えば「常を得」、貞に安んずる吉は「地の疆り无きに応ず」。

大象 象

象曰:地勢坤,君子以厚德載物。

「地勢は坤なり、君子以て徳を厚くして物を載す。」古人のいう「物」には人も含まれる。徳を厚くして物を載せるとは、自らの人柄を厚くして、多くの人を包み支えることである。人は生涯の多くを支える側の立場で過ごすから、なおさらこの寛さが要る。

六爻 爻

主爻 主爻は六二。陰が陰位にあって位を得、下卦の中にあり、さらに「地」を表す初・二の位にあって、大地の徳を最もよく体現する。六五は「元吉」だが、主爻はあくまで六二である。

六爻の道筋:下から上へ

坤の六爻は、柔順がどのように一歩ずつ極まり、またどう行き過ぎるかを語る。初六は薄霜を踏み、小さな兆しが冬の到来を告げる。六二は直・方・大で、自然に従えば何事にも利があり、坤の徳の最も純な爻である。六三は下卦の頂にあって才を内に秘め、上に従って働き、功を誇らない。六四は上卦に入り権力に近づくので、袋の口を括るように言動を慎む。六五は黄裳で、高位にあって謙虚を保つ坤の頂点である。上六は陰が極まって陽と争い、龍が野に戦い、双方が傷つく。

初六履霜,堅冰至。霜を履みて、堅冰至る。
位に当たらず第4爻と応ぜず
小象 履霜堅冰,陰始凝也。馴致其道,至堅冰也。
現代語で

霜を履みて、堅冰至る。

精読

初爻は最下にあって人の足にあたるから「履む」という。初六は陰が陽位にあって位は正しくなく、六四も陰で応じない。上を見れば陰爻が六つ連なり、寒気は積もる一方である。小象は「陰始めて凝るなり。其の道を馴致すれば、堅冰に至るなり」。霜は陰気が凝り始めたしるしで、その勢いのままに進めばかならず堅い氷となる。文言伝はこれを「臣、其の君を弑し、子、其の父を弑するは、一朝一夕の故に非ず」と押し広げる。禍いはすべて少しずつ積もるもので、早くに見分けなかったから起こるのである。

もう一層深く
自然

初六「霜を履みて堅冰至る」。坤は晩秋から冬に配される。薄霜を踏めば、やがて氷が張ると分かる。「文言伝」はこれを人倫に移し、臣が君を弑し子が父を弑するのも一朝一夕ではなく、小さなことの積み重ねだという。家のもめごとも同じで、最初の兆しこそ見逃してはならない。

この爻を得たら

目の前の小さな兆しを軽んじないこと。事がまだ微かなうちに行く先を見極め、早めに手を打つ。大きな禍いに凝り固まるのを待ってはならない。

周公と太公、国を治むるを論ず

周の初め、諸侯を封じた際、太公は斉に、周公の子は魯に封ぜられた。周公が斉をどう治めるかと問うと、太公は「賢を挙げて功を上ぶ」と答え、周公は、後世かならず簒奪し弑殺する臣が出るだろうといった。太公が逆に魯の治め方を問うと、周公は「尊を尊び親を親しむ」と答え、太公は、後世しだいに弱まるだろうといった。斉は長く強国であったが、ついには重臣の田氏が姜姓の君主に取って代わった。魯はついに強くはならなかったが、国は長く続いた。建国の際に定めた方向は、足もとに初めて踏む霜のように、のちの氷をすでに告げていたのである。

《漢書・地理志》
六二直方大,不習无不利。直方大なり。習はずして利しからざる无し。
主爻位に当たる中を得る第5爻と応ぜず
小象 六二之動,直以方也。不習无不利,地道光也。
現代語で

直・方・大。習わずして利ろしからざる无し。

精読

六二は陰が陰位にあり、下卦の中を得て中正を兼ねる。初・二は地の位で、卦全体も土であるから、象が幾重にも重なり合い、一卦の主爻となる。六五も陰で応じないが、位そのものがすでに最良である。直とは万物が人の細工によらずまっすぐに生じること、方とは四方に及ぶこと、大とは載せないものがないことである。小象は「地道光いなるなり」。光は広に通じる。文言伝は「敬以て内を直くし、義以て外を方にす。敬義立ちて徳孤ならず」という。慎み深く内なる誠を守り、正しさによって外の言行を律するのである。

この爻を得たら

ことさらな画策も奇策もいらない。誠実で、筋を通し、寛くあり、状況の流れに従えば、不利はない。ただしこれは具体的な状況への答えであって、何もしなくてよいという許しではない。

六三含章,可貞。或從王事,无成有終。章を含みて貞にすべし。或いは王事に従ふも、成すこと无くして終り有り。
位に当たらず第6爻と応ぜず
小象 含章可貞,以時發也。或從王事,知光大也。
現代語で

章を含みて貞にすべし。或いは王事に従い、成すこと无くして終わり有り。

精読

初・二・三で下卦の坤ができあがる。坤は布であり文采であるから「章を含む」といい、内にすでに見るべきものがある。六三は陰が陽位にあって位は正しくなく中も得ず、上六も陰で応じない。それでも剛の位にあるので、動く力はある。三は人の位であるから「或」の字を用い、選ぶ余地を示す。爻辞の「王」は五を指し、六三は六四を経て六五につながる。小象は「時を以て発するなり」「知、光大なるなり」。才は時を待って発し、上に従うには遠大な見識が要る。文言伝は「地道は成すこと无くして、代わりて終わり有り」といい、これを地の道、妻の道、臣の道とする。

この爻を得たら

実力はあるが、舞台も決定権もあなたのものではない。まずは内に秘めて時を待つこと。人の事業を助けるなら、功は主たる人に帰す。結果はおのずとあなたにも良いものとなる。

誰が「王」なのか

ある成功した実業家が、家を買うことを念じて占い、坤の六三を得た。読み手はこう解いた。「章を含みて貞にすべし」は、あなたに買うだけの力があること。「或いは王事に従う」は、本当に決めるのは別の人、おそらく奥さんで、あなたは金と手間を出すだけだということ。「成すこと无くして終わり有り」は、手柄は奥さんのものだが、結果はあなたにとっても良いということ。男は言葉を失った。まさにそのとおりだったのである。爻辞の「王」は五爻を指し、坤の六五は陰爻であるから、家で実際に決断を下す人に当たる。

六四括囊,无咎无譽。嚢を括る。咎も无く誉も无し。
位に当たる第1爻と応ぜず
小象 括囊无咎,慎不害也。
現代語で

嚢を括る。咎も无く誉も无し。

精読

六四は陰が陰位にあって位は正しいが中を得ず、柔に柔を重ねて力は弱い。初六も陰で応じず、上も下も陰ばかりで、為すことは難しい。すでに上卦に入り、下の三つの陰爻が表す民と資源を手にしうるが、真の王は六五にいる。少しでも目立てば、主君をしのぐ功を疑われかねない。小象は「慎めば害あらざるなり」。文言伝は「天地閉じて、賢人隠る」といい、「蓋し謹しむを言うなり」と結ぶ。陽気が通じないこの時、賢者は身を収めるべきである。

この爻を得たら

目立たず身を収め、言葉と行いを慎むこと。前に出たり、手にした力を見せびらかしたりしない。この位置では咎のないことで十分であり、名声を求める必要はない。

六五黃裳,元吉。黄裳なり。元いに吉。
位に当たらず中を得る第2爻と応ぜず
小象 黃裳元吉,文在中也。
現代語で

黄裳、元いに吉なり。

精読

六五は陰が陽位にあって位は正しくないが、上卦の中を得ており、中は正に勝る。六二も陰で応じない。黄は土の色であり中央の色であって、坤が土であり五が中にあることにかなう。裳は古人の上衣下裳の下裳である。上衣は乾に属し、陰爻は下裳だけを着る。君の位にありながら実力のないことを自覚し、中道と謙りの姿勢で位に臨むから元吉となる。小象は「文、中に在るなり」。文言伝は「黄中にして理に通じ、正位にして体に居る。美、其の中に在りて、四支に暢び、事業に発す。美の至りなり」という。乾の六爻には元吉がなく、坤にかえってある。

もう一層深く
君臣・爻位

六五「黄裳、元吉」。五は君位だが、そこにいるのは陰爻である。裳は下半身の衣、黄は中央の色。高い地位にあっても下の者の謙虚さで振る舞う。肩書きでなく気配りで人を導く上司のようで、だから大吉となる。

この爻を得たら

最も良い爻の一つだが、吉には前提がある。自分の役割と分をわきまえ、中を守り、控えめで実直であり、越権して独断しないこと。自分が主役だと思った途端、元吉は反転する。

南蒯、黄裳を得る

春秋時代、魯の季氏の家臣南蒯は、費の邑を拠りどころに季氏に背こうとした。占うと坤の比に之くを得、まさに「黄裳、元いに吉」であったので大吉と思い、子服恵伯に見せた。恵伯はいった。忠信の事ならばよいが、さもなくばかならず敗れる。黄は中の色、裳は下の飾り、元は善の長である。内に忠がなければその色にふさわしくなく、下にあって恭しくなければその飾りにふさわしくなく、事が善でなければその吉を得られない。南蒯は聞き入れず、事は敗れて斉へ出奔した。元吉とは保証ではなく、徳への要求なのである。

《左傳・昭公十二年》
上六龍戰于野,其血玄黃。龍野に戦ふ。其の血玄黄なり。
位に当たる第3爻と応ぜず
小象 龍戰于野,其道窮也。
現代語で

竜、野に戦う。其の血、玄黄なり。

精読

邑の外を郊といい、郊の外を野という。上六は最も外の縁にあるので「野」という。上六は陰が陰位にあって位は正しいが、陰気は極まり、見渡すかぎり陰ばかりなので、自分を竜だと思い込む。だが本物の竜、すなわち陽気は卦の外で入る時を待っている。文言伝は「陰、陽に疑わしければ必ず戦う。其の陽无きに嫌わしきが為なり、故に竜と称す」という。玄は天の色、黄は地の色であり、血の色が入り混じるのは双方が傷つくことを表す。小象は「其の道窮まるなり」。この道はすでに尽き、次に来るのは一陽来復の新しい局面である。

もう一層深く
動物・取象

上六「龍野に戦う、その血玄黄」。龍は本来、乾や震の象である。陰が極まって自ら龍を名のり、陽と争う。玄は天の色、黄は地の色で、双方が傷つく。家族でいえば、母の役が極まって父と主導権を争い、どちらも血を流す姿である。

この爻を得たら

局面は行き着くところまで来ている。自分がすべてを主導できると思い込んで力ずくで争わないこと。争えば双方が傷つくだけである。大勢が変わろうとしていることを見極め、次の一手に備えたい。

用六利永貞。永く貞しきに利し。⌄
小象 用六永貞,以大終也。
現代語で

永く貞なるに利ろし。

精読

用六は坤卦にのみあり、六爻すべてが陰で卦全体に六を用いることをいう。乾が万物を始め、坤がそれを受け入れて完成させる。天に始まり、地に成るのである。小象は「大を以て終わるなり」。坤の貞は偉大な結びであり、天が開いたものを最後まで落ち着かせる。

この爻を得たら

六爻すべてが変じたときはこの辞を見る。一時の手柄を求めず、正しい道と自らの分を長く着実に守り、事がまどかに終わるまで続けること。

書き下し文は本サイトによる。明治・大正期の公有訓読(漢文叢書『詩経書経易経』1922年、国立国会図書館デジタルコレクション)と照合した。

故事 典

周公、政を成王に返す

周の武王が没したとき成王は幼く、周公が摂政となって反乱を平らげ、礼楽を整えた。その功に並ぶ者はなかった。しかし七年の後、成王が成長すると周公は政権を返し、自らは北面して群臣の列に戻った。孔子は「如し周公の才の美有りとも、驕且つ吝ならしめば、其の余は観るに足らざるのみ」という。周公が大才を持ちながら驕らず吝しまなかったからこそ、孔子が夢に見る手本となったのである。これが坤の六三の「成すこと无くして終わり有り」である。業は臣の手で成り、名分は君に帰し、地は天に代わって成し遂げ、自らの終わりもかえって安らかであった。

《史記・魯周公世家》;《論語・泰伯》

自強不息、厚徳載物

1914年、梁啓超は清華学校で「君子」と題して講演し、乾の大象「自強不息」と坤の大象「厚徳載物」をもって学生を励ました。この八字はのちに清華の校訓となった。理工で名を馳せる学府が易伝の二句を精神の指針に選んだことは、乾坤を併せて読まねばならない理由をよく示している。一方は剛健に奮い立ち、一方は寛く包み込む。自強だけで厚徳がなければ頑なになり、厚徳だけで自強がなければ弱さに流れる。

人生への示唆 悟

坤卦が語るのは、支える者の知恵である。人は生涯の大半を「臣」の立場で過ごすが、役割は相対的で、ここで従う人もあそこでは導く。従うことは屈辱ではなく、柔の中の剛である。先を争わず、しかし遅れずについていく。霜を踏んで兆しを知り、章を含んで時を待ち、嚢を括って身を守り、黄裳で分をわきまえる。その一歩一歩が時と位を見きわめる稽古である。吉凶は位そのものにではなく、自分の役割を見誤らないかどうかにある。厚徳載物とは、心の広さを大地のようにすることである。

関連する卦 通