蠱
18 / 64 · 上経
蠱山風蠱(さんぷうこ)
積弊を除き、徳をもって受け継ぐ
積弊蠱を幹す終われば始まる

卦名 名

「蠱」は皿の上に虫を置いた字で、使わずに放置した器に虫がわいたさまである。『左伝』に「皿蟲為蠱」とある。長い間に生じた弊害をいい、〈序卦伝〉は「蠱者,事也」と言う。古い字はしばしば両義を兼ね、蠱は乱であると同時に乱を治めることでもある。『論語』の「予有亂臣十人」の「乱」が治める意であるのと同じだ。

卦象 象

艮上卦 · 山 · 止
巽下卦 · 風 · 入

上卦の艮は山、下卦の巽は風である。山の下で風がさえぎられて渦を巻き、空気がよどめば瘴気となる。これが積弊だ。だが風はその濁りを吹き払うこともできる。これが弊を治めることである。卦変でいえば泰から来た卦で、下の乾(父)も上の坤(母)も姿を消している。だから爻辞は「父の蠱」「母の蠱」を語る。前の世代が残した局面を、後の世代が片づけるのである。

取象の重なり 層

一つの卦はいくつもの層で読める。八卦は一家の人々(父母・長中少の男女)、六爻は組織の位(新人から君主まで)、さらに自然現象や動物にもなる。層を一つ重ねるごとに、爻辞の意味が深まる。

一家として見る

下卦の巽は長女、上卦の艮は少男である。この卦は泰から変じたもので、泰の下卦乾(父)と上卦坤(母)がともに姿を消し、長女と末の息子が親の残した事態に向き合う。だから爻辞は繰り返し「父の蠱」「母の蠱」という。長女は柔らかく問題の奥に入り(巽は入る)、少男は上で事を止めて落ち着かせる(艮は止まる)。前の世代の弊は、次の世代が穏やかに、しかし確かに片づける。

卦変 初爻

初六「父の蠱を幹す。子有れば考も咎なし。厲うけれども終に吉」。泰の上六が下って初六となり、下卦の乾は消え、父はもういない。上卦は艮、すなわち少男となり、跡を継ぐ息子がいる。「子有り」とは単に息子がいることではなく、事をうまく正せる息子がいることだ。父の遺した弊を改めれば既得権益の者に恨まれるので危ういが、最後には吉となる。

家族 二爻

九二「母の蠱を幹す。貞にすべからず」。九二は六五と正応し、六五はもと泰の上卦坤の主爻、つまり母を表す。母の遺した問題に向き合うとき、剛く押し通してはならない。九二は中を得て加減を知る。年長者の過ちは改めねばならないが、情も顧みる。

君臣・爻位 上爻

上九「王侯に事えず、その事を高尚にす」。上九はもと泰の下卦乾の初九で、乾(王)の下で治められる身だった。いまは最も高い所に昇り、九三・六四・六五の互震(長子・諸侯)の上にいる。上爻は官職の外にあり、王侯に仕えず、自らの志操を重んじる。立て直しを終えたら退いて節を守る。

互卦(卦)

蠱の二爻から五爻は互卦の雷沢帰妹をなす。弊のうちに、ひとつの婚姻、新しい家の始まりが隠れている。前の世代の問題は、家を成したその時に芽ばえていることが多い。蠱を正すには、はじめの結びつきが妥当だったかを振り返る必要がある。

綜卦

蠱を逆さにすると随になる。随は否から変じ(上九が初位へ下る)、蠱は泰から変じる(初九が上位へ昇る)。一方は上の者が下りてきて人と共に随い、他方は親が退いて子が引き継ぐ。随の和やかさも監督がなければ蠱になり、蠱を立て直せば人はまた共に随うことができる。

序卦 序

以喜隨人者,必有事,故受之以蠱;蠱者事也。

〈序卦伝〉に「以喜隨人者必有事,故受之以蠱;蠱者,事也」とある。楽しいからと人について行き、自分で考え抜いて随うのでなければ、人に合うものが自分に合うとは限らない。流されるままでいれば、問題は静かに積もっていく。随は「故なし」であったが、蠱に至って「事あり」となる。

卦辞 辭

蠱:元亨。利涉大川。先甲三日,後甲三日。

蠱は、元いに亨る。大川を渉るに利し。甲に先だつこと三日、甲に後るること三日。

卦辞は「蠱は元いに亨る、大川を渉るに利し。甲に先だつこと三日、甲に後るること三日」。甲は十干の筆頭で、新たな始まりを表す。甲の日の前の三日で古いものを除いて備え、後の三日で新しいものを据えて続けていく。改革は始めると言えば始まるものではない。まず過去を整理し、始めてからも竜頭蛇尾に終わってはならない。

彖伝 彖

彖曰:蠱,剛上而柔下,巽而止,蠱。蠱,元亨,而天下治也。利涉大川,往有事也。先甲三日,後甲三日,終則有始,天行也。

彖伝は「剛上而柔下,巽而止,蠱」と言う。泰の初九が最上位に上り、上六が最下位に降りた。柔順な態度で偏りを止めるのである。「元亨而天下治也」「利涉大川,往有事也」。蠱には力があるから、尻込みせず積極的に事にあたれ、ということだ。「終則有始,天行也」。終わればまた始まる、これが天の運行の法則である。

大象 象

象曰:山下有風,蠱;君子以振民育德。

大象は「山下有風,蠱;君子以振民育德」。君子は古びた積弊を目にして、もはや因循姑息に甘んじず、民を奮い立たせ徳を育て、一から始めようと決意する。この工夫は国や社会だけでなく自分自身にも及ぶ。住まなくなった家には白蟻がわく。どんな集団も個人も、長く居座れば弊が生じる。更新する力を常に保たねばならない。

六爻 爻

主爻 上九が主爻である。彖伝の「剛上而柔下」の「剛上」は、泰の初九が最上位に上ってできたものを指す。上九を主爻とする卦は多くない。

六爻の道筋:下から上へ

初六は引き継いだばかりの人で、父の遺した問題が目の前にある。手をつければ人の恨みを買うが、責任を負う息子は最後に父を咎めから救う。九二は母の側の弊に向き合い、柔らかく情を顧み、力ずくではいけない。九三は剛に過ぎて急ぎすぎ、小さな悔いはあるが大きな過ちはない。六四は逆に寛容に流れて見て見ぬふりをし、進めばいっそう困難になる。六五は尊位にあって、徳と柔らかな手法で父の業を継ぎ、誉れを得る。上九は事を成して身を退き、王侯に仕えず、自らの高潔を守る。

初六幹父之蠱,有子考,无咎,厲終吉。父の蠱を幹す。子有れば、考も咎无し。厲ふけれども終には吉。
位に当たらず第4爻と応ぜず
小象 幹父之蠱,意承考也。
現代語で

父の蠱を幹す。子有れば、考も咎なし。厲うけれども終に吉。

精読

「幹」は手を下して正すこと、「有子」はただ子があるのではなく、よき子があること、「考」は亡き父である。初六は泰の上六が降りてきたもので、下の乾(父)が消え、上卦は艮(少男)となる。父が逝き子が継ぐ象だ。陰が陽位にいて不当位、六四とも応がないが、剛柔が調和して手段が穏やかである。改革は既得権益を揺るがして反発を招くから「厲うし」。だが改めねばならないことなので、終には吉。小象は「意承考也」。父の真の願いを継ぐことに意がある。

もう一層深く
卦変

初六「父の蠱を幹す。子有れば考も咎なし。厲うけれども終に吉」。泰の上六が下って初六となり、下卦の乾は消え、父はもういない。上卦は艮、すなわち少男となり、跡を継ぐ息子がいる。「子有り」とは単に息子がいることではなく、事をうまく正せる息子がいることだ。父の遺した弊を改めれば既得権益の者に恨まれるので危ういが、最後には吉となる。

この爻を得たら

前任者の残した問題に手をつければ、抵抗にあう。やり方は穏やかに、意図ははっきりと。前の人を否定するのではなく、果たすべきだったことを果たすのである。

禹、鯀の業を継ぐ

堯の時代、洪水は天にまで達した。鯀が治水を命じられたが、九年たっても功がなく、舜によって羽山に流されて誅された。舜は鯀の子の禹を挙げ、父の事業を継がせた。禹は父が功なく誅されたことを傷み、身を労し思いを焦がして、十三年のあいだ外にあり、家の門の前を過ぎても入ろうとしなかった。ついに水害を治め、後世に称えられる聖王となった。父の失敗から目をそらさず、自らの成就によってその恥をそそぐ。これが「父の蠱を幹す」である。

《史記・夏本紀》
九二幹母之蠱,不可貞。母の蠱を幹す。貞にす可からず。
位に当たらず中を得る第5爻と応ず
小象 幹母之蠱,得中道也。
現代語で

母の蠱を幹す。貞にすべからず。

精読

九二は陽が陰位にいて不当位だが、剛の中に柔があり、しかも下卦の中にあって六五と正応する。六五はもと泰の上卦坤の主で、母を象る。古代、父の蠱は多くが政治や社会の大事であり、母の蠱は家族や親族の間のことが多い。柔らかな相手には力ずくではいけない。小象は「得中道也」。穏やかで適度であってこそ、本当に問題が解ける。

もう一層深く
家族

九二「母の蠱を幹す。貞にすべからず」。九二は六五と正応し、六五はもと泰の上卦坤の主爻、つまり母を表す。母の遺した問題に向き合うとき、剛く押し通してはならない。九二は中を得て加減を知る。年長者の過ちは改めねばならないが、情も顧みる。

この爻を得たら

身近な人や弱い立場の人が残した問題には、穏やかに節度をもってあたること。正誤を問うだけでなく、関係にも心を配る。

九三幹父之蠱,小有悔,无大咎。父の蠱を幹す。小しく悔有れども、大いなる咎无し。
位に当たる第6爻と応ぜず
小象 幹父之蠱,終无咎也。
現代語で

父の蠱を幹す。小しく悔有り、大いなる咎なし。

精読

九三は陽が陽位にいて当位だが剛に過ぎ、上九とも応がない。手段が激しく、矯めすぎになりやすいので「小しく悔有り」。初六と比べれば、初六は陰が陽位にいて剛柔相済い、終に吉となる。九三はひたすら剛く、受ける非難も多い。だが積弊はもともと正すべきもので、九三は下卦の終わりにあって上に艮(止まる)を控え、ほどよく止まることを知る。小象は「終无咎也」。

この爻を得たら

改革の方向は正しいが、手段が強すぎると小さなもめごとを招く。大事を押さえ小事は流し、ほどよいところで止まること。

六四裕父之蠱,往見吝。父の蠱を裕かにす。往けば吝を見る。
位に当たる第1爻と応ぜず剛に乗る
小象 裕父之蠱,往未得也。
現代語で

父の蠱を裕にす。往けば吝を見る。

精読

他の爻はみな「幹す」と言うのに、ここでは「裕にす」、寛く放任すると言う。六四は陰が陰位にいて当位だが柔の上に柔を重ね、初六とも応がなく、九三の剛に乗っている。寛容は余るほどあるが、決断力が足りない。穏やかさは姑息とは違う。積弊を放っておくのは、かつて苦しんだ人々の苦しみを無駄だったと言うに等しい。小象は「往未得也」。そのやり方では何も得られない。

この爻を得たら

問題をうやむやにしたり、なかったことにしたりすれば、壁に突き当たる。手段は穏やかでよいが、向き合うべきことから逃げてはならない。

六五幹父之蠱,用譽。父の蠱を幹す。用て誉れあり。
位に当たらず中を得る第2爻と応ず
小象 幹父用譽,承以德也。
現代語で

父の蠱を幹す。用て誉れあり。

精読

六五は陰が陽位にいて不当位だが中を得、初六と同じく剛柔相済って手段が穏やかである。君位にあって下に九二の正応があり、中正に事を行い補佐も得る。小象は「承以德也」、すなわち徳をもって承ける。先人が残したのが政治の事業であれ家業であれ、後の者は徳によって継いでこそ祖先を真に顕彰できる。富を継いだ二代目が知られるべきは、その富でどんな善をなしたかである。

この爻を得たら

徳によって先人の基を修め、受け継げば、名声はおのずとついてくる。外見の華やかさを守ることより、正しいことをなすことに重きを置くこと。

上九不事王侯,高尚其事。王侯に事へず、其の事を高尚にす。
主爻位に当たらず第3爻と応ぜず
小象 不事王侯,志可則也。
現代語で

王侯に事えず、其の事を高尚にす。

精読

上九は陽が陰位にいて不当位、九三とも応がないが、主爻である。泰の初九が上ってきたもので、もとは下の乾の中で治められる側にあったが、いまやすべての上に立ち、互震(九三・六四・六五、震は諸侯)よりも上にいる。だから「王侯に事えず」。積弊はおおむね正され、外からの圧力もなくなった。あとはすべて自分次第である。孔子は「隱居以求其志,行義以達其道」と言った。退いては志を定めて徳を修め、進んではなすべきことをなす。小象は「志可則也」。

もう一層深く
君臣・爻位

上九「王侯に事えず、その事を高尚にす」。上九はもと泰の下卦乾の初九で、乾(王)の下で治められる身だった。いまは最も高い所に昇り、九三・六四・六五の互震(長子・諸侯)の上にいる。上爻は官職の外にあり、王侯に仕えず、自らの志操を重んじる。立て直しを終えたら退いて節を守る。

この爻を得たら

権勢に寄りかかる必要も、人の顔色をうかがう必要もない。外からの縛りがゆるんだこの時に、自分の生涯がどこへ向かうのかを見定め、高い基準で暮らしを整えること。

厳子陵、富春に釣る

厳光、字は子陵、若いころ劉秀とともに遊学した。劉秀が即位して光武帝となると、厳光は名を変えて身を隠した。帝は人をやって方々を探させ、ついに斉の地で羊の皮衣をまとって沢で釣りをしている男を見つけ、幾度も礼を尽くして都に招いた。旧友二人は語り合って同じ寝床で眠り、厳光は帝の腹に足を乗せたが、光武帝は旧友と寝ただけだと笑うばかりだった。諫議大夫に任じられても受けず、富春山に帰って耕し釣った。北宋の范仲淹は〈厳先生祠堂記〉で、まさに蠱の上九「不事王侯,高尚其事」をもって彼を称えている。

《後漢書・逸民列傳》;范仲淹〈嚴先生祠堂記〉

書き下し文は本サイトによる。明治・大正期の公有訓読(漢文叢書『詩経書経易経』1922年、国立国会図書館デジタルコレクション)と照合した。

故事 典

医和、蠱を説く

晋の平公が病み、秦に医者を求めた。秦伯は名医の和を遣わした。医和は診て言った。この病はもう治せない。女色に近づきすぎて、病が蠱のようになっている。鬼神のたたりでも飲食のせいでもなく、惑って志を失ったのだ、と。執政の趙孟が蠱とは何かと問うと、医和は答えた。蠱は耽溺と惑乱から生じる。文字では「皿蟲為蠱」、穀物に虫がわいて飛ぶのも蠱という。『周易』では、女が男を惑わし、風が山に落ちるのを蠱という、と。二千年以上前のこの対話は、字形と生活の経験と卦象とを結びつけ、蠱の根が長い放縦と停滞にあることを示している。

《左傳・昭公元年》

誰が当選するかは問わない

ある大きな選挙の前、三百人余りの講座の受講者たちが落ち着かず、誰が当選するか占えないかと尋ねた。講師は「不義のことは占わない」という原則に従い、勝ち負けを当てることはせず、こう問い直した。「投票のあと、私たちの気持ちはどうなるか。」得たのは蠱の上九の変、「不事王侯,高尚其事」であった。彼の読みはこうだ。社会には改めるべき積弊があり、蠱は最終段階に来て新しい局面に移ろうとしている。そして何より、これからは誰も政治家の顔色をうかがう必要はなく、各自が高尚な生き方を選べる。問いを正しく立ててこそ、答えに意味が生まれるのである。

人生への示唆 悟

長い安泰は必ず積弊を生む。国も会社も家庭も個人も同じであり、蠱は、除くべき古いもの、据えるべき新しいものはないかと定期的に自問するよう求める。前人の弊を正すには勇気と節度がいる。剛柔相済う者は吉、剛に過ぎる者は小さく悔い、柔に過ぎて姑息な者は吝、徳をもって承ける者は誉れを得る。改革は前人を否定することではなく、前人の果たせなかったことを徳によって完成させることである。積弊が除かれ外からの力に左右されない位置に立ったとき、問われるのは自分の志だ。「終われば始まる」、終わりはいつも新たな出発である。

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