否
12 / 64 · 上経
否天地否(てんちひ)
塞がる時は身を収め、徳を修めて待つ
閉塞倹徳安きに危うきを思う

卦名 名

否は「ひ」と読み、塞がって通じないことをいう。人は交わり通じ合うことを望むが、否は隔絶であるから、卦辞は「人に匪ず」、人の求めに背くと言う。俗に言う「否極まりて泰来たる」の否である。

卦象 象

乾上卦 · 天 · 健
坤下卦 · 地 · 順

乾の天が上、坤の地が下。それぞれ所を得たように見えるが、まさにそれゆえ天は昇り地は降り、両者は遠ざかって交わらない。泰が民のもとへ降りる君主の姿なら、否は高みに留まる権力と、届かぬ下の声である。停滞と隔絶の時代を表す。

取象の重なり 層

一つの卦はいくつもの層で読める。八卦は一家の人々(父母・長中少の男女)、六爻は組織の位(新人から君主まで)、さらに自然現象や動物にもなる。層を一つ重ねるごとに、爻辞の意味が深まる。

一家として見る

下卦の坤は母、上卦の乾は父である。父が上、母が下とそれぞれ所を得ているように見えるが、父の気は昇り続け、母の気は沈み続けて、背中合わせにますます遠ざかる。家庭でいちばん怖いのは喧嘩ではなく、各自が別々に暮らして口をきかなくなることだ。否はその沈黙の隔絶である。

君臣・爻位 二爻

六二「包承す。小人は吉、大人は否にして亨る」。二は下級の官で、九五と応じ、上から包まれ世話を受ける。小人はこの恩寵を喜んで受ける。徳ある大人はむしろ受けず、閉塞の時代に自分を守り、それによって通じる。

互卦 四爻

九四「命有れば咎なし、疇、祉に離く」。六三・九四・九五は互巽で、巽は風、風は命令を表す。九四は君のそばの近臣で、君命を奉じて動く。否の局面がゆるみ始め、同類の人々も福にあずかる。

君臣・爻位 五爻

九五「否を休む、大人は吉。それ亡びんそれ亡びんとて、苞桑に繋る」。六二・六三・九四は互艮で、艮は止。下の否はすでに止まり、艮の外にいる九五が手を下して閉塞を止める。だが君主は「亡びるかもしれない」と常に自戒せねばならない。群がる桑の根に繋ぎとめてこそ、しっかりと保たれる。

互卦(卦)

否の二〜四爻と三〜五爻は風山漸をなす。閉塞の時代、内側の出口は一つ、少しずつ進むことである。一気には開けず、雁が段階を追って飛び、山の木が年ごとに伸びるように進むしかない。九五の「苞桑に繋る」は、まさにこのゆっくり根を張る工夫である。

序卦 序

物不可以終通,故受之以否。

「序卦伝」は「物は以て終に通ずべからず、故に之を受くるに否を以てす」という。一生通じ続ける者はいない。泰の後には必ず塞がりが来る。できるのは満ちを保つこと、すなわち謙虚に、事を極めず、得意のときに失意を思うことである。

卦辞 辭

否之匪人,不利君子貞,大往小來。

否は之れ人に匪ず。君子の貞に利しからず。大往き小来る。

卦辞「否は之れ人に匪ず、君子の貞に利しからず、大往き小来たる」。陽爻は外卦へ退き、陰爻が内卦に入る。君子の道は消え、小人の道が長ずる。正面からぶつかっても益はなく、君子は時勢に従って退き、己を守るべきである。

彖伝 彖

彖曰:否之匪人,不利君子貞,大往小來。則是天地不交而萬物不通也,上下不交而天下无邦也。內陰而外陽,內柔而外剛,內小人而外君子,小人道長,君子道消也。

「彖伝」は泰をそのまま裏返す。「天地交わらずして万物通ぜず、上下交わらずして天下に邦无し」。上下が往来しなければ国は名ばかりとなる。内は柔、外は剛、内に小人、外に君子、近くに小人を置き君子を遠ざける。だが泰極まれば否が来るように、否も極まれば泰へ転じる。

大象 象

象曰:天地不交,否;君子以儉德辟難,不可榮以祿。

「天地交わらざるは否なり。君子は以て徳を倹にして難を辟け、栄するに禄を以てすべからず」。身を収めて徳を修め災いを避け、この時に禄位を求めて身を飾ってはならない。そうして得た地位は後に辱めを招く。孔子は「邦に道無ければ、行いを危くし言は孫う」と言う。行いは正しく、言葉は控えめに。無駄な犠牲に意味はない。

六爻 爻

主爻 主爻は九五である。剛健中正にして尊位に居り、「其れ亡びん其れ亡びん」という危機意識をもって閉塞の勢いを止める。

六爻の道筋:下から上へ

初六「茅を抜くに茹たり、その彙をもってす、貞にして吉」。泰の初九と同じ言葉だが、ここで連なるのは三つの陰爻である。今は正を守り、群れに流されてはならない。六二は上から包まれ、小人は福と思い、君子はむしろ否を守る。下卦の頂の六三は「羞を包む」。陰爻が陽位にいて、恩を受けながら心に恥じる。上卦に入ると九四が命を奉じて動き、閉塞がゆるむ。九五は否を止めつつ常に自戒し、上九で否は覆される。先に塞がり後に喜ぶ。

初六,拔茅茹以其彙,貞吉。亨。初六,拔茅茹以其彙,貞吉。亨。茅を抜くに茹たり。其の彙を以てす。貞にして吉。亨る。
位に当たらず第4爻と応ず
小象 拔茅貞吉,志在君也。
現代語で

茅を抜けば根の連なる仲間がともに抜ける。貞なれば吉、亨る。

精読

泰の初九とほぼ同じ辞だが、泰は「征けば吉」、否は「貞なれば吉」。今は退くことが吉で、同類とともに持ち場を守る。初六は陰が陽位に居り九四と応じる。小象「志君に在り」、君は上卦の乾で、心はなお正道に向かう。窮しても亨るというのは儒家独特の見方である。

この爻を得たら

地位や名声を求めて進むべきではない。志を同じくする者とともに本分を守り、この時を内省と自己研鑽に充てよ。

六二,包承,小人吉,大人否。亨。六二,包承,小人吉,大人否。亨。包承す。小人は吉。大人は否にして亨る。
位に当たる中を得る第5爻と応ず
小象 大人否,亨。不亂羣也。
現代語で

包承す。小人は吉、大人は否にして亨る。

精読

六二は陰が陰位に居り中正、九五と応じる良い爻である。小人の勢いが強い時ゆえ小人は吉。大人は塞がれても亨る。その楽しみが窮通にないからである。小象「羣を乱さざるなり」、同類のなかに安んじて群を乱さない。

もう一層深く
君臣・爻位

六二「包承す。小人は吉、大人は否にして亨る」。二は下級の官で、九五と応じ、上から包まれ世話を受ける。小人はこの恩寵を喜んで受ける。徳ある大人はむしろ受けず、閉塞の時代に自分を守り、それによって通じる。

この爻を得たら

不利な状況では、包み容れ担うことを学び、目先の得失を争わない。内に大切にするものを守れば、境遇に縛られることはない。

陳蔡の厄

孔子は諸国を巡るうち陳と蔡の間で囲まれ、七日も火を通した食事がとれなかったが、室内で琴を弾き詩を歌っていた。外では子路と子貢が、これほど追われてなお歌うのかとぼやく。顔回がそれを伝えると、孔子は二人を呼び、道に通じることこそ通、道に窮することこそ窮であって、今の困窮は窮ではないと語った。『荘子』はこう結ぶ。古の道を得た者は「窮するも亦た楽しみ、通ずるも亦た楽しむ、楽しむ所は窮通に非ざるなり」。

《莊子・讓王》
六三,包羞。六三,包羞。羞を包む。
位に当たらず第6爻と応ず
小象 包羞,位不當也。
現代語で

羞を包む。

精読

六三は陰が陽位に居り、中でも正でもない。小象は端的に「位当たらざるなり」という。下の同類二陰が踏ん張るなか、上に頼れる九四を見、上九とも応じて、あれもこれもと望む。吉凶を言うまでもなく、恥じる心こそが最大の警告である。

この爻を得たら

あちこちに取り入ろうとしている自分に気づいたら、その居心地の悪さを正直に受け止め、早めに手を引いて本来の位置に戻れ。

九四,有命,无咎,疇離祉。九四,有命,无咎,疇離祉。命有り。咎无し。疇祉に離く。
位に当たらず第1爻と応ず
小象 有命无咎,志行也。
現代語で

命有れば咎无し。疇、祉に離く。

精読

疇は儔に通じて仲間・衆、離は付く、祉は福。九四は陽が陰位に居り、九五の命を承ける。三・四・五の互卦巽は風で、命令が行き渡る象。下卦坤の衆に直に臨み、初六とも応じるので民が寄り付く。小象「志行わるるなり」、否はすでに半ばを過ぎ、志を行える時が来つつある。

もう一層深く
互卦

九四「命有れば咎なし、疇、祉に離く」。六三・九四・九五は互巽で、巽は風、風は命令を表す。九四は君のそばの近臣で、君命を奉じて動く。否の局面がゆるみ始め、同類の人々も福にあずかる。

この爻を得たら

転機が見え始めている。正当な委任のもとで責任を引き受け、成果は支えてくれる人々と分かち合い、功を独り占めしないこと。

九五,休否,大人吉。其亡其亡,繫于苞桑。九五,休否,大人吉。其亡其亡,繫于苞桑。否を休む。大人は吉。其れ亡びん其れ亡びんとて、苞桑に繋る。
主爻位に当たる中を得る第2爻と応ず
小象 大人之吉,位正當也。

異文 「繫于苞桑」は、一本に「包」に作る。

現代語で

否を休む、大人は吉。其れ亡びん其れ亡びんとして、包桑に繫る。

精読

休は止める。九五は剛健中正にして天子の位に居り、六二と応じ、小象は「位正当なり」という。二・三・四の互卦艮は止で、下ではすでに勢いが止まり、九五がその上で否を休める。否の次は観、そして剝で陽が減っていくと知るからこそ「其れ亡びん」と戒める。根の絡み合った桑の株のように、その戒めが基を固くする。

もう一層深く
君臣・爻位

九五「否を休む、大人は吉。それ亡びんそれ亡びんとて、苞桑に繋る」。六二・六三・九四は互艮で、艮は止。下の否はすでに止まり、艮の外にいる九五が手を下して閉塞を止める。だが君主は「亡びるかもしれない」と常に自戒せねばならない。群がる桑の根に繋ぎとめてこそ、しっかりと保たれる。

この爻を得たら

局面は持ち直せるが、危機意識を保つことが前提である。安定して見えるほど失いうるものを考え、今のうちに根本を固めよ。

安きに居りて危うきを思う

「繫辞下伝」は孔子の言としてこの爻を敷衍する。「危うき者は其の位に安んずる者なり。亡ぶる者は其の存を保つ者なり。乱るる者は其の治を有つ者なり」。安泰だと思うところに危うさが、長く続くと思うところに滅びが、よく治まっていると思うところに乱れが始まる。ゆえに「君子は安くして危うきを忘れず、存して亡ぶるを忘れず、治まりて乱るるを忘れず」。「居安思危」の出典であり、『易経』全体が伝えたい心得とも言える。

《周易・繫辭下傳》
上九,傾否,先否後喜。上九,傾否,先否後喜。否を傾く。先には否がり後には喜ぶ。
位に当たらず第3爻と応ず
小象 否終則傾,何可長也。
現代語で

否を傾く。先には否、後には喜ぶ。

精読

通常、上爻は終わりで重圧を伴うが、否では終わりこそ解放であり、長い夜の後の夜明けである。上九は陽が陰位に居り六三と応じる。「喜」「慶」の字はこうした陰陽の応に伴うことが多く、願いが応えられたことを示す。小象「否終われば則ち傾く、何ぞ長かるべけんや」。

この爻を得たら

閉塞は終わろうとしている。新たな始まりに備えよ。好転した後も、ここまで支えた用心を緩めないこと。

書き下し文は本サイトによる。明治・大正期の公有訓読(漢文叢書『詩経書経易経』1922年、国立国会図書館デジタルコレクション)と照合した。

故事 典

行いを危くし言は孫う

孔子は「邦に道有れば、言を危くし行いを危くす。邦に道無ければ、行いを危くし言は孫う」と言った。ここの危は「正しい」の意である。道ある世では言も行も正しく、道なき世では行いは正しく保ちつつ言葉は控えめにする。また「危邦には入らず、乱邦には居らず」とも言い、こちらの危は「危険」である。両者を合わせれば、儒家が正面衝突一辺倒ではないことがわかる。原則は捨てないが、閉塞の世で無駄に命を落とすこともない。これが大象の「徳を倹にして難を辟く」である。

《論語・憲問》《論語・泰伯》

舜と終身の憂い

孟子は「憂患に生き、安楽に死す」と言い、また「君子に終身の憂い有るも、一朝の患い無し」と言った。その憂いとは、舜も人、我も人、舜は天下の手本となったのに、我はなお凡人であるということだ。『孟子』は若き舜が深山に住み「木石と居り、鹿豕と遊ぶ」さまを描き、山野の人とほとんど違わなかったが、一つの善言を聞き一つの善行を見れば、堤を切った大河のように止めがたかったという。否の時、外への道が塞がれたなら、この終身の憂いに向かい、困窮の歳月を修養に充てればよい。

《孟子・告子下》《孟子・離婁下》《孟子・盡心上》

人生への示唆 悟

否は、閉塞の世にあって天を怨み人を咎めることも、正面から突き当たることも要らないと教える。身を収め、徳を修め、禄位を貪らず、行いは正しく言葉は控えめに。困窮は修養の機会であり、楽しみは窮通ではなく道にある。しかもどの卦も永遠に善くも悪くもない。泰の終わりは城の崩落、否の終わりは「先には否、後には喜ぶ」である。否を得ても慌てず、心構えを整えて次に備え、好転した後にも「居安思危」を携えていくことだ。

関連する卦 通